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「わたしに無害なひと」 明るく傷つきやすい心をすくう 朝日新聞書評から

評者: 温又柔 / 朝⽇新聞掲載:2020年07月11日
わたしに無害なひと (となりの国のものがたり) 著者:チェ・ウニョン 出版社:亜紀書房 ジャンル:小説

ISBN: 9784750516417
発売⽇: 2020/04/22
サイズ: 19cm/342p

わたしに無害なひと [著]チェ・ウニョン

 わたしは大した人間ではない。この人も、ほんとうのわたしを知ったなら、きっとわたしのことなど見捨てるはずだ……それが怖くてたまらず、自分の心を偽ってでも、親愛なる人ともっと深い関係がはじまることを自分から拒否してしまう。それなのに「もし時間を巻き戻せるなら」、願わくば、自分が受けとめ損ねた「愛」を差し出されたあの瞬間に戻りたいと切に思う。
 さんざん傷ついてきたからこそ、せめて自分だけは他の誰かに「苦痛を与える人」にはなりたくないと思う。しかしその実、自分が二度と傷つかないように自衛することにも慣れてしまった人物たち。彼女や彼のそうした繊細な心の揺らぎが、狂おしいほど淡々と描かれた七篇の物語である。
 初恋の人、幼なじみ、特別な友だち、早くに母親を失った姉妹、血の繫がりのない叔母と姪、異国で出会った人……全篇をとおして、剝(む)き出しの幼い心が世界に直に晒(さら)されるときの危うさと、無防備な明るさが漂っている。
 傷つけられてきた人々の傷つきやすさを直視するしなやかな強さをたたえた著者のまなざしは、前作『ショウコの微笑』から変わらない。今作でも、「何事もなかったように三十歳のハードルを越え、最初からずっとその年齢で生きてきた人みたいにしらばっくれる」ことができず、いつまでも「未成年」だった頃の無力さと心細さから逃れられない人たちの細やかな感情を掬(すく)いあげている。その一つひとつを辿(たど)るうちに懐かしい痛みを伴うこちらの「過去の記憶」も疼(うず)く。
 作中人物たちが置かれた状況の背景には、著者が生まれ育った韓国固有の文化や、それを歴史的に支えてきた社会の構造が透けて見える。月に一度は行われる親戚総出の祭祀、男子に課せられた兵役、政治集会……とりわけ、「家父長制」意識の高い親から重んじられる兄や弟のかたわらで、心身ともに「搾取」される姉と妹たち。個人的な痛みの底には、社会の歪みが必ず見え隠れする。
 「自分をぞんざいに扱うのが大人になるってことだと思ってた」
 七篇の物語をとおして、声高にではなく、むしろ、どちらかといえば小さすぎるほどの声で、著者は問いかける。どうしてわたしたちの多くは、いつのまにかそう思い込まされてしまうの? まだ、まにあう。
 「真面目にじゃなく自由に生きて」
 そう、あなたのことを、「大人の都合で」あたりまえのように軽んじる人たちを喜ばせるような真面目さなど、あなたがあなたの人生を生きてゆくうえでの「害」でしかない。
    ◇
 Choi Eun-young 1984年生まれ。2013年、作家デビュー。若い作家賞、ホ・ギュン文学作家賞、キム・ジュンソン文学賞など韓国で受賞多数。本書は韓国日報文学賞を受賞。共著に『ヒョンナムオッパへ』。