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渋谷直角「世界の夜は僕のもの」 固有名詞が誘う90年代の高揚感

 バブル崩壊、阪神大震災、地下鉄サリン事件ほか、暗い出来事で記憶される90年代。しかし、雑誌やCDの販売額がピークに達し、クラブカルチャーが勃興するなど、文化的には華やかな時代だった。

 本作はそんな時代の若者たちの暗中模索の青春を描く。音楽、お笑い、マンガ、ファッション……それぞれに好きな分野があり、譲れない一線があったりなかったりする男女のオムニバスドラマ。今はなき雑誌や施設、まだ駆け出しだった芸人やミュージシャンなどの固有名詞満載で、当時を知る者には懐かしく今の若者には新鮮だろう。

 IT社会到来前夜の若者たちを結ぶのはネットではなく固定電話か直接対面。実体験により世界を広げていくさまがもどかしくも愛(いと)おしい。何者かになりたい若者の焦燥、ささやかな成功で得られる高揚感は普遍的で、どの時代に青春を過ごした人にも刺さるはずだ。個人的には漫画家志望の女子と、編集の面白さに目覚めた男子に共感する。

 作者の絵は一見素人っぽいが(装画は別人)、そのゆるい描線が逆にリアリティーを生む。キャラクターも表情豊かで存在感あり。隅々まで情報の詰まった作りは、それこそ90年代の雑誌のようだ。=朝日新聞2021年11月6日掲載