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堀辰雄「風立ちぬ」 戦争の時代に描かれた限りある生の姿

ほり・たつお(1904~53)。小説家

平田オリザが読む

 スタジオジブリが同名の長編アニメを創ったので、この題名は若い世代にも広く知られるところとなった。宮崎アニメは、この小説を背景にしながら、作者堀辰雄と、零戦の設計者堀越二郎の前半生を重ね合わせ、戦争と科学技術の葛藤や相克を描く複雑な構造になっている。

 一方、小説『風立ちぬ』には戦争の影はほとんど見られない。刊行は一九三八年。

 この連載で見てきたように、すでに小林多喜二のような立場をとる小説家は作品の発表さえ許されず、谷崎潤一郎のように超然とするか、岸田国士のように戦争協力に走るか以外に文学者の選択肢はなかった。

 この前年、林芙美子は南京攻略戦に新聞特派員として帯同。三八年には火野葦平の『麦と兵隊』がベストセラーとなる。

 本作は、若い男女の出会いから死別までの短い時間が描かれている。その主要な部分は高原のサナトリウムで療養を続ける婚約者と、それを看病する「私」の淡々とした描写やたわいもない会話によって構成される。しかしその描写が淡々としていればいるほど、限りある生を懸命に生きようとする二人の姿が浮き彫りになってくる。「皆がもう行き止まりだと思っているところから始(はじま)っているようなこの生の愉(たの)しさ」を二人は感じていく。

 「冬になる。空は拡(ひろ)がり、山々はいよいよ近くなる。その山々の上方だけ、雪雲らしいのがいつまでも動かずにじっとしているようなことがある。そんな朝には山から雪に追われて来るのか、バルコンの上までがいつもはあんまり見かけたことのない小鳥で一ぱいになる」

 堀辰雄の風景描写は比類がないほどに美しい。国木田独歩『武蔵野』から四十年が過ぎ、近代日本文学の描写の文体は、ここにある種の到達点を見せる。

 本作には戦争の影はないと書いた。しかし戦場に赴く若者たちがこの小説を読み、「生の有限性」と、その中で生きる意味を必死に模索したことは想像に難くない。=朝日新聞2021年6月19日掲載