「共感覚」を持つ2人の出会い
主人公は、音や数字、文字などに色が見える現象「共感覚」を持つ少女と少年。物語は“私”の目の前で投身自殺を遂げた“彼女”の変わり果てた姿という衝撃的な描写から始まり、私と彼女の10年前の出会いへとさかのぼっていく。私は当時、私立の小中一貫校に通う小学3年生の少年。音や数字が色に見える特殊な知覚を持っていることもあり、クラスに馴染めず、家にも居場所がなかった。唯一安らげるのは音楽室で、ある日、そこで中学3年生の少女と出会う。彼女は共感覚の持ち主で、少年の特殊な感覚もそうだと教えてくれた。2人が持つ不思議な感覚は、周囲の人には理解できず、奇異な目で見られることが多い。私の目から見た少女は檸檬色に見えることから、少年は彼女のことを「檸檬先生」と呼ぶようになる。
珠川さんは小学2年生の頃から小説を書き始め、高校受験で忙しくなって一時執筆を中断。高校入学直後に、加藤シゲアキの『ピンクとグレー』を読んで、「また小説を書こう」と思い、長編に挑戦。この作品は、珠川さんが高校2年の終わりから3年のはじめにかけて執筆したという。
「小学生の頃は短いものばかりを書いていたのですが、高校に入って時間ができたので長編に挑戦してみようと思いました。最初に作った長編を小説現代長編新人賞に応募し、これが2作目の作品でもう一度応募しました」
鮮やかな色彩表現
作品を構想していく中で、さまざまなテーマを模索していたところ、共感覚のことを知り、物語に取り込もうと思ったという。共感覚はそれを持つ人自体が少ないため、あまり研究も進んでおらず、未知なことも多い。
「自分の知らないものを表現するということで、いろいろ調べたのですが、資料自体がなかなか見つかりませんでした。もしかしたら共感覚の人がこの小説を読んだらたぶん違うと思われるかもしれませんが、ちゃんと向き合って、想像力を膨らませて頭の中の映像を文字に浮かび上がらせていくような感じで、色の表現などを模索しました。また、共感覚者の中には文字の形や並びを気にする方もいらっしゃると聞いたので、小説を書く上でも、文字の見た目や発音した時の音の雰囲気を気にしながら単語を選びました」
共感覚という独特な感性を描いていることもあり、本作では色の表現が随所に見られる。少年は春に檸檬先生に出会い、檸檬先生との日々を通して世界が広がっていく。放課後の音楽室、紅白に分かれて競い合う運動会、夏の海など、誰もが経験したことのあるような場面でありながら、鮮やかな色彩表現が魅力的で、文字を追うごとにさまざまな色が脳裏に浮かび上がってくる。
「ものを表現する上で、『こういう表現だったらきれいだな』と考えるのが小さい頃から好きでした。両親も姉も詩や芸術が好きで、両親の影響を強く受けていると感じます。言葉で表現する小説だけじゃなくて、絵や音楽などいろんなものを使って表現するのがすごく楽しいんです」
自分と他人の「普通」は違う
少年と檸檬先生は、同じ共感覚の持ち主ではあるものの、全く同じように感じているわけではない。また、2人ともクラスでは疎外されているという共通点があるが、少年は檸檬先生と共に過ごすことで、自分の感覚との付き合い方を知り、周囲にも溶け込めるようになっていく。一方で檸檬先生は、少年には見せないものの影を抱えるようになる。
「少年と檸檬先生はあくまで共感しあい、気持ちの一部を共有しているだけであって、2人は違う人間同士。全く同じではないからこそ、お互いがお互いを分かりたくても、分かり切れないところは書きながら意識していました。少年はだんだん周りに合わせられるようになり、いわゆる“普通”になっていくのですが、檸檬先生はたぶんそれに寂しさを感じていて、少年はそのことに気付けないでいる。一方の檸檬先生は“普通”にステレオタイプな考えを持っていて、自分は普通じゃないから、少年もきっと絶対に自分のことを分かってくれない、と決めつけているところがあったんじゃないかなと」
共感覚という特殊な感覚を持つ2人にとって、“普通”とは何なのか。物語でもそのことを読み手にも投げかけている。
「普通といっても個人個人で考えることや感覚は少しずつ違うはず。人と喋っているとこのズレというか矛盾が出てきて、無意識に他人を傷つけることもあります。ある人が自分はこうだと思っているなら、他の人は尊重すべきだし、自分と他の人が普通だと思っていることが実は違うこともあるということを大事にしていけたらいいなと思っています」
少年と檸檬先生にやがて、物語の冒頭に描かれた別れの時が訪れる。
「この物語は決して明るいものではありませんが、バッドエンドで終わったつもりもありません。檸檬先生にとっては少年の成長はあまりいいように映らなかったかもしれませんが、少年のいい成長を描きたかった。死の場面も描いていますが、色彩は決して暗いものではなく、むしろ明度の高い色をイメージしていて、負の感情の先にある、突き抜けるような明るさ、光のようなものを描きたかったんです」
絵を描くことも、歌うことも楽しい
今年から大学で美術を学んでいる珠川さん。小説家は小さい頃からなりたいと思っており、『檸檬先生』を出したことでそれは現実のものとなったが、言葉だけでなく、音楽や絵を描くことなどさまざまな方法を用いた表現に魅力を感じているという。
「仕事にするかどうかはわかりませんが、物語を作ることは続けていくと思います。でも、描くことも歌うことも楽しい。大学でもはじめはブックデザインやエディトリアルデザインの方に興味があったのですが、いろんな分野の授業を取っているうちに、迷い始めているところです(笑)」
『檸檬先生』の表紙である檸檬色の瞳を持つ少女のイラストは、漫画『ブルーピリオド』の作者・山口つばささんが担当し、装丁も見返しが鮮やかな檸檬色の紙で、瞳のイラストの周囲に散りばめられた虹色の箔押しが施されるなど、手元に置いておきたくなるような一冊に仕上がっている。
「もともと装丁をやりたいと思っていたので、一つの小説があって、装画や装丁家の方がいて、紙を選び、デザインを考え、一つの本に仕上がっていく過程を見られたのはとても貴重でした。しかも、それが自分の本だなんて興奮しました! 何案かを絞り込む時に、私はこっちになるかなと思っていたら、別の案に決まって、その理由を考えるのも面白かったです」
本作は発売に合わせて、物語の世界観を映像と音楽で表現したプロモーション動画をYouTubeで公開。美大生やアーティストに小説を読んでもらい、ハッシュタグ「#わたしの檸檬先生」をつけて、作品をモチーフにしたイラストをツイッターで発表してもらう試みも行っている。
「自分の作品を他の人に解釈していただき、その完成したものを見ていると『この人はこのシーンが心に残ったんだな』とか、いろんなことが感じられて興味深かったし、感慨深かったです」
小説現代長編新人賞を史上最年少で受賞という鮮烈なデビューを飾った珠川さん。今は大学での学びや、小説を読むことがすごく楽しいという。さまざまなインプットを経て、新たに放たれる作品が楽しみな作家だ。