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「地中のディナー」書評 和平の未来へ文学的想像力注ぐ

評者: 江南亜美子 / 朝⽇新聞掲載:2021年06月26日
地中のディナー (海外文学セレクション) 著者:ネイサン・イングランダー 出版社:東京創元社 ジャンル:欧米の小説・文学

ISBN: 9784488016784
発売⽇: 2021/04/28
サイズ: 20cm/281p

「地中のディナー」 [著]ネイサン・イングランダー

 砂漠の独房に囚人Zがいる。そのZを1人で見張り続ける看守がいる。収監はすでに長期に及ぶ。将軍がいる。彼は昏睡(こんすい)状態にあり、成し遂げたあるいは成せなかった歴史を回想する。2002年と14年を往還し短い章の集積で物語は進む。Zと将軍の関係とは。そんな謎めいたミステリーのムードで始まる本書は、いまも紛争の続くイスラエルとパレスチナとの積年の対立が、物語の背景にある。
 ユダヤ人の歴史は、ナチス・ドイツによるホロコーストをその極まりとして、受難と迫害の連続だ。安定の地を求めたイスラエル建国という大転換も、パレスチナ先住のアラブ側からすれば、ナクバ=大災厄と呼ばれる、故なき迫害となった。エルサレムを中心にした人口過密なひとつの土地を、多様な宗教(ユダヤ教も一枚岩ではない)を持つ多様な民族が、共同的かつ平和裏に統治することは絶対に不可能なのか。本作はその問題に文学的想像力というリソースを注ぎこみ、答えを導いた小説だ。
 著者は、ニューヨーク州の正統派ユダヤ教徒の共同体に生まれ、厳格な戒律と伝統を守る青年時代を過ごしながら、観光で訪れたイスラエルで、宗教への懐疑と外部的視座を手にした作家である。こうして引き裂かれた彼のアイデンティティーは、本書の色彩をどこか中立的にしている。宗教的対立のテーマは後景に退け、政治と歴史に翻弄(ほんろう)されたこの地の人々の営みを仔細(しさい)にとらえること。
 物語は終盤、ある恋の様相を描く。ガザ国境をまたぎ離れ離れの恋人たちが、地下トンネルを密会に使えればと夢見るのだ。「僕は閉じ込められた男なんだ。それに恋する男でもある」
 シリアスな歴史問題に、スパイ小説と恋愛小説のスパイスを混ぜた本書は、この地の永久和平への切実な祈りとも読める。こんがらかってほどけない過去の時間から抜け、未来をどう構築するか。見通しなきいまこそ読みたい小説だ。
    ◇
Nathan Englander 1970年生まれ。米国の作家。『アンネ・フランクについて語るときに僕たちの語ること』。