大事にしてくれるのは親じゃなくてもいい
───主人公の晴己が何もかも忘れて「これさえあればいい」と思える唯一のものが、パンクなんですね。兄弟にパンクロックを教えた「しんちゃん」は、「こんな時代遅れのものを教えちゃって」と言いつつ、自分が好きなバンドをせっせと聴かせてくれます。「ザ・クラッシュ」「ラモーンズ」「セックス・ピストルズ」「ダムド」……。晴己が中学生のときにはじめてステージに立ったのも、しんちゃんがバンド仲間に晴己を紹介したからで。
兼森:40代になるまで続けてきたバンド活動をやめてしまい、どうも晴己たちのお母さんに相手にされなかったらしいしんちゃんは、ダメな男なんじゃないの!?と思うけど(笑)、ずっと近くで見守ってくれていたしんちゃんが兄弟の救いになっている。でも、いざ高校生になった晴己が、同級生に誘われて、一日限りのバンドを組んで右哉とステージに上がることになったら、急に嫉妬してしまうんですよねえ……。情けない大人であるしんちゃんの葛藤も繊細に書かれていて、すごいなと思いました。
石川:大人って、子どもが思ってるほど大人じゃないですもんね。児童書やYAで書いていいテーマなのかわからないけど。
兼森:ダメな大人もいるし、救いになる大人もいる。どうにもならないお母さんとの関係の一方で、しんちゃんとは未来へ向かって関係が変わっていく。それはやっぱり希望があるなと私は思います。嫉妬した後のしんちゃんと一晩中しゃべる夜、あそこで晴己が自分の足で立ったな、という感じがするから。
石川:そうですね。対等まではいかないけれど、しんちゃんと晴己が「人対人」になっていく、はじまりのところという感じですね。
兼森:ここは本当に、読んでいて痛かった。痛かったけれど、晴己自身はちゃんと右哉のことを大事にしてきたし、自分を大事にしてくれる人はお母さんやお父さんじゃなくていい、しんちゃんでも他の人でもいいんだと思える未来が感じられて「よかったー……」と思いました。
名前のない大変さ
───晴己ほどの境遇じゃなくても、「現実を何もかも忘れたい」と思っている子はいるかもしれませんね。
石川:そうですね。つらい環境だと認識されていないような、ふつうの家庭の子でも、つらいさみしい思いをしていることはたくさんあると思います。誰からも同情されないし、「大変だね」とも言われないけど、本人はすごく苦しんでいる……「名前のない大変さ」ってあると思う。だから、私は、それぞれの子にとって切実な「大変さ」に、なるべく名前をつけないままで書きたいんです。
たとえば『わたしが少女型ロボットだったころ』の主人公の少女の症状は、名前をつけるなら「拒食症」なのかもしれない。晴己と右哉は「ネグレクト」されているのかもしれない。でもなるべくそういう言葉は使わないようにしています。
兼森:『拝啓パンクスノットデッドさま』は、唯一の自分の味方であるパンクから、希望を見いだしていく青春小説ですよね。でもその中にはいろんな問題が渦巻いているから、読むことで、ひとつひとつ、名前がつかない感情を「ああ、こういうことなのかも」と自分なりに考えたり受け止めたりできるんじゃないかな……と思います。自身の心と向き合うきっかけになるんじゃないかな。 とにかく音楽シーンもかっこいいし、恋や友情の予感もあるし、兄弟同士の関係性や、繊細な心情描写、スピード感のある文体も……読み心地がすごくいい! 読後感も爽やかさで気持ちいいんですよ。書き手としての石川さんのワザが効いていますよね。
石川:できるだけ10代の子たちに気持ちよく読んでもらいたいんです。なので、「かっこいい」って思ってもらえそうな登場人物や設定を意識してみたり。テーマが読みにくいものであればあるほど、楽しく読んでもらいたいと思って工夫しています(笑)。
10代の自分に、今の自分を支えられている
──『拝啓パンクスノットデッドさま』を何歳くらいの読者に読んでほしいですか?
石川:14歳のためのものを書きたいという思いはいつもあります。内容によってその年齢前後の子が読めるようにと、微調整はするんですけど。基本的には14歳の子が読んだときに、楽しんでもらえたり、何か考えるきっかけになったらいいな、本がその子の“避難所”みたいになったらいいなと考えています。
兼森: 14歳くらいって、将来のことをリアルに考えはじめる、ターニングポイントかもしれないですよね。今、好きなことを仕事にするのは難しいとか、好きだけじゃやっていけないとか言われることも多いけど、私は、子どもたちには夢見ることをやめないでほしいんです。だって、私は、好きなことを強みにすることが、どれだけ自分の人生で大事だったかということを、身をもって知っているから。子どもが世界に立ち向かっていくとき、武器になるのが、「好き」っていうシンプルな気持ちだと思うんですよね。
石川:人から与えられたものではなく、自分で見つけた「好き」は強いと思います。好きなものがある強さ、ってありますよね。
兼森:児童文学でもYAでも一番大事なのは、作品の最後に、未来や希望が感じられるかどうか。子どもたちがどんな境遇に置かれていても、その子たちの人生は、自分たちの力で打破して、前に進んでいけるよ、と伝えられる小説を、私は手渡していきたいです。
人生の最後まで、絶対に「好き」が味方になってくれるよ、と言いたいし、『拝啓パンクスノットデッドさま』をとおしてそれを感じてもらえたらうれしい。生きる希望になる小説だと思います。
石川:現実を無視することはできない。親や家庭環境を、子どもの力で変えることはできないけれど、小さなことにでも見いだせる光があるはずだという思いが、私がYAを書く根のところにあるのかなと思います。
兼森:なぜYAが好きなんだろうと考えると、私自身も10代の一時期、つらかったときのことに行き当たるんですね。塾には友達がいたけど、学校ではうまく行かなくて……でもあのとき感じたいろんな気持ちが私をつくっていったんだ、という確固たる自信が、今、大人になってあるんですよ。つらかったときに助けてくれたものもいっぱいあったし……。
だからその原点を確かめるために、YAを読むんです。10代の自分に支えられているから、今私はがんばれるんだよって思うから。
石川:「名前のない大変さ」の渦中にいるときは、本当に未来がないように思うかもしれないけど、ずっとそこにいるわけじゃないよ、と伝えられたらうれしい。小説を書くことを通じて、どこかにはあるはずの救いや未来を、うまく提示できたらと願っています。
(インタビュー・文:大和田佳世/絵本ナビより転載)