ハリポタに夢中
――新川さんはプロフィールに「アメリカ合衆国テキサス州ダラス出身、宮崎県宮崎市育ち」とありますね。幼い頃のアメリカの記憶はあるのでしょうか。
生後半年で日本に帰ってきて宮崎市で育ったので、アメリカの記憶はないんです。私は自分は宮崎県出身だと思っています。
――なるほど。では、いちばん古い読書の記憶といいますと。
自発的に読んだ本でいうと、小学校2年生の時に刊行された『ハリー・ポッターと賢者の石』です。発売後すぐに母が「面白いよ」と言うので読みました。その前も本はいろいろ読んではいましたが、はじめて夢中になったんです。
――それまで読んでいた本と、何がそこまで違ったと思いますか。
私、「毎日つまらないなー」と思っていた小学生だったんです。刺激がなくて退屈でした。でもハリポタは、マグル(魔力を持たない人間)の世界からもっともっと面白い世界に連れていってくれて。11歳の時にホグワーツから入学案内が届かなくて絶望しました。自分はここから出ていけないんだ、って。
――日常に倦んでいたんですか。
鬱々とした日々を過ごしていました。友達と遊んだりもしていましたが、「あまり面白くないな」という気持ちがありました。そんな時にハリー・ポッターに出合ったんですが、毎年1冊ずつしかシリーズ新刊が出ないので、次の刊行を待つ間に10回くらい読み返したり、その周辺を深めていくしかなくて。それで、図書館で同じようなファンタジー小説を探して読むようになりました。男の子がバンパイアになる『ダレン・シャン』シリーズや、弱虫の男の子が冒険する『ローワンと魔法の地図』シリーズとか。『ゲド戦記』もハマりましたね。冒険系の小説が好きで、『宝島』や『十五少年漂流記』も読みました。
――学校の国語の授業はいかがでしたか。
全然面白くなかったです。私、国語の成績がすごく悪かったんですよ。「作者がいいたいことは何か」という質問はだいたい外してました。先の話になりますが、センター試験でも理系科目は全部満点なのに、国語だけが200点満点中120点で、ほとんど現代文で点を失っていました。
国語の教科書に載っているお話も面白いと思えませんでした。小学生が主人公の、身近なことを題材にしたほっこりしたいい話が多くないですか。私は日常に飽きて自分より遠い話を読みたいから海外文学を読んでいるのに、教科書には魔法使いも宝石をめぐる冒険も出てこなくて。
――作文など、文章を書くのは好きでしたか。
文章を書くのは嫌いじゃないけれど、読書感想文の課題図書ってだいたい「こういう人間に育ってほしい」という大人の願いが透けてみえる話が多い気がして、素直に受け取れませんでした。面倒くさい子どもだったと思います。『ごんぎつね』の読書感想文で何かに入賞した憶えがありますが、それも「こういうふうに書けば大人は喜ぶんでしょう」と狙って書いたものでした。『ごんぎつね』は名作だし当時も好きでしたが、本の中身とは関係なく、「これを子どもに読ませて感想を書かせよう」という大人の意図が嫌だなって思っていました。
――教室の中で、どんな子どもだったと思います?
ぼーっとしていました。成績はいいけれどあまり運動ができなくて、宇宙人的ポジションだったと思います。友達もいたし、いじめられたりはしないけれど、「ちょっと違う」という目で見られていた気がします。とにかく大人が嫌いだったんです。先生が、勉強ができる子は生意気だという態度で接してくるので。普通に平手で叩かれたりしていました。
――えっ。
「目が生意気」って理由でバシッと叩かれたことがあって、それはさすがに親に言ったんです。それで親が出ていったら、「いやー、優秀すぎて態度くらいしか指導するところがなくて」って、私を褒めながら言い訳するんですよ。大人って汚いなと思いました。そういう大人に『ごんぎつね』を読めと言われると腹が立つというか。道徳の授業も嫌いだったし、国語の授業はほぼ道徳になりがちなのでそれも嫌いでした。文学が嫌いなのではなく、文学を使って何かしようとする人たちが嫌いだったんです。
――ごきょうだいはいますか? 本を回し読みしたり何かを共有したりとかされたのかなと思って。
姉と弟がいます。弟が結構ゲームをしていたので、私も「NINTENDO64」で遊んでいました。弟がよく読んでいたので少年漫画も読みました。少女漫画雑誌はまったく読まず、「ジャンプ」系の漫画はほぼ読んでいたと思います。『シャーマンキング』が流行っていて私も好きでしたし、『ONE PIECE』や『NARUTO』や『BLEACH』も連載が始まったくらいの頃で、それからずっと追っています。でも姉も弟もそこまで読書が好きという感じではなかったです。ふたりとも「ハリー・ポッター」は読んでいましたが、私がいちばんハマってました。
――読書以外に好きだったことはありますか。
ミニチュアを作るのが好きでした。ビーズで小さなものを作ったりと、よく手芸をしていました。それと、自分の中でファンタジーブームの後にシャーロック・ホームズとアガサ・クリスティーがブームがきたんですけれど、特にホームズが好きで、そこからロンドンにハマりました。ロンドンの古い地図や当時の写真を集めて現在のものと照らし合わせて、ホームズはどこを歩いたのか研究していました。ロンドンのシャーロック・ホームズ博物館宛てで出せばいいと聞いて、ホームズに手紙も書きました。返事はこなかったんですけれど。
その頃はイギリスと名がつくものは全部履修するという感じで、宮崎で唯一アフタヌーンティーができる「倫敦」という喫茶店にも連れていったもらったし、地元のデパートに期間限定でハロッズが来る時は必ず行っていました。それでタータンチェック柄のものをゲットしたりして。
11歳の決意
――中学生になってからも、日々は退屈でしたか。
中学生の時がいちばん闘いでした。11歳の時にホグワーツから入学許可証が来なかったので自分で頑張らないとここから出ていけないと気づき、高校進学で県外に出ることを目標にしてすごく勉強するようになりました。今までの30年間でいちばん勉強したと思います。勉強だけがミッションでした。
本当は中学受験して東京の学校に行きたかったんです。成績も良かったしどこでも受験できたんですけれど、女の子で中1で外に出るのはよくないと言われ、宮崎に残ったという経緯もあったんです。
――勉強は独学ですか?
