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『レストラン「ドイツ亭」』書評 アウシュビッツと向き合う重み

評者: 藤原辰史 / 朝⽇新聞掲載:2021年04月17日
レストラン「ドイツ亭」 著者:アネッテ・ヘス 出版社:河出書房新社 ジャンル:欧米の小説・文学

ISBN: 9784309208169
発売⽇: 2021/01/19
サイズ: 20cm/378p

『レストラン「ドイツ亭」』 [著]アネッテ・ヘス

 一九六三年、経済復興の槌音(つちおと)が響く西ドイツのフランクフルトにある小さなレストラン「ドイツ亭」。勤勉で近所でも評判の良いコックの父ルートヴィヒ、いつも笑顔でドイツ亭を仕切る家族思いの母ユーディト、妹のためにトランプ占いをしてくれる姉アネグレット、いたずらっ子で飼い犬を愛する弟シュテファン、そして、通信販売会社社長の恋人との結婚を夢見る主人公エーファ。笑顔の絶えない家族が、ある日を境に、現代史の重みによって打ち壊されていく物語である。
 その「ある日」とは、ドイツ戦後史の転換点であるアウシュビッツ裁判だ。ドイツの法廷は、アウシュビッツ強制収容所でポーランド人やユダヤ人に尋常ならざる迫害を加えていた事実を、三〇〇人を超える証人の証言によって明らかにした。ドイツ人のほとんどがあの実態を初めて知った、実在の裁判だ。
 歴史にほとんど関心のなかったエーファは、ポーランド語の通訳者として裁判に参加するうちに、かつて多くのドイツ人が殺害に加わっていた事実を知って衝撃を受け、歴史を知ろうとする。妻は夫に従うべきだという考えで、通訳の仕事をやめさせようとする婚約者に愛想をつかし婚約破棄に至る過程が一つの山場だが、その過程で実は彼の父親が共産主義者でナチスに拷問を受け、心身を病んでいた事実も明らかにされる。
 拷問の実態、収容所到着後の選別、双子の生体実験や注射器での殺害など、怒りを込めて証言する人びとを前に、自分は知らなかったと言い放つ被告人の元親衛隊の男たち。エーファは苛立(いらだ)つが、次第に、優しい父母の、そして幼少期の姉と自分の、悔やんでも悔やみきれない過去までも裁判は明らかにしていく。
 息をのむ展開に時間を忘れ、思わぬ結末に驚く。そして読者は、証言席でも傍聴席でもなく、被告人席に座る人たちに自身を重ね始めるように誘われていく。
    ◇
Annette Hess 1967年、ドイツ生まれ。脚本家としてテレビ・映画作品を手がけ、受賞多数。本書は初の小説。