知のパースペクティブを広げてくれた先輩の書
若い頃から手当たり次第の乱読です。中学時代は日本の純文学に親しみ、高校時代は哲学書に傾倒。小説はドストエフスキーや埴谷雄高の作品に刺激を受けました。読書を通じて、分からないけれど頭に引っ掛かった「これは大事」ということを辛抱強く考え続けることで、自分の暗黙知や潜在意識を耕していきます。
「はじめにEXCÈSがあった」という言葉で始まる『構造と力 記号論を超えて』は大学受験の時期に読みました。著者の浅田彰氏は私と同じ高校の卒業生と先生から聞いて手に取りました。受験対策で細切れの文章を読むのに飽き、まとまった現代文を無性に欲していた時でした。エントロピーの増大に抗い、生の方向へとエネルギーを放射させる人間の営み。故に「過剰」という負のエネルギーを増加させてしまう反自然的存在としての人間像から始まり、構造主義とポスト構造主義を俯瞰し、ドゥールズ=ガタリの世界まで美意識の高い文章で駆け抜けます。サルトルやドストエフスキーの実存主義の世界観から抜けきれなかった自分の知のパースペクティブを一挙に広げてくれました。「過剰を先送りするシステム」としての資本主義の行く末を考える契機にもなりました。
『自己組織化と進化の論理』は、経営企画部に配属された20年ほど前に読みました。著者は複雑系の研究者であるスチュアート・カウフマン。「生物の世界はランダムな突然変異と自然淘汰だけではなく、自己組織化という自発的秩序から形成される」という彼の理論は、熱力学と進化論を通じて「DNAを運ぶだけの存在」「孤立した偶然の存在」という感覚に苛まれがちな我々を照らし、誰もが偶然の産物ではなく、生まれるべくして生まれた必然の結果であると励まします。さらにその見解を技術、経済、政治の世界まで広げ、自己組織化は社会機構を進化させる奥深い秩序であると説きます。何の関係もなさそうな異質なもの同士が突然結びつくダイナミックな現象が、複雑系の世界、非線形的科学の世界にはあると、本書は気づかせてくれました。金融界は時としてリーマン・ショックのような非線形的な動きをします。だからこそ複雑に絡み合う様々な事象から普遍構造を浮き彫りにし、人々が共感できるような未来に向けた物語の構築が不可欠で、リーダーにはその力が求められます。異常値を排除し、平面的で線形な理解をしようとする文系の思考プロセスから脱却せよ。そんな戒めにもなる内容でした。
経営のプリンシプルの土台となった一冊
2012年に合併後の三井住友信託銀行の初代経営企画部長となり、この時期に『知識創造経営のプリンシプル』と出合いました。本書はハーバード・ビジネス・スクール的経営論や日本的経営の限界をふまえ、戦略と実践の知行合一の重要性を論理的に展開します。リーマン・ショックを目の当たりにした私自身、市場原理主義的な思想から離れ、効率性追求で疲弊した現場の内発的動機を高める実践的な経営企画の必要性を感じていました。会社の思いと社会の思いが合致したところにパーパス(存在意義)はあり、それを社員が共有し、解決策を示すことで、個人・会社・社会が一本筋の通ったつながりを実感できる。そうした私自身の経営のプリンシプルの土台となった本です。
『都市と野生の思考』は、哲学者の鷲田清一氏とゴリラ研究の第一人者・山極寿一氏の対談をまとめた一冊です。他者の脳を借りて自らの脳の暗黙知や潜在意識の領域に必死に問いかける時間が好きな自分にとって、「知のジャングル」を縦横無尽に駆け巡り、なおかつ社会の大きな潮流を俯瞰的・構造的に鷲づかみするようなお二人の会話は刺激的でした。
『ビジネスと人生の「見え方」が一変する 生命科学的思考』は、ゲノム解析ベンチャー代表の著者が、エントロピーの増大に抗い、主観的意志を生かして行動することの大切さを説きます。
以前から感じていた生物の進化と企業の進化の類似性を明快に整理してくれる一冊でした。若手の社員には「異質な知の結合がイノベーションを産む。そのためにも関心領域をできるだけ広げなさい。特にデジタルには全く異質なものを結合させる威力がある」と説いており、その一助として本書を勧めています。