塾に通っていました。塾は選択肢がなくて、みんなだいたいここに通っているというところがひとつあって、私もそこに行っていました。塾の勉強は楽しかったです。どんどん新しいことを知れるし、分かっていても怒られないから。小中学校では学校の進度より先のことを知っていると怒られる雰囲気だったんです。塾ではできることが悪くないという感じだったので、それが楽しかったです。
――読書生活はどうでしょう。ハリポタシリーズは追い続けましたか。
はい。中学生になると英語が読めるようになったので、翻訳が出る前に原書を読んで、さらにハマっていました。その頃、「ビッグ・ファット・キャット」の英語の本のシリーズを読んでいたんです。それの巻末に初心者でも読める英語の本が載っていて、日本語に訳されていない児童書も結構あったんです。宮崎にはあまり洋書が売っていなかったので、東京に単身赴任している父に会いにいくたびに、羽田空港の丸善で洋書を買って、それも読んでいました。
――「ハリー・ポッター」シリーズって、造語も多いじゃないですか。英語で読むのは大変だったのではないかと。
情熱で乗り越えました(笑)。当時は古代ルーン文字も書けましたし、呪文も全部暗記してました。ハリー・ポッターの本編だけじゃなくて、『魔法生物大図鑑』も読みましたし、本に出てくるバタービールやかぼちゃジュースなどのレシピ本も読んで作っていました。
――シリーズが映画化されたのもそれくらいでしたっけ。そこまで原作が好きだと、映像世界はどうだったのでしょう。
小学生の頃から毎年映画も上映されるようになって、それも追いかけていました。映画で一段と世界がはっきりしたように思いましたし、音楽にもハマりました。大きくなってからロンドンにあるワーナーのハリー・ポッター・スタジオにも行きました。愛は深いです(笑)。
あ、中1くらいの時に「パイレーツ・オブ・カリビアン」の第1弾が上映されて、それがきっかけで海賊ものを研究するようになりました。当時の海賊がどういうルールで動いていたかとか、どんな海戦があったとか調べていました。
――好きになったらとことん追究するタイプですね。その頃、将来の夢は何だったんでしょう。
クイーン・エリザベス号に乗るのが夢でした。クリスティーの『ナイルに死す』なんかを読んで豪華客船に憧れて、イギリスにはクイーン・エリザベスという豪華客船があるらしいと知って。私がそういう話をしたら、うちの親は医者なんですが、私を医者にさせたいと思ったのか「船医になったら船に乗れるよ」って。それで、「船医になりたい」って言っていました(笑)。冒険というか、ワクワクドキドキすることに憧れていたんだと思います。
――中学時代、他にはどんな本を読みましたか。
西尾維新さんの「戯言」シリーズを読んで衝撃を受けました。なぜか姉が持っていたし、友達から借りたりもしました。すごく流行っていたんです。それでメフィスト系ってすごいじゃんとなって、京極夏彦さんも読むようになりました。ライトノベルの走りのようなものもたくさん出ていたので、「涼宮ハルヒ」シリーズとか、電撃文庫で目についたものを読んでいました。
漫画だと『HUNTER×HUNTER』や『DEATH NOTE』がすごく流行っていたので、そうした有名どころは回し読みしながら読んでいました。
自分も書きたいと思わせた名作
――高校は茨城の学校に進学されたんですね。
東京の学校に行きたかったし受かってはいたんですけれど、ちょうど父が茨城への赴任が決まって、父と一緒に住むことになったんです。そこから東京の学校に行くとなると往復3時間半くらいかかるんですよ。それはさすがにきついので、最終的には茨城県の高校に行くことになりました。
――学校生活はいかがでしたか。
高校時代がいちばん楽しかったです。青春っぽいことは全部した気がします。みんなで文化祭の準備をしたり、男女のグループでディズニーランドに行ったり、花火大会に行ったり、部活の合宿で夜は花火をしたり......。めっちゃ楽しかったです。
――部活は囲碁部だったそうですね。
中学時代は帰宅部で勉強ばかりしていましたが、高校に進学して、もう勉強はいいやって、気が抜けたんです。なので勉強以外のことをやってみたくなったんですが、運動もできないし入る部活がほとんどない状況で。囲碁か将棋ならできるかもと思って見学に行ったら囲碁部の先輩が優しかったので、そこに入部しました。
囲碁は独特な感性が必要で、そこが面白かったです。でも、最終的には自分には向いていないと思いました。コツコツと緻密に研究しないと勝てないんですが、私はそこらへんが大雑把なので限界を感じました。一応全国大会にいけるくらいには上達したんですけれど。
――高校時代の読書といいますと。
プチSFブームがきました。本当にプチなんです。もともとファンタジーが好きでしたが、成長するにつれて魔法の世界にナチュラルに入っていけなくなってきて、そこでやってきたのがSFだったんですね。SFってスノッブな魅力があるし、異世界ながらも現実感があって、そこにハマりました。最初はたまたまカート・ヴォネガット・ジュニアを読んだんです。高校1年生の時に『タイタンの妖女』で読書感想文を書いたし、すごく好きなのは『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』。その後に伊藤計劃さんの『虐殺器官』や『ハーモニー』に衝撃を受け、星新一さんのショートショートや筒井康隆さんの本もその時出ていたものはほぼ読みました。
