苦しくても、好きだから書く
―― 幼い頃から本を書きたいとの気持ちが強かったと聞きました。小説を選んだのはなぜでしょうか。
いちばん好きだったから、ではないでしょうか。お気に入りの小説を読んでいると、私もこうやって書いてみたいと思うようになりました。詩を読んでみて書きたいと思ったことはなかったけれど、小説には不思議とそういった思いを抱きました。
――小説家を目指すなかで挫折を感じたこともあったそうですね。
そうですね。練習の時間も、挑戦する時間ももちろん必要でした。公募に何度も落ちました。でもずっと書きたい気持ちがあったんです。どんなことよりもやりたくて、傷ついてもやりたかった。結果に満足できず苦しくても、好きなことだから、今でも書いているんじゃないかと思います(笑)
――どういった作品が好きでしたか。
好きな作品はいろいろあります。幼い頃は『ジェーン・エア』(シャーロット・ブロンテ)が大好きでした。今思えば、好きな要素が多く含まれているように思います。女性が主人公で、自分自身を探すお話です。女性たちとの友情もあり、人生を主体的に生きようとする女性の姿が出てきます。それから、中学生の時に読んだ『アラバマ物語』(ハーパー・リー)は、小説家になりたいと考えるようになった作品の一つです。
――読者の反応のうち、印象的なものはありましたか。
キューバのハバナに3カ月滞在したことがあり、そこで読者の方々と交流しました。「ショウコの微笑」をスペイン語に翻訳して持って行ったのですが、ある女性は亡くなった父が思い浮かんだと話してくれました。私にとって母親くらいの年齢の方でした。彼女は父親が50歳の時に産まれたそうです。父親でありながら祖父のようで、とても愛してくれたと話していました。胸に迫りました。小説を読んで、誰かを思い浮かべることができることを非常に有難く感じました。
「ショウコ」は日本人以外ありえなかった
――チェ・ウニョンさんの作品は、日本でも話題になっています。
2017年に他の作家の方とともに日本を訪れました。同行した先生はたくさんの本を出版されている方でしたが、デビューから10年過ぎて初めて日本で翻訳されたと話していました。こんなにも有名なのに、近くの国で翻訳されない。それほど、韓国文学が日本で存在感がないと知ってかなり驚きました。ですが、2018年に訪れたとき、状況は少し変わっていました。私の小説がほぼ最初に翻訳されたのも日本でした。当たり前のことではないので、とても有難いことです。
――韓国の書店に日本文学コーナーがあるように、最近は日本の書店にも韓国文学コーナーができたり、チェ・ウニョンさんをはじめとする作家のトークショーが開かれたりしています。日本で韓国文学の読者が増えたことをどう見ていますか。
韓国と日本は違いがあり、そして非常に似た文化的な背景がある国だと思います。バックパック旅行に出ると宿でいろんな国の人たちと出会いますが、いつも話がいちばん通じるのは日本から来た人たちです。宿では韓国人と日本人でよくビールを飲みます。東アジアの文化的な共通点でしょうか、口に出さなくてもお互いに背景を分かり、互いを理解できる部分がたくさんあって不思議でした。
――「ショウコの微笑」が日本で話題になったのは、日本人が登場するのも理由の1つだと思います。主人公ソユが終始意識し続ける相手は、なぜ日本の地方に住むショウコだったのでしょうか。
書いたときは意図していませんでしたが、今思えば、ショウコは日本人でしかありえなかったと思います。近くにありながら、遠い感覚。日本は他の外国とは違い、理解できるようで、絶対に分からないような国という感じがします。
――その距離感が「ショウコの微笑」のテーマですね。
祖父の世代に植民地支配があり、反感も強いですが、1990年代後半からは日本の文化が韓国に入ってきて、私たちは日本の小説や映画にたくさん触れてきました。歴史的にも絡み合って地理的にも近いのに、文化交流が盛んになったのはここ数十年です。知りたくて気になる。複雑で特別な存在だと思います。メキシコやオーストラリアなら、他人のように接することができるし、中国人、ロシア人だとこういった感じは出なかったでしょう。
――「ショウコの微笑」の主人公ソユが、自ら背負いきれない夢を見て葛藤する姿は、まるで自分のことのように読みました。若い世代が夢を見られない社会は、日韓に共通する課題でもあります。
私には小説家になりたい、本を出版したいという夢がありました。友人もそれぞれに夢があったように思います。でも、いまの20代の現実はとても辛く、夢は贅沢な言葉になってしまった。すぐ就職しなければならず、いま借金を返さなければならず、今を生きなければいけない。若者に「夢は何?」と尋ねることは、ともすれば暴力的ですらあります。そんな社会になってしまったのはとても残念です。
――チェ・ウニョンさんの作品は、家族の難しさを描いた作品が多いのが特徴です。儒教的価値観や家父長制を基盤にした「家族は大切だ」と考える社会で、分断され傷ついた人は、韓国だけでなく日本でもよく見られるのではないでしょうか。
思うに、満足していなくて、怒っているから小説を書くのだと思います。小説で描かれる家族に、とても幸せで欠点のない家族はほぼないでしょう。私の作品は「強烈に書いていない、あまりに優しすぎる」という批判をたくさん受けました。それが韓国文学の特徴と言えるのかもしれませんが。
「他者を深く理解する」フェミニズムの視点
――物語はドラマティックに進まなくても、内面で大きな変化があったり、もしくは変われなかったり、パワフルな作風だと感じます。原点は何ですか?
