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「アイヌ通史」書評 「対抗の物語」を自身で紡ぐ道程

評者: 戸邉秀明 / 朝⽇新聞掲載:2021年10月09日
アイヌ通史 「蝦夷」から先住民族へ 著者:マーク・ウィンチェスター 出版社:岩波書店 ジャンル:社会・時事

ISBN: 9784000614818
発売⽇: 2021/07/30
サイズ: 22cm/397,12p

「アイヌ通史」 [著]リチャード・シドル

 「アイヌとして生きるか」、日本人に「同化するか」。90年ほど前、アイヌの青年が出した結論は、どんな「人種」も「平等」であり、「寧(むし)ろアイヌたるを誇り得る様になるべきである」という決意だった。著者が証そうとした、近代を生きるアイヌの葛藤が、そこに凝縮している。
 長い間、彼らは「滅びゆく民族」と呼ばれた。本書は、支配する側が作ったアイヌ像をアイヌ自身が反転させ、「先住民族」へと再定義する道程を描く。主要な時期は、明治から1997年のアイヌ文化振興法成立の前後まで。それを、グローバルな歴史の一環として論じる点が最大の特徴だ。
 西洋由来の人種概念で、差別を正当化する論理は根本的に変わる。古代以来の「夷人(いじん)」観から、他の帝国による植民地主義と「本質的な類似性」を持つようになる。「開拓」がアイヌを貧困に追いやっても、法制度から観光案内まで、日本社会は、それこそが自立できない彼らの「劣等性」の証拠だと決めつけた。
 これに対して、アイヌ自身が「対抗の物語」を紡ぎだす過程が、本書の中心をなす。先の青年の発言のように、戦前から被差別部落等の解放運動に衝撃を受けて、民族性の自覚が進む。戦後、福祉で矛盾を糊塗(こと)した国家に、新たな立法を求めた背景にも、世界の先住民族との交流があった。
 原著は四半世紀前の出版だが、著者の懸念は現在も有効だ。今、アイヌを先住民族と明記した法律は確かにある。だが過去の被害の賠償や自己決定権を認めぬままで広がる「文化振興」は、現実とかけ離れた「伝統文化」の維持を、アイヌに押しつけてはいないか。著者の問いは、「アイヌという全体は和人のイメージで作られていくばかりだ」という、半世紀以上前の警告とともに、いよいよ切実に響く。著者の教え子でアイヌ近現代思想史の専門家による訳業は、解題や訳注により、その先駆的意義をいっそう引きだしている。
    ◇
Richard Siddle 1959年、スリランカ生まれ。2011~19年、北海道大特任教授(アイヌ近現代史、多文化主義)。