タイトルに込めた想い
――太宰治の『走れメロス』や梶井基次郎の『檸檬』などの文学作品を最大16ページにまとめて気軽に親しめるようにした「文鳥文庫」を作ったり、旬の野菜を通してコミュニケーションを生む「旬八青果店」をプロデュースしたり、牧野さんは広告クリエイターでありながら、従来の「広告」の枠に収まらない事業を次々と手がけていますね。
従来の俗にいう「広告」は、出番が最後でした。モノが出来上がってから、最後に広告クリエイティブが登場します。売るものそのもの、その本質にはあまりタッチできず、例え「これは本当に売るべきものだろうか」という疑問を持ったとしても、その広告を作ることが仕事です。もしかしたら「もう売る必要のないもの」を、人々に余計な欲望を喚起して「無理やり売る仕事」になりかねません。そんなことを続けたら本当に広告業界そのものが立ち行かなくなってしまう。そういった“意識の低さ”こそが課題だと感じています。
いまはSNSインフラが広がった社会です。良い商品、意味あるサービスであれば、ユーザーが自発的に広めてくれる時代。従来のように「メディアを買って広告を押しつける」のではなく、広告的技術や思想をプロダクトそのもにインストールして「ファンによるシェア」を獲得していくこと。SNSのポジティブな面を活かすことが、僕たち広告クリエイターの仕事になってきていると痛感しています。
今回の本にはそんな広告業界への問題提起と、広告の可能性について、僕なりの考え方をまとめました。『広告がなくなる日』という一見ネガティブなタイトルがついていますが、広告の可能性への希望を詰め込んだ本だと考えています。
――「広告的な手法を商品に反映する」という意味では、今回の本も相当挑戦的ですよね。このご時世にオンラインの流通に乗せず、リアル書店でしか売らないですし、形も「横開き」ではなく「縦開き」と、まるでお弁当の蓋を開いているようです。電車やカフェなどで読んでいたら目立ちますよね。
僕は「本を書く」ことが専門ではなく、広告クリエイターであるという自負があります。中でも僕の仕事は「企画」にあると考えているので、本を書くことを通じて、その企画のエッセンスを埋め込みたいと思いました。その一つが「リアル書店で買ってもらう」という取り組みです。
新型コロナウイルスの影響もあるし、本屋さんから足が遠ざかっていた人も「そろそろ行ってみるか」と思ってくれるかもしれない。僕自身、本屋が大好きなのになかなか行く機会が減っていて……。それでも、いざ行ってみるとやっぱり面白いじゃないですか。自分にとって癒やされる空間に身を置くという文化的な体験や、人間として忘れてはいけない感覚を思い出す時間を大切にしてほしいな、と思ったんです。
もう一つが「縦開き」という不思議な形状です。普段の仕事を考えると、僕自身は1冊10万文字以上の本を書くよりも、100ページ近くの企画書を書くほうが肌感に近い。だとしたら「プレゼンテーションを作る要領で本を書けないだろうか?」と思いついたのがきっかけです。同時に、もう多くの人は「普通の本の形状」に対して抵抗感がある気がしています。WEBやSNSの文章になれてしまった人にとって、ずらっと文字が並んだ一冊の本は重すぎるのではないかと。なのでプレゼンの形に近づけることで、本を縦向きに開いたときの上ページに写真や説明、下ページに本文といった構成に挑戦してみました。
本を「横開き」ではなく、「縦開き」にするだけで、人の体験そのものも変わります。別に「形状」は全く変わっていません。これもデザインという概念の一部だと考えています。読者にも本をまるまる1冊読むというよりは、プレゼンテーションを見る感覚で楽しんでほしいな、と思います。一部からは「読みづらい!」と評判ですが、「久しぶりに本を最後まで読んだ」という声も多く届いています。
――新しいことに挑戦することで、「売上が下がるかも」といったプレッシャーはなかったですか?
「売上」や「数字」との向き合い方に関しては、ここ1年の間でだいぶ変化がありました。もちろん売れることは嬉しいですし、関わってくれた出版社や書店に貢献できたらいいなと思います。
ただ、個人的には「売上や数字」を最優先にしてしまってはいけない、と強く考えるようになりました。それよりも「これをやってみたい」「こういうことを伝えたい」といった、個人的な意志を大切にしたいと思うし、そういう社会であってほしいと思います。数字や前例主義に囚われると、あらゆるものごとが一般化(コモディティ化)してしまいます。ビジネスや広告においても、そういう「意思」を追求することでしか、オリジナルなものは生み出せないと思うんです。
「広告を見る側」も変化している
――広告の作り手のみではなく、広告の受け手である私たちの捉え方そのものも、多様性を増している気がします。どんな意識を持って広告に向き合うといいでしょうか?
