稲泉連が薦める文庫この新刊!
- 『甲子園が割れた日 松井秀喜5連続敬遠の真実』 中村計著 集英社文庫 660円
- 『日本の気配 増補版』 武田砂鉄著 ちくま文庫 924円
- 『出雲世界紀行 生きているアジア、神々の祝祭』 野村進著 新潮文庫 781円
1992年の夏の甲子園2回戦。明徳義塾と星稜の試合は、「松井秀喜の5打席連続敬遠」という野球史に残る伝説を生んだ。(1)は様々な議論を巻き起こしたこの“事件”を描いたノンフィクションの再文庫化。敬遠を指示された投手やキャッチャー、両校の監督、松井本人。著者は当事者を10年後に訪ね、彼らの後の人生や野球観の色合いを見つめる。取材という行為は、ときに「遠回り」と「熟成」が大事な意味を持つ。その時間を厭(いと)わなかった書き手の情念が、一筋縄ではない人間の「物語」を引き寄せたのだろう。ノンフィクションの持つそんな醍醐(だいご)味を感じさせる名作だ。
政治や日本社会の違和感を斬る(2)は、「忖度(そんたく)」がまかり通るこの国の危うさを指摘する時評コラム。「空気」を読む以前に、「気配」によって自らを縛る社会――著者は執拗(しつよう)にその正体の可視化を試みる。複眼的に物事を見つめる批評精神もさることながら、対象に一度喰(く)らいついたら離さない、という気骨のある筆致に後引く魅力を覚えた。
よく知られるように、神無月と呼ばれる旧暦10月は、出雲では「神在月」と称される。(3)で神々の息づく山陰地方を巡る野村進さんは、これまで東南アジアの取材を長く続けてきた。そこで実際に見た習俗や儀式を、山陰の様々な光景と結び付ける視点が面白い。神社、境港の観光スポット「水木しげるロード」、そして、神楽の石見へ。ときに比較文化論にも発展する旅の描写に、知的好奇心を何度も刺激されるはずだ。=朝日新聞2021年10月23日掲載