1. HOME
  2. コラム
  3. 滝沢カレンの物語の一歩先へ
  4. 滝沢カレンの「薬指の標本」の一歩先へ 思い出を保存する標本室で、〈わたし〉が集めているものは

滝沢カレンの「薬指の標本」の一歩先へ 思い出を保存する標本室で、〈わたし〉が集めているものは

撮影:斎藤卓行

わたしは標本室で地道に働いている。

標本室の仕事は、とても楽しい。
色んな人が、各地から、自分の思い出を持ち寄ってくれるのだから。

例えばある男の子は、セミの抜け殻を持ってきた。
夏休み中を使って毎日、食べる暇も惜しみセミの抜け殻を集めたそう。

なんと320個もあった。
その一夏の思い出をわたしは標本にし、湿度や温度を完璧にしながら生涯保存していく。

それがわたしの仕事。

ある女の子は、さくらんぼの種をもってきて標本にしてほしいとやってきた。
さくらんぼを一億粒食べるのが夢だそうで、記録に残したいという話だ。
765粒の種をまとめるのには、3日もかかった。

こんな風にありとあらゆる理由や夢をかかえて、日々標本室に人はやってくる。
わたしはこの仕事が楽しくてたまらない。

だって初めましてで、大して話もしたことない人の趣味や夢が覗けるのだもの。
ワクワクしてたまらない。

今日は、自分が今まで使った絆創膏を標本にしてくれというお客がきた。
なんとも変わった人だ。

自分が人生でどれだけの怪我をしたかを老後の楽しみにしたいのだとか。
使用済みの絆創膏がたくさんジップロックに詰められていた。
ゴム手袋を3枚重ねて作業したが、それでもなんだか鳥肌もんだ。

でもこれも、あの彼の人生なのか、あまり否定することはしないようにするのもこの仕事の大切なことだ。
生まれ変わったら私も絆創膏を集める人生を送っているかもしれないから。

そんな毎日を送っているわたしにも実は集めているものがある。

誰にも言わずに、密かに集めているのは"薬指の標本"だ。
薬指の標本と言ったって、一体なんの標本だ? なんて思うはず。

わたしは、恋人たちの薬指を集めている。
これを始めたのは、18歳の頃だった気がする・・・・・・。

絵:岡田千晶

【第1章】たけし

わたしは恋愛下手で、18歳になるまで付き合ったことがなかった。
でも恋愛体質なわたしは、記憶の中では4、5歳から好きな人が途切れたことがない。
だけど、"好き"には一方的になるだけで、気持ちはいつまでたっても伝えられずにいた。

だからか、18歳の初彼の時は思いが爆発してしまった。

初の恋人の名は、たけし。

好きで好きでたまらなかった。
たけしは背が173cmの細身、パチンコ屋でバイトをしていた。

わたしとたけしの出会いは、ありきたりな合コンだった。
わたしは一目で好きになり、たけしも私をデートに何度か誘ってくれた。

自分が思っていたよりトントン関係は進んだ。
たけしは出会って1週間で告白してくれた。

こんな幸せはなかった。
きっともうこんな好きな人とは出会えないし、わたしはこの人と結婚するんだと思っていた。

お付き合いがスタートすると、たけしへの愛は加速し続けた。
たけしのバイト先まで送り迎えは当たり前、毎日会いたかったからたけしの一人暮らしのおうちに通い、朝昼晩全てのご飯を作り尽くしていた。

3ヶ月くらいたち、たけしはバイトが忙しいからデートがなかなかできなくなると言い出してきた。
どん底に手がつきそうなくらい辛かったが、たけしに嫌われることが世の中で1番恐ろしいことだったのでわたしはいい彼女になりきった。

デートは月1、2回。
そしてデート時間もお昼ご飯だけ、など数時間しかたけしに会えなくなった。
「大人の恋愛ってこういうことか〜」と恋愛本を読み漁りながら、自分のいいように受け入れていた。