広告は「企業の課題解決」から「社会の課題解決」へとシフトすべき、というのが僕の主張です。いま社会の課題は山積みですし、アイデアや企画、デザインをよりよい未来のために駆使することが、長期的には企業やブランドにとってもいい影響があると信じています。
受け手も、広告を見て「反応」し、「行動」することが増えてきていると感じています。社会に対する関心や課題意識が、SNSを中心に高まってきていることは間違いありません。
たとえば人種差別や女性蔑視など、倫理に反するような広告を出している企業があるとしたら、その企業の商品は買わない選択をする。声を上げる。購買活動も立派な「行動」ですから、そのひとつひとつが社会を良くする自浄作用になり得ます。みんながそれぞれの認識とリテラシーを高めていく。そのためにも、“意味”を投げ掛ける広告が大事な役割を担うと信じています。
過去に朝日新聞さんで出した「国際女性デー」に関する広告があるんですが、出すまではとても不安でした。過去に実際に新聞に掲載された「見出し」を活用して、女性の社会進出の歴史を表した広告です。
ギリギリまで推敲して、朝日新聞さんの過去と現在、そして未来の仕事への繋がりが分かるような構成にしました。いざ出してみたらネガティブな意見はほとんどなく、各方面から評価いただけてホッとしています。
人も企業も、ひとつずつ社会問題の解決をめざし、より良い社会に近づけていくための仕事を増やしていけば、それを見た人たちがちゃんと評価してくれて、ファンになってくれて、サービスや商品に触れてくれる。そういった構造が、今ようやく出来上がりはじめている気がします。
――私もTwitterで「最高の広告だ!」とシェアされているのを見ました。女性蔑視と受け取られるような発言が炎上に繋がっているケースも最近多く見受けられますが、同じジェンダー問題を扱っていても、評価が分かれてしまう理由はどこにあると思われますか?
どれだけ誠実に向き合っているか、つくる当人に想いがあるかどうかだと思います。ジェンダー問題ひとつとっても、本当の意味で興味関心がないと広告なんてつくれないと思います。たった1~2週間の企画会議で良いものをつくろうと思っても、限界があります。
僕は幸運なことに、共同代表の柴田賢蔵、arcaの辻愛沙子など、様々な社会課題に関心のある仲間に恵まれています。報道されたニュースをテーマに何時間も議論する、そういったことを毎日繰り返しています。もちろん、どこまで学ぼうとも足りないくらい、社会は複雑だし、問題は山積みです。
ただ、広告業界の人たちと話すときに、その温度差を感じることは確かにあります。だから炎上する広告が生まれてしまうのだと、危機感を覚えることもあります。自分としては、できるかぎり良い仕事を積み重ねていくことで、それを見た若い人たちが広告業界に憧れるサイクルが生まれてほしいし、広告にまつわる仕事が愛されるものになって欲しいと切実に思います。
より良い社会に繋がるための前例と実績
――書籍『広告がなくなる日』の売上は、その3%が寄付にまわされると聞きました。この取り組みは以前から構想があったのでしょうか?
売上の3%を寄付にまわす構造は、ずっとやりたいと思って、あたためていたものでした。なかなか実現させる機会がなくて……。どこかの企業でいきなり提案するよりも、せっかく自分で本を出すのだから、そこで試してみようと思ったんです。
発案のきっかけは、日本とは縁遠い環境問題や労働問題について、何かしたいと思っても具体的な方法が分からない……と思ったことからです。寄付をしようにも、どこにどうやってすればいいのかすらもわからないじゃないですか。それになんか寄付をするということのハードルの高さを感じていて。だから、ある商品を買ったら自動的に3%分が、より正しい場所に寄付にまわされる仕組みを作ればいいのではないかと考えました。
この「3%(SUN PERCENT)」と名付けた仕組みは、全12種類の中から支援したい社会課題を選んで、好きな金額を毎月寄付できる寄付プラットフォーム「SOLIO」と連携していきたいと考えています。
僕の本からスタートしましたが、いろんなお店を巻き込んでいけたらと考えています。すでに問い合わせもいただいていて、今後街中のいろんなところでこのマークが貼ってあって、みんなの購買行動の3%が寄付されて循環されていく。そういう仕組みが作れたら面白いなと思うんです。
――新しい寄付の形ですね。牧野さんたちがどんどん新しいことを実現させていって「前例」と「実績」がますます増えれば、自分たちもやってみよう!と思う方たちも増えそうですね。
そのためにも、自分たちの手を動かし、一歩行動していくっていうことが必要なんだと思います。広告業界って、ビジネス構造上「受け身」のビジネスです。誰かから依頼されて、予算があって、はじめて行動する仕事です。でも、せっかく「アイデア」や「企画」を実行したり、人々の感情にアプローチできる力を持っているなら、もっともっとそれをより良い社会に活用していくべきだと思うんです。
それができたら、嫌われものの広告から、みんなに愛される広告の仕事になりえるのではないかと。そんな希望をこめて、この本を書いたつもりです。