――筒井康隆さんは作風も幅広いですが、どのあたりが好きなんですか。
断然短篇派です。ふざけたものが多くて楽しいんですよね。最初は別の短篇集で読んだと思うんですけれど、ブラックユーモアを集めた『笑うな』とか『最後の喫煙者』とかに収められている短篇が好きです。あと、『富豪刑事』には影響を受けている気がします。ミステリの型を踏まずに全部お金の力で全部解決しちゃうという、どこか茶化している感じがおかしかったですね。
円城塔さんもハマった時期がありました。それはひとえに中二病というか。書かれていることの5%も理解できていなかったと思うんですが、でもすごく好きだったんです。『後藤さんのこと』とか。
――ああ、文字が何種類か違う色で印刷されていたりするんですよね。
そうですそうです。それと、倉の中でひたすら箱をひっくり返す話が入っているのが好きで...『Self‐Reference ENGINE』ですね。なんか、訳が分からなくても、読むと妙に癒されるところがありました。
――プチSFブームの後は。
もう高校生になったし、日本の文豪を読んでおかないと恥ずかしいんじゃないかと思い始め、芥川龍之介、三島由紀夫、谷崎潤一郎などを順番に読んでいきました。でもあまり、自分に受け止める感性がなかったというか。
ただ、芥川龍之介の文章はすごく好きだったんです。その芥川を尊敬しているということで太宰治を読んだら、めっちゃ面白くて。全部読んだし家に全集もあります。自分を見ているもう一人の自分がいるところが自分に似ていると感じたというか。『人間失格』も好きですけれど、短篇の切れ味のよさがいいなと思っています。
その後、夏目漱石を読んでいくなかで、高1の時に『吾輩は猫である』にたどり着いたんです。そこではじめて、「私もこういうのが書きたい、作家になりたい」って思いました。太宰を読んでも「こういうのが書きたい」って思わなかったんですよね。でも『吾輩は猫である』を読んで、これを書いている間夏目漱石はすごく楽しかったんだろうなって感じたんです。本当は夏目漱石でいちばん好きなのは『坊っちゃん』なんですけれど、「作家になりたい」と思ったターニングポイントになった本は『吾輩は猫である』です。
――でもそこですぐ書き始めたわけではないんですよね。
書かなかったですね。『吾輩は猫である』のようなものを書きたいと思ってもどうやったら書けるか分からなくて途方にくれました。それで、「いつか書こう」と思ってそのまま普通の読書生活に戻りました。
――新川さんがいちばん好きなのは『坊っちゃん』だというのも分かる気がします。
動きがあるし、笑えるのがいいんですよね。教科書に載っていた『こころ』は先生がいつまでもぐじぐじ悩んでいるな、と思ってハマりませんでした。美しい文章で読ませるものよりも、ドラマチックな展開があるものや笑えるもの、幻想的な味付けがあるもののほうが好きなんだと思います。志賀直哉も読んで上手いな、すごいなとは思いましたがハマらなかったですし。芥川もいちばん好きなのは「鼻」なんです。笑えるから。「羅生門」よりも「鼻」のほうを教科書に載せればいいのにって思います。
そのあとは夏目漱石の流れから、内田百閒の幻想小説っぽいものを読み、漱石が英米文学の人だから自分も好きかもと思ってサリンジャーを読み、フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』を読み。カポーティの『ティファニーで朝食を』はそんなにハマらなかったけれど『冷血』はすごく面白く読みました。
――サリンジャーは『ライ麦畑でつかまえて』とかですか。10代で読んでどんな感想を抱いたのかな、と。
あれは高校生なりに「青すぎる」と感じました。いや、分かるんですよ。分かるんですけれど、「もうちょっと大人になれよ」と思ってしまって。サリンジャーは『ナイン・ストーリーズ』がすごく好きです。一見幸せそうに見えるけれど乾いた虚無感があるのがよくて。それでいうとサガンの『悲しみよこんにちは』も、はかなくて空虚なところがよかったです。『グレート・ギャツビー』もそういうところがありますよね。
神と崇めるあの作家
――進路については、作家になることを念頭に選んでいったそうですね。
作家になりたいと思った時に、一応、当時の新人賞の応募数とデビュー数を調べたんです。単純に割ってみると、志望者の中でデビューしているのは1%くらい。確率論的には年に5回、20年投稿するとデビューできるかなという感じなので、20年計画だなと考えました。その時、今の文学賞がどういうふうになっているのか知りたくて大森望さんと豊崎由美さんの『文学賞メッタ斬り』シリーズも読んだんです。まさかその後、大森さんに審査される日が来るとは思っていませんでした(笑)。
大学生のうちに作家デビューするのは難しいから、働きながら狙うために、何かしら手に職をつけようと考えました。それで最初に医学部を受けたら落ちたんですが、別の学部なら選べるということになり、それで、森鴎外ルートではなく三島由紀夫ルートにすることにして法学部に行きました。
――東京大学に進学し、ようやく東京に来たわけですね。