でも4ヶ月目、メールが8通に1回しか返って来なくなる。
「大好きだよ」と送っても、「おやすみ」と言われるようになった。

辛い、悲しい、嫌だ、好かれたい、戻りたい、という思いばかりがわたしの頭を駆け巡る。

わたしは当時、駄菓子屋でバイトをしていたが無断欠勤が増え、たけしからついにメールが完全に来なくなった4、5ヶ月目、わたしはバイトを無断退職した。

電話はいくらしても、留守番電話。
たけしとの通信手段はなくなった。

わたしはたけしの自宅に行った。
バイト先にも行った。

5日間待ち続けた。

5日目、たけしが自宅に現れた。
わたしは嬉しくて嬉しくてたけしに抱きついた。

それがたけしと会った最後の日だった。

そして、わたしはまたひとりになった。

【第2章】さとむね

恋愛体質であるため、一目惚れしやすく、大失恋した割にはすぐにまた空いた穴を男で埋めた。

わたしの2人目の彼は、IT企業に勤める12歳も年上の彼だった。
たけしとの恋愛が終わり1ヶ月後のことだった。

名前はさとむね。

さとむねは、とってもマメで優しかった。
とにかく毎日連絡をたくさんくれて、嬉しかった。

「何してるの?」
「今日も会いたい」
など年上の割には甘えん坊で、わたしはまたすぐ幸せの限界にいた。

もう二度とこんなに幸せにしてくれる人とは出会えない、きっとわたしはこの人と結婚するんだと思っていた。

さとむねの愛の強さに負けまいと、わたしはさらに強い愛情でさとむねに接した。
仕事の飲み会や会食にも、帰り時間をどこかのカフェで時間を潰しお迎えしていた。

さとむねにある日、「仕事の飲み会の時はおうちにいてほしい」と言われた。
きっとわたしに迷惑かけたくないんだろうな、なんて優しいのだろうと、わたしは思った。

さらに愛を感じたので、わたしはまた愛情を返したく、出勤中に何回も電話をしてあげた。
喜んでくれるに決まっていると思ったが、さとむねは電話に出なくなっていった。

するとある日メールで「もう別れてほしい」と突然メールがきた。

わたしは頭が真っ白になる。

無我夢中でさとむねの会社にいき、また何十時間も待っていた。

夜20時、さとむねが会社のビルから出てきた。
わたしはさとむねの顔を見ると駆け寄っていき、背中から抱きついた。

いつも優しいさとむねが、「やめろ!!」と私を振り解いた。
わたしがよろけて地面に転ぶと、そこには理解に苦しむ光景が流れた。

さとむねは、とある女性と子供を見つけ走っていった。
とても親しげに子供と抱きつき、抱っこしていた。
女性は自然にさとむねの腕に手を回した。

わたしは身体の動くままさとむねに向かって走っていった。

それがさとむねとの恋が終わった日だ。

【第3章】ゆうぞう

わたしはまたとある飲み会に参加した。
男女10人の大人数の飲み会だった。

わたしは浴びるようにお酒を飲み、その会を楽しんでいた。
カラオケをたらふく歌い、酔った勢いで1人の男性と抜け出した。

その彼がわたしの3人目の彼氏になる。

彼の名はゆうぞう。

職業は、有名和菓子屋の職人をしていた。
わたしより3歳年下で可愛らしい目をしていた。

毎日朝から夜まで休みなく働き詰めな彼は、この日は3年ぶりの休みだった。

「君に会えて僕は幸せだよ」
ゆうぞうは呂律があまり回らない言葉を口にした。

わたしも酔っていたが、きっとシラフでもゆうぞうを好きになっていたと思う。

そしてわたしとゆうぞうは自然な流れで付き合うことになった。

わたしはさとむねと付き合っていたとき、無職だったが、ゆうぞうと出会ったときは新聞配達の仕事をしていた。
ゆうぞうには、大手会社の受付をしている、と言った。

新聞配達の仕事は朝3時起き。
でもゆうぞうの仕事も朝4時から始まるため、早朝の生活リズムが合い、運命を感じていた。

朝から連絡が取れるのは、ほんとうに幸せだ。

きっとわたしは、この人結婚するんだと思っていた。

ゆうぞうは本当に毎日忙しく、日中は連絡が全然取れなかった。
いつも21時15分に「仕事が終わったよ」と連絡をくれるから、わたしは安心して待てた。

だけど、わたしは日中仕事がないため溢れる気持ちをいつも長文にしていた。
読んだらきっとゆうぞうは幸せって思うはずと思い、毎日3通の愛情深い長文メールを送っていた。
ゆうぞうは、その返事はいつも仕事終わりの電話で伝えてくれた。