最後は佐々淳行氏の『危機管理のノウハウ』シリーズ(PHP文庫)。「悲観的に準備し、楽観的に実施せよ」「戦略的には理想主義、戦術的にはリアリスト」。もとは父が購読していた雑誌に連載されていたコラムで、読んだのは中学時代ですが、リーダーの心得として影響を受けた本で、今も指針にしています。
わからないことに多方面から光を当て、考え続けていると、ある日突然、蓄えてきた暗黙知が星座のようにつながる。その爽快感を味わうために読書を楽しんでいます。(談)
大山一也さんの経営論
今年4月に社長に就任した大山一也氏。「経済的価値創出と社会的価値創出の両立」という経営方針に込めた思いや、「人生100年時代」に向けた取り組み、ESGファイナンスの今後などについて聞いた。
金融・社会課題に真正面から取り組む
「大山一也社長は長く経営企画部で活躍し、2012年の中央三井信託銀行・中央三井アセット信託銀行との経営統合における基本合意にも携わった。低金利など厳しい経営環境が続く中、今年4月より三井住友信託銀行を率いている。
三井住友信託銀行では、自らのパーパス、存在意義を「信託の力で、新たな価値を創造し、お客さまや社会の豊かな未来を花開かせる」と掲げ、銀行セクターとは一線を画す金融機関として、その存在感を発揮し続けるビジネスモデルを構築してきた。
「信託銀行は、第1次世界大戦をきっかけとする好景気に伴い、財産管理、運用のニーズの高まりという社会課題を解決するために設立されました。社会における価値観の多様化や、不確実性が増大する中、我々が果たすべき社会的役割はますます広がっています」
例えば「人生100年応援信託〈100年パスポート〉」は、認知症や健康の不安に備えができる信託商品。現在日本の個人資産の2/3以上は高齢者の資産だが、将来の認知症や健康の不安などから、現預金に資金をシフトしてしまいがちで、消費や投資に消極的にならざるを得ない。安心・安全を担保する商品の提供は、「貯蓄から投資へ」という流れを生み、成長マネーを循環させ、資産形成層の投資を後押しする。
「少子高齢化の進展、気候変動リスクの高まり、デジタル化等、経済・社会構造が大きく変わる『時代の転換期』を迎えています。これが、コロナというパンデミックにより一挙に時間が早回しになっているのではないかと思います。そのような中、多彩な機能を活用して総合的な解決策を提供できる当社に対する期待は、一段と高まっていると実感しています」
科学的根拠に基づき企業に融資
資金循環における日本の構造問題は、家計・企業・政府の三者間で奇妙な停滞均衡が成立していることだが、この停滞から脱却するための大きな機会が到来している。それは、脱炭素社会の実現だ。その実現に要する産業界の資金は巨額だが、それは同時に低金利で運用難に苦しむ投資家、老後に向けた資産形成ニーズが高まってきた家計に投資機会を提供することにも繋がるという。
「脱炭素社会に向けて、資金の好循環を実現する最大のポイントは、産業界の巨額の設備投資ニーズと、投資家の運用ニーズを如何にして結び付けるかに掛かっています。この資金の効率的な配分の起点となるのが『インパクト評価』です」。そこで同社は水素や電池関連等の特許を有する博士クラスの技術の専門家を採用し、科学的根拠に基づいたテクノロジーベースのインパクト評価に注力。様々な産業セクターにおけるインパクト評価のフレームワークを確立し、産業界の資金ニーズと世界のESGマネーを結び付けていく考えだ。日本経済の長年の課題である循環の実現こそ、三井住友信託銀行のパーパスの達成につながるという。
「私の経営信条は、チームで勝つ。多様な社員とパーパスを共有し、ともに解決策を模索する。『未来への責任を果す』『将来世代に先送りせず、我々世代が決着をつける』。こうした覚悟を持って、金融・社会課題に真正面から取り組んでいきます」