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「優しい語り手」書評 なぜ読書で呼吸が整うのだろう

評者: 温又柔 / 朝⽇新聞掲載:2021年11月27日
優しい語り手 ノーベル文学賞記念講演 著者:オルガ・トカルチュク 出版社:岩波書店 ジャンル:欧米の小説・文学

ISBN: 9784000253604
発売⽇: 2021/09/30
サイズ: 19cm/116p

「優しい語り手」 [著]オルガ・トカルチュク

 万人にとって「巨大な知の蓄積」へのアクセスを容易にしたインターネットは、今や、「知を普及する汎(はん)知主義のためでは」なく、「無批判に市場のプロセスに忖度(そんたく)し、独占主義者に奉仕」するのが常態となりおおせた。
 SNSは、「互いにばらばらで、孤立して、つながりを失って生きて」いる者同士が、「べつの存在、つまり『私』ではないもの」との連帯を可能にするどころか、「想像力の欠如、きりのない競争、責任感の欠如」を加速させ、私たち一人ひとりを包みこむこの「世界を、細かく切断し、使い捨て、破壊しうる、ただの物のレベルへと引き下げ」ることに忙しそうだ。
 そこでは相変わらず「単純化された思想的もしくはイデオロギー的原則」によって他者を蹴落としてでも自らを上位に保とうとする人々の声が蔓延(はびこ)る。
 何より情報の氾濫(はんらん)それ自体が、時に威圧的に感じられる。くたびれ果てて、スマートフォンやパソコンから離れて、読書に没頭することがある。本を、それも小説を読んでいると、浅くなっていた呼吸が整うのを感じる。何故だろう。トカルチュクは、「文学は自分以外の存在への、まさに優しさの上に建てられて」いるからだと語る。
 本書は、表題のノーベル賞受賞記念講演と2013年の来日講演「『中欧』の幻影(ファントム)は文学に映し出される――中欧小説は存在するか」の二篇(へん)から成る日本オリジナル版。
 訳者あとがきによれば、トカルチュクは「マイノリティや女性の権利、環境問題や移民問題等について、政治的発言をいとわない、熱心な社会活動家」でもあるそうだ。「あらゆるかけらに存在と声と人格を与える優しさ」への信頼に支えられた作家の言葉に触れていると、自分が「ほんのちいさな、でもそれと同時に力強い」、ふくよかなこの世界の一部である喜びが蘇(よみがえ)る。他者や、自分自身への「優しさ」が回復する。
    ◇
Olga Tokarczuk 1962年、ポーランド生まれ。詩人、小説家。2018年、ノーベル文学賞。『逃亡派』など。