嬉しくてたまらなかったです。「東京楽しー!」という感じでした。楽しかったものの、大学ではぜんぜん友達ができなかったんです。サークルにも入らなかったし、高校の友達とつるんでいました。その時に麻雀にハマったんです。囲碁を諦めて麻雀に主軸を移して、一生懸命やってました。
――のちにプロ雀士の資格を取得されていますよね。
当時は弱かったんです。修行のように雀荘で打ち子のバイトをしました。お客さんが足りない時に代わりに入るんですが、週5で一日6時間以上入って、毎日のように打ってました。1か月すると成績が数字でバシッと出るので、強い弱いがはっきり分かるんですよ。それで毎月ちょっとずつ強くなっていきました。
――本は読んでいましたか。
大学生協の海外文学のコーナーが充実していたんです。田舎の本屋にはなかった本がいい場所に並んでいて、それが嬉しくて。その時は有名どころの海外文学を読んでいきました。スタンダールの『赤と黒』に衝撃を受け、『風と共に去りぬ』に夢中になり。『若きウェルテルの悩み』や『魔の山』、『カラマーゾフの兄弟』や『罪と罰』も読みましたが、ドイツ・ロシア系の暗くてずっと悩んでいるような話はあまりハマらなかったです。やっぱり場面が動く話が好きでした。
文芸部みたいなところにも行きましたが、課題図書が村上春樹だったんです。私も有名どころは何冊か面白く読んだんですが、どこか受け止めきれないところがあって。そんな時に友達に薦められたからだったか、田中康夫の『なんとなく、クリスタル』を読んだんです。めちゃくちゃ面白かったです。今まであまり現代の一般文芸を読んでいなかったんですが、これはハマりました。次になぜか伊坂幸太郎さんにいって、伊坂作品もだいたい読みました。たぶん、田中さんも伊坂さんも文体の感じがよかったんです。若者文学というか、若くてみずみずしい文体だったので。
――伊坂さんはどの作品が好きでしたか。
「陽気なギャング」シリーズです。『アヒルと鴨のコインロッカー』なんかももちろん好きなんですけれど、「陽気なギャング」シリーズのドタバタ感が好きでした。
それで、その後にやっと、東野圭吾さんにハマるんです(笑)。最初はなぜかブックオフで買った『むかし僕が死んだ家』で、本当にすごいと思い、そこからいろいろ東野作品を読むようになりました。
――東野さんも作風が幅広いですが、特に好きだったのはどのあたりですか。
『黒笑小説』とか『歪笑小説』といった「〇笑小説」のシリーズが好きでした。『名探偵の掟』も。そうした、茶化している感じに筒井康隆さん味があったし、ギャグセンがすごく自分に合ったというか。もちろん「ガリレオ」シリーズも好きです。
その次にくるのが、宮部みゆき大先生ブームです。私は宮部先生を神とたたえる宗教の求道者をしておりまして。前に大森さんに尊敬する作家は誰かと訊かれて「宮部先生です」と言ったら「目標なの?」と訊かれたんですが、目標なんてとんでもないんです。どこまで自己研鑽を積んでその道を極められるかという話です。
私が宮部先生のことを語るのもおこがましいんですけれど、私、それまでいちばん好きな文章は芥川龍之介だったんです。宮部先生の文章は芥川以来の衝撃でした。文章が面白い上に、現代的な要素があって、ファンタジーもSFも冒険もあって。不思議なものと現実との接続が絶妙なんです。子どもの頃に不思議な話が好きで、そこから大人になってSFに凝ってみたりした人間にとっての期待に最大限に応えてくれるというか。社会派の話も書いてらっしゃるけれど、お説教的でもない。『蒲生邸事件』と「三島屋変調百物語」シリーズがすごく好きです。大人が読めるファンタジーでありミステリであり......。本当に好きすぎて思いが語り切れないです。
――『蒲生邸事件』は現代の学生が二・二六事件の頃にタイムスリップする話で、『三島屋変調百物語』は時代もので、旅籠の娘が人々の不思議な体験や怖い話を聞くという話ですね。
書き手によってはリアリティがないものになりかねない設定なのに、宮部さんが書くとリアリティがあるし、ジャンルを超越しますよね。「このジャンルの作法に従って書きました」という感じではなく、ジャンルをシームレスに行き来していて宮部さんワールドが出来上がっているところが本当にすごいと思います。
その頃は畠中恵さんの『しゃばけ』シリーズもよく読んでいました。それと時を同じくして恩田陸ブームが来るんですよ。現実からちょっと浮いた世界観がすごく好きでした。定番なんですが、どれか選ぶなら『六番目の小夜子』と『夜のピクニック』。最近のものでは『蜜蜂と遠雷』が好きです。
このあたりから一層エンタメ系を読むようになりました。やはり大人が読めるファンタジー要素、SF要素のあるものが好きだし冒険系が大好物で、小野不由美さんの『十二国記』シリーズとか、田中芳樹さんの『銀河英雄伝説』とか。「銀英伝」での私の推しはロイエンタールです(笑)。
有川ひろさんの『図書館戦争』や『植物図鑑』も読みました。感情移入させるドラマを作るのがうまいなあと思って。日常でありそうでなさそうな、隙間を書いてらっしゃるところがすごく好きでした。
そのあたりから冒険やアクションのない一般文芸に手が伸びるようになって、確か湊かなえさんがデビューした頃だったので『告白』も読みましたし、角田光代さんの『対岸の彼女』もすごく好きで。唯川恵さんも読むようになりました。
――唯川さんは『肩ごしの恋人』とか?
