立花隆は、その生涯において100冊を超える書を刊行している。むろん私はその全てに目を通しているわけではないが、大別すると3分野に分かれるのではないだろうか。「生と死」「人と神」、そして「時代と自己」である。
初めに断っておくと、私は立花を同年代として稀有(けう)の著述家、あるいは思想家、時代証言者だと思っている。理由は簡単である。事象に対する分析の土台が人類とかヒトであるからだ。立花隆という主体は、二義的であり、時に人類とかヒトという大きな視点と立花個人が衝突している点に特徴があるやに思う。この重層性(二重構造)というのは、歴史的偉業を成し遂げた者の勲章ではないか。
次代の手引きに
立花の『宇宙からの帰還』は、日本だけのノンフィクションではない。人類が宇宙に出ていく時代の記念碑的作品である。人類の新しい変革の開拓者になった宇宙飛行士たちは宇宙で何を見たのか、何を考えたのか、そしてなによりも人類史が作り上げてきた諸々(もろもろ)の仮説は正しかったのか、神の存在をいかに受け止めたのか。この書は多分人類の次の時代の手引きになっていると言えるのではないだろうか。
この書の「むすび」で立花は書いている。「人類の肉体がこれまで知らなかった宇宙という新しい物理的空間に進出することによって、人類の意識がこれまで知らなかった新しい精神的空間を手に入れるであろう」。それは、彼の宇宙飛行士たちへのインタビューからつかめる。この書は前述の立花の3分野の全てに関わる古典に転じていくであろう。
立花は、自分が生きている「今」まで、人類は哲学、思想、死生観などをどこまで発展させたのか、を全て頭に入れたいと考える。そしてある部分については、それを整理し、さらに発展させようと考える。そういう書が『臨死体験』である。このテーマは、立花が死への恐怖心から出発したと明かしてもいるのだが、臨死体験の2説(現実体験説と脳内現象説)を詳細に調べつつ、死生観が変容したり、補完されたりする人類史のあゆみが説かれている。
「生きてる間は生きることについて思い悩むべきである」。最後の一文に表れた、私たちの人生の思考を形にするという、この膨大な書の試みに感動が起こってくる。立花の書が持つエネルギーは、まさに生きていることの証しだったということになるのであろう。
戦争体験を継ぐ
立花の作品の中には、「時代と自己」という分野の書が何冊かある。主に30代から50代の頃に書いたのではないだろうか。田中角栄から始まり、中核と革マル、共産党研究、さらにはロッキード事件、自らの読書体験記や文明論などもこの枠内に収めていいであろう。そういう中であえて、60代に書いた『天皇と東大』を取り上げたい。日本の近現代史について、立花は自らの筆で整理しておこうという意思があったのだろう。立花はこれをまさに取材ノートのように著したのではないか。多分これを第一陣として次作も考えていたように思う。
とはいえこの書は、近現代史の中で「初の帝国大学」に課せられた憲法と国史の二本柱をめぐる抗争をきちんとまとめている。私は立花から本書の感想を求められた。やはり、近代日本の知識人と立花個人の葛藤という視点の重層化が感じられた。
最後に補足しておきたいのだが、立花は戦後民主主義の第一期生として、戦争体験の継承を強く自覚していた。私は同年代のよしみで共鳴、共感していた。4番目のジャンルとして確立していく時間があったなら、との思いがある。残念である。=朝日新聞2021年7月24日掲載