1. HOME
  2. コラム
  3. ひもとく
  4. 追悼・澤田隆治さん 喜劇人たちの思いを歴史に残した限りない愛 作家・大島幹雄

追悼・澤田隆治さん 喜劇人たちの思いを歴史に残した限りない愛 作家・大島幹雄

テレビ・ラジオプロデューサーの澤田隆治さん(1933~2021)。「てなもんや三度笠」「花王名人劇場」など多くの番組を手がけた=08年撮影

 5月に亡くなった澤田隆治さんは生涯、喜劇と共にあった。敗戦後、朝鮮から引き揚げてきた澤田さんは、富山県高岡市の親戚に預けられる。両親と離れ友だちもいない孤独な少年時代を慰めてくれたのは、エノケン(榎本健一)やロッパ(古川緑波)、そしてアメリカの喜劇映画だった。これが喜劇と向き合う原点となる。大学時代は故・脇田晴子と共に日本史の高尾一彦教授の指導を受け、淡路島の蔵に眠っていた古文書調査をする。この時書いた卒論「淡路における請山制山林経営」は『兵庫県史』に所収されたことからもわかるように、澤田さんの歴史研究は筋金入りだった。愛する喜劇を歴史に残そうと、番組づくりの激務の中、書き続けた。

足跡追い求めて

 『決定版 私説コメディアン史』は、置き場がなくなり4度も引っ越しするほど集めた新聞、雑誌、台本、パンフレット、チラシを読みこなしながら、昭和の喜劇人たちの生きざまを掘り起こしたものだ。共に仕事した彼らの素顔も浮き彫りにし、いかに必死に笑いをつくろうとしていたかを描き出す。あとがきで、大衆の中から生まれた喜劇に歴史はいらないという考え方もあろうが、それは違う、喜劇人たちが歩んだ道のりのなかに「記録されてしかるべき立派な歴史」があると書いているように、喜劇人の思いを歴史に残そうとしたのだ。

 この後も『決定版 上方芸能列伝』(ちくま文庫・品切れ)や『私説大阪テレビコメディ史 花登筐(はなとこばこ)と芦屋雁之助(がんのすけ)』(筑摩書房・2420円)と書き続けた評伝の最高傑作となったのは、昨年出た『永田キング』だ。エノケンと同時代を生き、吉本興業の看板スターとして一世を風靡(ふうび)した永田キングを知っている人は、どれだけいるだろう。小林信彦の名著『定本 日本の喜劇人』で2行しか紹介されていない幻の喜劇人の足跡を、ゼロから追う。キングのおいの住所を突きとめ、新幹線に乗っていきなり京都の家を訪ね、その後、父キングと一緒にコントをしていた子供たちと会うところに、澤田さんの興奮ぶりが伝わる。ここで得た証言、さらには劇場で内輪に配られていた出番表を探し出し、永田キングの生涯を見事に明らかにしたのだ。

大衆芸能の粋を

 忘れられた喜劇人を掘り起こし続けた澤田さんを支えたのは、自分が生きた昭和の芸能を歴史として残し、後世へ伝えたいという思いである。それが込められた一冊が『笑人間』上巻(中・下巻は未刊)だ。漫才ブームを生み出したテレビ番組「花王名人劇場」10周年を記念して発刊された、千ページを優に越えるこの大著には、番組の基本データ、公開放送のとき来場者に配布したパンフレット、雑誌や新聞に掲載された記事などが網羅されている。この番組は、鍛え抜かれた芸を紹介するという高い理想を掲げ、漫才だけでなく喜劇、マジック、色物などあらゆる大衆芸能の粋を集めたものだった。

 残し伝えるためなら映像だけでいいかもしれない。あえてこうした本をつくったのは、「その映像がどういう考え方でつくられてきたのかの記録を伴っていなければ単なる古い映像にすぎない」と書くように、澤田さんは活字の力を信じていたからだ。不遇な芸人の話になると「残さなあ、かわいそうやないですか」と、よくおっしゃっていた。歴史からこぼれおちていた喜劇人の足跡を記録し残そうという思いの底には、限りない愛があった。喜劇をなりわいに懸命に生きた芸人の姿を知る澤田さんだからこそ書けたものばかりである。こうして喜劇人は、歴史に刻まれ、人々の記憶の中でも生きることになったのである。喜劇と寄り添い続けた澤田さんにしかできないことだった。=朝日新聞2021年6月26日掲載