それも好きでした。あと、『愛に似たもの』という短篇集があるんです。恋愛小説なんですけれど、愛と見せかけた自己愛だったりするものが書かれていたんです。
私は少女漫画もまったく読まずにきたし、恋愛ものをほとんど素通りしてきたんです。中学生の頃に『世界の中心で、愛を叫ぶ』や『恋空』が流行っていたんですけれど、そうした純愛ブームにも乗れなかった。大学生になってはじめて、純愛を純愛のまま書くのではない、一筋縄でいかない恋愛小説が好きになりました。衝撃を受けたのは山本文緒さんの『恋愛中毒』。それもやっぱり純愛というより斜めから見る目線が感じられるんですよね。
...こうして話していると、私、メジャーどころばかり読んでいるし、ミステリをそんなに読んでいないことがよく分かりますね(苦笑)。
山村教室と新人賞応募
――そうした読書と並行して司法試験の勉強もしていたわけですよね。
そうですね。試験に受かって弁護士事務所に就職した後は、忙しくて体力も気力も残らなくて、ほとんど本が読めなくなりました。事務所時代がいちばん本を読めなかったと思います。
――あまりのハードワークで倒れたのだとか。
そうなんです。先に身体にガタがきました。右耳が突発性難聴になって、めまいもひどくて血尿が出るようになって。小説を書くどころか本も読めなくなって、自分がスカスカで充実感もなかったです。それで仕事を休んだ時に、将来を考え、やっと小説を書かなきゃと思い、そこから転職活動をして一般企業に就職し、またエンタメや一般文芸を読むようになりました。
――それまで小説を書いていないわけですよね。それでも小説家になりたいと思い続けることができたのはどうしてだったのでしょう。
いろんな理由があるんです。ひとつは、小さい頃からずっと何か作ることが好きで、そのなかで小説がずっとそばにあったからだと思います。書く前から、読むのも好きだけれど書くほうが好きだろうなと分かっていて、それは実際に書くようになってからも思っています。
それと、自分は他の仕事ができないとも思っていて。学校にいた頃から集団の中で横の人と歩調を合わせながら上の人の言うことを聞く役割はできないと分かっていたし、社会人になってからもそう感じていたということも大きいです。
――弁護士事務所に勤務していた頃から、山村正夫記念小説講座、通称「山村教室」に通っていたそうですね。OGに宮部みゆきさんがいらっしゃる講座ですね。
最初の1年くらいは仕事が忙しくてぜんぜん行けなかったんです。転職して時間ができてからコミットするようになりました。入会する時に短篇を出さなくてはいけなくて、その時はホラー風のSF小説を書き、入会した後はファンタジー小説っぽいものを書いていました。読書遍歴からも分かるように、私、ファンタジー作家になりたかったんですよ。でも書いたものを元編集者の方に講評していただいた時、「SFとファンタジーは一旦やめて、身近な話をちゃんと書けるようになりなさい」と言われて。架空の世界を作るにしても、ちょっとずつ順を追っていかないと、いろんなものを器用に書けるだけで深く書くことができなくなると言われました。それで、自分と同じ性別で、自分と同じように働いている女性の話にしようと思って書いたのがデビュー作となった『元彼の遺言状』でした。自分としてはそこから作風を広げていくつもりだったんですが、いきなりデビュー作となったので、正直、今後どうしていこうかと思っています。
――『このミステリーがすごい!』大賞に応募したのは『元彼の遺言状』が2回目でしたよね。1回目に応募したのはどんな小説だったんですか。
それがはじめて書いた長篇でした。動物たちが人間を滅ぼそうとする話です。人間があまりにも好き勝手して環境破壊するから、動物たちが神様にお願いして、各種類の動物たちと話せる代表人間を作ってもらうんです。その人間を通じて自然保護をやってもらおうと頑張るんですがうまくいかなかったので、動物たちは人間を滅ぼそうとする。その時に、人間と共存共栄してきた生き物たちが「それは困る」といって立ち上がる。それが、犬と猫とゴキブリなんです。このゴキブリの代表人間となった女子高生の話です。
その子の唯一の特技がゴキブリと話せることで、ゴキブリもその子の言うことを聞くんですよ。ファンタジーを大量に読んできたので主人公に特殊能力は必要だと思ったんですが、羨ましくなる能力のことが多いので、あえて「これは要らないな」という能力にしました。主人公もゴキブリは嫌いだけれど、ゴキブリはその女の子のことが好きで、彼女がピンチに陥ると仲間をたくさん呼んで助けてくれるんです。その子の友人が猫の代表人間で、主人公はいつも猫に囲まれている友人が羨ましくて、劣等感を持っているという。大人向けの小説というより、童話とか絵本に近い仕上がりだったんですけれど。
――面白そうだし読んでみたいけれど、読んでいる間ずっとゴキを思い浮かべていなきゃいけないのか...。
相棒のゴキが死ぬ場面とか、泣けますよ! 身を挺して主人公を守って死んでいくんです。そこらへんはたぶん、筒井康隆さんの影響がありますよね。ちょっとシニカルな設定で、SFなのかファンタジーなのか微妙な感じが。でもプロデビューして思ったのは、そういう話を書くにはやっぱり筆力が必要だということです。もうちょっとうまくなったらまた書きたいです。
――それをなぜ『このミス』に応募しようと思ったのですか。
