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「遊牧の人類史」書評 国家・資本に抵抗 線引きを超え

評者: 柄谷行人 / 朝⽇新聞掲載:2021年10月02日
遊牧の人類史 構造とその起源 著者:松原 正毅 出版社:岩波書店 ジャンル:歴史・地理・民俗

ISBN: 9784000254311
発売⽇: 2021/08/10
サイズ: 20cm/257,21p

「遊牧の人類史」 [著]松原正毅

 本書は、遊牧の起源を解き明かし、かつ現状と将来について論じた本である。しかし、たんに理論的な考察ではない。私は以前に、この本の著者がトルコ系遊牧民ユルックについて、長く現地で調査した民族誌を読んだことがある。ユルックもそうだが、各地で遊牧生活は消滅しつつある。それを強いてきたのは、国境線の厳格化と土地の私的所有の拡大である。つまり、近代国家と産業資本主義が遊牧生活を困難にしたといってよい。
 遊牧民を省いて人類史を考えることはできない。たとえば、遊牧民の動向を記録した歴史的文献として、ヘロドトスの『歴史』と司馬遷の『史記』が挙げられる。前者は遊牧民スキタイ、後者は匈奴(きょうど)を詳しく論じた。まさに「歴史」が遊牧民に注目してきたわけである。また、遊牧社会は、国家や部族による差異・区分を超えて生きる思想をもたらした。その意味で、遊牧社会から、「世界宗教」が生まれたといえる。
 しかし、私が「遊牧の人類史」にあらためて関心をもつにいたったのは、近年、世界の大国を悩ませている事柄が、実は遊牧民の問題にかかわるということに気づいたからだ。たとえば、米国がアフガニスタンで、また中国がウイグルにかんしてかかえる問題は、宗教や少数民族の問題だと考えられているが、その根底に、遊牧社会の残存があるのではないか。そして、それを強制的に解消することは、真の解決にはならない。著者は、「遊牧が現生人類史のなかではたした役割」を「あらためて再評価することが不可欠」だという。
 人類学では、狩猟採集社会が注目され偏重されてきた。一つには、それが無力で御しやすいからだ。一方、遊牧民社会は敬遠されがちであった。それは、そこに生まれたものが世界宗教のように、すでに定住農耕社会や文明社会に広がっているからであり、のみならず、それが本性的に、国家や資本に抵抗するものだからだ。
    ◇
まつばら・まさたけ 1942年生まれ。国立民族学博物館名誉教授(遊牧社会論、社会人類学)。『遊牧の世界』など。