大学生の時に学内のフェミニズム誌で2年ほど活動しました。フェミニズムが何なのかも分かっていなかったのですが、学内誌の文章の視点がとても良く、私もこんな風に書いてみたいと思って、フェミニズム的な観点を学びました。
私は、フェミニズムとは他者を、深みをもって理解できる道具のようなものだと思います。私たちは他人の内面に何があるかをしっかり考えず、たやすく規定し、判断して、偏見を持ってしまう。若い女性、おばさん、おばあちゃん、お母さん……。そういった言葉で相手を一くくりにするのは暴力的だと思います。本当にこの人は「母」という言葉だけで理解できる人なのだろうかと、改めて考えるのがフェミニズム的な視点だと思います。
学んでいくうちに、自然と注意深く繊細に書くようになりました。人間をあまりにも安易に書いてしまわないように、少しでも考えが深く及ぶ方法で書かなければいけないと悩みながら書いています。
―― チェ・ウニョンさんの作品は、人間の弱く醜い部分を真正面から捉え、仔細に描いています。ある種の覚悟も感じられますが、心の支えとなるものは何ですか。
正直でいたいといつも思っています。なので、SNSもやりません。まっすぐに、正直な文章を書きたいから、そうしてこそ誰かに心から近づけると思うからです。素敵な言葉で自分を飾って書くこともできるでしょうけど、いつも心に響くのは弱点や短所を書いたものでした。
他人が私のことをどう思うか、母が私をどう思うか――。私も人間として社会で生きなければならないので、恐いけど、勇気を出そうと思います。いま私がこうやって書いているものが最後になるかもしれないのに、正直になれなければ、作家として悔いが残るかもしれない。まだ恥ずかしくもありますが、少しずつ、これは出来ないと思った話まで書いていきたいと思っています。
――社会で生きていかなければいけないということは、正直でいられない要素の1つではないでしょうか。社会のあちこちに女性嫌悪やセクハラはありますが、その場で指摘するのはとても難しいです。厳しい現実のなかで生きる女性たちにとって、チェ・ウニョンさんの作品は励みやいたわりになると思います。
韓国と日本は経済的な発展に比べて人権問題がとても遅れていて、特に女性の地位がとても低いと思います。私たちにとっては当たり前のことが、世界的な常識からはあり得ないことも多いと感じます。
韓国について言うなら、5年単位、またはそれよりも短いスパンで変わっているように思います。今は私が20代の頃よりもっと進歩的で、人権への感受性があります。暴力的な言動をとっても何事もなかった、以前の状況とは違うように思います。皆が敏感になり、教授が学生への発言で職を失う可能性があり、会社員も職場や取引先を失うかもしれない。男性もそうした発言を受け入れない文化が広がりつつあると思います。勇敢な人がいて、良心というものがあるから、状況は良くなっていると思います。
――私もそんな出来事があり、痛感しています。正直でいられなかった事実が自分を傷つけます。
そうした行為をする人たちは相手が反撃できないと分かっています。女性であっても、自身より力や権力がある相手だったらやりません。自分を厳しく責め立てないでほしいと思います。自身に温かく、愛情深くいてほしい。子どもに対して、「おまえ馬鹿か?」などと声をあげて厳しく叱責することを考えると、ひどいと思いませんか。相手が自分自身だからという理由で、そんなことをしていいのかと思ってほしいです。
――作品では、経済的格差など人々を分断する要素が日常のどこにでもあること、自身が他人を傷つける存在であることを描いています。大切でかけがえのない人たちを苦しめ、傷つけられることもありますが、人間らしい関係を諦めないという強い思いを感じます。
基本的に、自分を傷つける人が他人を傷つけると思います。自分を愛せば、多くのことが解決するのではないでしょうか。
私もかつて、ある人を憎み嫌っていたことがありました。あの人は虚栄心が強い、なぜ見栄を張るのか、といった具合に。優しく接することができなくなり、必然的に関係は悪化します。時間が経って思うのは、そのとき私自身の心が苦しかったんです。鏡を見るように、相手に自分自身を見ていたのだと思います。自分の虚栄心に我慢できなかったのでしょう。
自分が苦しくて、自分を愛せていないとき、受け止められない姿を他人に見出して相手を嫌う。でも、実は自分を嫌っている。最近は、この人いやだなと感じたらすぐ自分を省みます。その人のどこが私を刺激したのか、心にどんな問題があるのか。すると答えがあります。不安だったり、幸せでなかったり、悲しかったり。自分を発見し、学べる貴重な機会だと思うようにしています。
初の長編小説を刊行予定
――現在、長編小説に取り組んでいますね。短編との違いや難しさはありますか。
はい、韓国で近く発売予定です。初めて書く長編小説です。短編小説だと辛くても2カ月で終わるという希望がありますが、長編小説はとっても苦しいのに、終わらないんですよ。11カ月、季節は変わっていくのに、縛り付けられているようで。けれど、書くのは長編の方が私に合っていると思います。短編は無駄なく、すっきりしていなければならず、細かい描写すべてに意味を込める必要がある。最後に大幅に削らなくてはならず、いつももどかしく感じていました。長編は心のまま、書きたいようにすべて書けるので、ずっと自由で気楽です。
――どういった内容なんですか?
韓国で曽祖母、祖母、母、娘がどう生きてきたか。始まりは植民地時代で、女の子はどう暮らしていたのか。歴史的な状況が個人に少しずつ影響を与えて、いま生きている「私」という人、私と似ている年齢の「私」までつながる、4代にわたる女性たちのお話です。
――長編小説を読む日を楽しみにしております。ありがとうございました。
ありがとうございました。
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