わけもわからず書いたはじめての長篇で、どこに応募したらいいのか分からなくて。日本ファンタジーノベル大賞もありますが、ちょっと毛色が違う気がしました。
山村教室のOBに『このミス』出身の七尾与史さんがいるんです。七尾さんが宝島社で『全裸刑事(デカ)チャーリー』を書かれているんですよ。「全裸刑事」が大丈夫ならこれもいけるんじゃないかと思いました(笑)。
もちろん落選したわけですが、自分ではじめて書いた長篇で、自信作だったんです。なんで落ちたんだろう、そもそもミステリじゃないからかな、じゃあミステリを書いて応募しよう、と考えて翌年にまた応募したのが『元彼の遺言状』でした。
――その経緯でいきなり『元彼の遺言状』を書けたのがすごいと思うのですが、その1年間でミステリについて研究したのですか。主人公は敏腕弁護士の剣持麗子。大企業の御曹司である元彼が「僕の全財産は、僕を殺した犯人に譲る」という遺言を残して亡くなり、麗子は知人から依頼されて犯人を仕立て上げようとする、というところから謎が転がるという内容なわけですが。
過去の受賞作を読んで研究しました。本格ミステリを書くのは難しいけど、本格じゃなくても魅力的な謎を用意してちゃんとそれが解ける、という構造を持っていればミステリになるならそれを書こうと思いました。ただ、ミステリ歴が浅いので、オーソドックスに攻めても勝てない。普通のミステリとは違う設定を作らないといけないなと思いました。それで、普通は犯人を捕まえるために謎解きをするけれど、犯人になるために謎を解くというスタート地点にしたんです。今思ったんですけれど、お金のために犯人になろうとしたり、犯人選考会でもちゃんと推理しないで利権によって犯人を決めようとしたりするところって、『富豪刑事』の、既存のミステリをちょっと茶化す感じに影響を受けているかもしれません。
――剣持麗子は非常に勝気で我儘で、お金が大好きというキャラクター。『風と共に去りぬ』のスカーレット・オハラのイメージがあったそうですね。
海外文学に出てくる女性って好きな人が多いんです。スカーレットもそうだし、『赤と黒』のマチルドや『ティファニーで朝食を』のホリーとか。海外小説の女性のほうが奔放で我儘で、それが魅力的なんですよね。日本の女性キャラクターは優等生的な人が多い。読者が共感しやすいようにそうしているんでしょうけれど、私は優等生ではない強いキャラクターにしたかったです。でも、ステレオタイプのイメージを崩したいというよりは、単に、現実の女の人ってこんな感じだよね、という思いがありました。
――受賞が発表された時、作家たちがお祝いをツイートされていて、新川さんはなぜこんなに作家の知り合いが多いのかと驚きましたが、山村教室の方たちなんですね。
先輩作家たちです。山村正夫先生が亡くなった後に森村誠一先生が名誉塾長になられたんですが、森村先生がものすごく面倒見がいいんです。だから、教室の人たちも下の面倒を見ようという意識が強くて、私もすごくお世話になりました。そのなかで、仲良くしていた女性6人、みんなデビューが決まったのでチームを作ろうという話になって。ケルンの会というのを作りました。
森村先生の座右の銘に、「人生はケルンの一石である」というのがあるんです。ケルンの石は登山道に道標として置かれる石のことで、先人たちが置いていった石のおかげで後から来た人間は歩きやすくなる。だから自分はどういう石を足していくのか考えないといけない、って。文芸の世界で、自分たちも先輩の作品に助けられてここまで来たので、この先は後から来る人たちに手を差し伸べていきたいね、という想いを込めてつけた会名です。
――ぜひ、ケルンの会のメンバーを教えてください。
坂井希久子さん、千葉ともこさん、成田名璃子さん、西尾潤さん、美輪和音さん、私の6人です。千葉さんは私と同じ年に『震雷の人』で松本清張賞を受賞してデビューされているので、同期みたいな気持ちでいます。でも千葉さんの作品は中国の歴史ものなので、書くものは全然違います。
――他のみなさんも、ぜんぜん出身の賞が違いますね。
そうなんですよ。坂井さんはオール讀物新人賞、成田さんは電撃小説大賞、西尾潤さんは大藪春彦新人賞、美輪さんはミステリーズ!新人賞を受賞していて...。書くものも本当にばらばらです。
森村先生がおっしゃっていたのは、作家はデビューした以上、一人一人が一国一城の主だから上も下もなく、それぞれの道を追求すべし、ということで。私たちも基本的にお互いの作品に何か言うことはないんですが、一緒にトークショーとかサイン会とか、リレー小説なんかをやりたいよね、と話しています。今、ネットでクリアジーノ短篇小説集『私は微笑んだ。』という企画をやっています(クリアジーノ短篇小説集『私は微笑んだ。』WEBサイト)。一種のリレー連載なのですが、それぞれの作家が同じ書き出しの文(「これは、昨日の私に言っても信じないだろう」)と同じ終わりの文(「私は微笑んだ」)で短編小説を書いています。ジャンルも作風もバラバラの作家たちが同じお題にどう応えるかが読みどころです。私自身は、先輩方と同じお題で書くと筆力不足が際立つのではないかと戦々恐々していましたが、皆さんから設定やあらすじを聞いたら作風が違いすぎて比較しようがない。小説家はまさに一国一城の主だなと感じました。
デビュー後の読書&生活
――予想外に早いデビューとなったうえ、『元彼の遺言状』は大変な評判になりましたよね。そもそもミステリ作家を志望していたわけではないようですが...。