職場と自宅の行き来の忙しいゆうぞうに会うには、わたしが和菓子屋に行くしかなかった。

わたしは初めのうちは週に1回和菓子屋に行き、たくさんのゆうぞうが作った和菓子を同僚の差し入れにと言い、買い占めた。
「これがゆうぞうがわたしのために作った和菓子か」と幸せに浸りながら、わたしはひとりで食べていた。

その時は、新聞配達で入ったお金は全て和菓子を買い占める資金になっていた。

わたしは1週間に1回じゃ物足りなく、そのうち、1週間に3回、4回、そして1日に3回、和菓子屋に行くようになった。

「無理しなくていいからね、君も仕事があるんだし」とゆうぞうから電話で言われた。

「何言ってるの? 無理なわけないじゃん。これが幸せなのに、嬉しくないの?」とわたしは思った。

でもゆうぞうはきっと優しさで言ってるんだと受け止め、わたしは回数を減らすどころかさらに和菓子屋に通った。

ゆうぞうは、わたしの存在を和菓子屋のお店の人には言っていなかった。
わたしはゆうぞうのストーカーと勘違いされ、お店に行ってもゆうぞうに会わせてもらえなくなった。

「なんで彼女って紹介してくれないの?」とゆうぞうに問うても、「職場だから気まずい。もう来なくていい」と明らかに冷たくなった。

わたしはまた辛くて心臓を破壊されそうだった。

「嫌われたくない」

頭の中はそれしかなかった。

わたしはどうしたら自分を彼女と紹介してもらえるか考えた。
和菓子屋に行くことをやめてしまえばわたしたちは会える隙間がない。
でも和菓子屋に行ってもゆうぞうには会わせてもらえない。

わたしはゆうぞうの仕事が終わるまで和菓子屋の近くで待った。
ゆうぞうはその頃からもう、仕事終わりのメールはくれなくなった。
だから職場から出てくるのを待つしかない。

21時25分、ゆうぞうは職場の仲間らと出てきた。
みんなで他愛もなく笑いながら何かを話している。

「何を話しているんだろう」
気になって仕方がない。

だんだん距離が縮み、会話が聞こえてきた。

「ゆうちゃん、そろそろ彼女作りなよー」
「いい人紹介しますよ!」
「え! してください。はやく家族ほしいんです」

という声が聞こえてきた。

ゾッとした。

わたしが彼女なのに。

それをみんなに教えなきゃと。

わたしはゆうぞうに向かって走り寄った。

「ゆうぞう!」と抱きついた。

それがゆうぞうとの恋が終わった日だった。

【第4章】わたし

わたしはまたひとりになった。

また顔を変えなくちゃいけない。
また引越ししなきゃいけない。

またわたしの穴を埋めてくれる彼に出会わなければいけない。

わたしは血だらけの指を持ちながら、夜の街を歩いていた。

お話しした男性はほんの一部。

わたしの標本には、わたしの心の穴を埋めてくれたのに、またぽっかりと穴を作った男たちの薬指が並べられている。

2度と誰かとの結婚指輪が入らないように。

わたしを傷つけた分、わたしも傷をつける。

そしてわたしは新たな人生を歩くために、たくさんのわたしがいる。
顔も名前も変えて。

標本の中には、わたしを愛した男たちの薬指が綺麗に今日も並んでいる。
これを眺めることがわたしの幸せなのだ。

(編集部より)本当はこんな物語です!

 飲料工場に勤め、サイダーを作っていたわたしは、あるときベルトコンベヤーに指をはさまれ、左手の薬指の先を失ってしまいます。工場を辞め、行くあてもなく街に出ると、古いマンションの門に標本作製の手伝いを求める貼り紙が。そこでは研究のためでも、展示のためでもなく、希望する人たちのために標本を作り、保存していました。その受付として働くことになり、仕事にも慣れていくなか、わたしは標本を作る弟子丸氏と関係を持つようになります。さまざまな依頼者に出会い、標本室の輪郭がおぼろげに見えてくるなかで、わたしは自分のための標本を作ろうとします。

 小川さんの短編は、美しく、けれど、毒がひそむ世界を、描ききらないことで読者にゆだね、手渡しています。カレンさんが描く猟奇的な主人公が、実は小川さんの作品の主人公だったのかもしれないと思う余地も残されています。小川さんの短編の多くは、あらすじを語れば語るほど作品世界から遠ざかっていくような気がします。