結果的にいちばんいいデビューになったと思っています。アマチュアで書いているよりも戦場に出たほうが、しんどいことも多いけれど上手くなるかなと思って。宝島社さんもうまく宣伝してくださって多くの方に気づいてもらえたので、『このミステリーがすごい!』大賞でデビューしてよかったと思っています。
今後の方向性については正直悩んでいますが、もちろんミステリは好きだし、ロジカルな部分が自分には向いているなとも感じています。いずれにせよ、作者の経歴とかではなく、作品の内容に着目してもらいたい気持ちがあります。まだまだ筆力が追いついていないので、ちゃんと中身を見てもらえるように、しっかり、いいものを書いていきたい。
私はメジャーどころばかり読んできたので感覚が一般に近いというか。そのおかげであまり本を読んでいない人にも届きやすいのかもしれませんが、他方で、読書好きの人にご満足いただけるような作品も書きたいんです。宮部みゆきさんって両立されているじゃないですか。宮部さんは神なので目標にするとは言いませんが、自分もその道を進むべきだと思っています。読書好きの方たちに認めてもらえる内容を書くためには、自分が同じ目線に立てないといけないし、そのためにもたくさん読まなきゃと思っています。でもその方たちもどんどん読んでいるわけだから、永遠に追いつかないんですけれど。
――では最近の読書といいますと。
主にミステリを読んでいます。もう本当に今さらなんですが、綾辻行人さんの「館」シリーズを順番に読んで、もうめちゃくちゃ面白くて。綾辻さんの本に出てくるのでクイーンなどの海外ミステリも読み進めています。
横溝正史はもうだいたい読みました。それと、自分で書くようになってから読んで面白かったのは松本清張。こちらも今さらなんですが、本当に好きです。社会派と言われているけれど、私は社会より人間を書こうとしていると感じます。本格ミステリと対比して社会派と言われるのかもしれませんが、私は人間の業とか怖さとか欲望にフォーカスしているところがすごく面白いと思うし、こういうものが書きたいと思いました。
――いちばん好きなのはどの作品ですか。
『黒革の手帖』です。それと、『霧の旗』という、兄が殺人容疑で死刑になりそうになって、無実を信じる妹が弁護士を訪ねる話があって。すごく面白いんですが、読み終わるとモヤモヤするんですよ。このモヤモヤはなんだろうと思って新潮文庫の文庫解説を読むと、これは社会ではなく個人の問題なんだということが書かれてあって、「ああ、確かにそう読めるな」と思うし、「そう読むと傑作だな」と分かるんです。文庫解説ってこういうもののためにあるんだなと思いました。
短篇集の『黒い画集』も好きです。怖い世界と隣り合わせの日常を書いているんですが、接点の作り方が上手いんですよね。正直、最初に松本清張さんを読んだ時、宮部さんのほうが上手いなと思ったんです。後に生まれた世代って、そういうことってありますよね。でも読み進めていくうちに、松本清張は本当にすごいし、本当に面白いと思ってリスペクトするに至りました。もしも『このミス』で受賞できていなかったら、その後はずっと松本清張賞に送り続けていたと思います。
それと、最近では、文庫解説のお仕事の依頼があったので小泉喜美子さんの作品を3週間で20冊くらい集中して読んだんですが、すごく上手くて。
――『弁護側の証人』とか?
それもめちゃめちゃ面白かったんですが、私は短篇も好きですね。『痛みかたみ妬み』とか『殺さずにはいられない』とか、もうすごい技巧派なんです。エッセイも何冊も出されていて、それも面白いんです。ミステリ論も語っているんですが、それ以外の話も格好よくて、ロールモデルを見つけた感があります。
小泉さんはご本人のキャラクターが面白いからそればかりに着目されて、なにかと「私生活が作品に滲み出ている」とか「女流作家の私生活の暴露」みたいな文脈で語られていたようなんです。私は「そうじゃなくてこの人の技巧を見てよ!」と思うんですが、ご本人もエッセイのなかで、作品と私生活の関連を繰り返し否定している。ミステリというのは構築物であり、作家の創造物なんだ、って。過去に闘ってきた先輩の背中だなと思って、勇気づけられています。
私が文庫巻末解説を書いたのは、小泉さんの遺稿となった『死だけが私の贈り物』という長篇です。徳間文庫の「トクマの特選!」シリーズの1冊です。
――最近、ミステリ以外に面白かったものはありますか。
ナオミ・オルダーマンの『パワー』がすごくよかったです。女性が男性を支配するようになった社会の話で、衝撃を受けました。
――そういえば、『元彼の遺言状』にはポトラッチ、第二作の『倒産続きの彼女』には醜いアヒルの子の定理が出てきますよね。ああした理論はどこで学んでこられたのかなあと。
私は、ほっとくと新書やノンフィクション系の専門書を読んでしまうんです。デビュー後は小説を優先的に読んでいますが、デビュー前は週に5冊は新書やノンフィクションを読んでいました。沢山読むし、書店に置いていないような古い本が面白いので、図書館で借りることが多いです。ジャンルはあえてバラバラで、理系も文系も読みます。
小説の中にああした理論を入れたのは、何かしら面白い話を入れたかったし、スラスラ読めてワクワクドキドキして楽しかった、というだけだと満足してもらえない気がしたんです。それで、翌日から世の中の見方が変わるような要素を入れようと考えました。作品世界と日常生活を繋ぎとめるチップスのようなものです。
――新書やノンフィクションで、なにかお薦めのものはありますか。
最近で面白かったのがネイティブアメリカンの精神性を書いている『アメリカ先住民の精神世界』、山一証券の破綻を追った『しんがり 山一証券最後の12人』、アフリカで野生動物の生死を見つめる『ライオンはとてつもなく不味い』、中世ヨーロッパの不思議な裁判形態を解説する『動物裁判』、サイコパスの研究をしていたら自分がサイコパスだと気づいてしまい、自分を冷静に診断して見つめ直す『サイコパス・インサイド』、などなど、お勧めしたい本は本当に沢山あります。ちょっと前のものだと『豊かさの精神病理』という本が面白かったです。1990年に発売された本で、バブル期で浮かれた若者がどうして過剰に消費行動に走るのかが描かれているのですが、読んでいくと現代のミニマリズムに通底する精神性だということが分かります。
――それにしても、『元彼の遺言状』がはやくも文庫化されたうえ、第2作『倒産続きの彼女』を刊行。他にもさまざまな媒体で書かれていて、お忙しそうですね。
お気楽にいろんなお仕事を引き受けたので重なってしまって。来年はもっと1作1作に集中できる環境にしようと思っているんですけれど、でも、裾野は広げていきたいんです。作品ごとにできることや鍛えられるスキルが違うので、いろんなお仕事を受けて総合的に上手くなっていきたい。
――今、執筆業に集中するために弁護士業は休業していて、アメリカのシカゴにお住まいだそうですね。海外での読書生活はいかがでしょう。
夫が仕事の都合でアメリカに行くことになったのでついてきました。本はKindleや紀伊國屋シカゴ店で入手しているし資料もPDFで入手できたりするんですが、やっぱり小説系を読みたい時に不便です。古本でしか手に入らない昔の推理小説は電子書籍になっていないものが多いので。帰国した際にたくさん買って、持って帰るためにスーツケースを1個買い足したりしました。
――シカゴの暮らしはいかがですか。
引き籠っています(笑)。朝イチはやる気がでないのでゴロゴロしながら本を読んで、お昼ご飯を食べてから「そろそろやばい」となって夕方まで書いて、夕食の後は、今日の分が終わっていなかったら10時くらいからまた書き始めます。こちらだと他にすることがなくて執筆に集中できます。
――第2作の『倒産続きの彼女』は、『元彼の遺言状』の続篇だから麗子さんが主人公かと思っていたら、主人公が違うのでびっくりしました。麗子さんと同じ事務所に勤務する、後輩の玉子さんの話なんですね。彼女が麗子と組んで、振り回されながら難題に立ち向かう。
私自身、シリーズものって第2弾が出ても読むのを後回しにするタイプなんです。1作目が面白くても、2作目も同じ主人公だとなんとなく展開が読めてしまうから。それで思ったのが、『ゲド戦記』や『十二国記』のような、同じ世界が舞台だけれども主人公が替わっていくタイプのシリーズでした。そういう作品は、私も全部読んできたんです。
それと、『元彼の遺言状』を出した時、主人公のモデルが私だと思われたんですね。女性弁護士といってもいろんな人がいるのになと思って、それで、あえて違う性格の女性弁護士を主人公にしました。
――玉子は婚活を頑張る、いわゆるブリッコタイプですよね。
前に軽い気持ちで大森望さんに「麗子とタッグを組ませる女の子はどんなキャラクターがいいと思いますか」と訊いたら「ブリッコがいいんじゃない」って。正直、「えー、ブリッコですか...」という気持ちでした。でもその数日後に、宝島社の局長からも「人に頼る感じの子を出したらどう?」って言われたんです。一人に言われてもすぐ従ったりはしませんが、同じことを二人に言われたそれは何か正しいところがあるんだろうと思って。でも、人にうまく頼ることでハッピーになる子にはしたくなかったんです。それよりも、女の子だって人に頼らずに一人で生きていっていいんだよ、って言いたい気持ちがある。ブリッコと言われた時にモヤモヤしたのは、自分がそういうことを書きたかったからだと気づいて、それで玉子がブリッコスタートから変わっていく話になりました。
意外と嬉しいのは、第2作のほうが好きって言ってくれる人が多いことと、それと、久しぶりに1作目を読んで下手だと思って文庫化の際に書き直したことです。下手だなって思えたということは、この短期間のうちに成長しているのかな、って。「ジャンプ」の連載漫画で絵がどんどんうまくなっていくことってありますよね。そういう感じだといいなって(笑)。
――今連載中のものや、今後のお仕事の予定を教えてください。
角川春樹事務所の雑誌「ランティエ」で『先祖探偵』という女探偵ものを毎月連載しています。「小説すばる」では2、3か月に一度、架空の法律がある世界を舞台にした短篇を書いています。それと、「小説現代」12月号から「競争の番人」という連載が始まります。これは公正取引委員会の話で、半沢直樹の女版みたいな感じです。もう書き上げて初校はできていて、今改稿しているところです。あとは、『元彼の遺言状』のシリーズ3作目も書ないといけなくて...。
連載や書き下ろしを同時にやっていると、いつ何を書けばいいのか分からなくなってパニクってしまうので、もっと仕事の整理をつけられるようになりたいです。でもここが頑張りどころなので、やれるところまでやろうと思っています。