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松尾スズキさんインタビュー 新作小説・エッセイに描いた駆け出し時代、原点は小劇場の自由な気風

松尾スズキさん

「最初からプロではない」ことが重要

――『矢印』の主人公は駆け出しの「俺」。新刊エッセイ『人生の謎について』(マガジンハウス)でも、「三十歳になって食えなかったらやめてしまおうと、大人計画を作った時にぼんやり考えていた。やめて、浮浪者になろうと」と、時間はあるけど金はなかった頃を回顧している。

 その頃、笹塚に住んでいたんですけど、当時は近所に劇団員が住んでいて、誰かの部屋に頻繁に集まってはミニコミを作ったりしていました。宮藤(官九郎)ともよく遊んでたし、まあとにかく何かしら金にならないものを作ってましたね。

 この前、「庵野秀明展」を観に行ったんですけど、庵野さんも学生時代に8ミリ映画を撮ったりとか、アニメを熱心に作ったりしていた。素人時代ってものが土壌にあるんだなってのは、ひしひしと伝わってきて。振り返ると、僕も学生演劇をやっていた頃の無責任な自分が一番楽しかったんじゃないか、とすら思うこともあるわけです。だから最初からプロではないということが、重要なことなのかなと思います。

――『矢印』の師匠もアル中だった。松尾さんは雑誌の対談で「昔ほど極端に酒を飲む人が減った」と語り、酒豪でならした漫画家の赤塚不二夫さんに言及している(『文學界』2021年12月号)。師匠のキャラ造形に際して、赤塚氏の姿も脳裏にあったそうだ。

 赤塚さんも典型的なアルコール中毒じゃないですか。一度お会いした限りでは、すごく“陽”の気を放つアル中の方で。アルコールに溺れていっても、“陰”に入らない。『矢印』の師匠という登場人物は、赤塚さん的な部分も入っているんです。

 『命、ギガ長ス』という舞台にもアル中の息子が出てきましたけど、あれは明確にモデルがいて。哺乳瓶に菊正宗を入れて飲んでるやつがいた。僕の田舎も大酒飲みの大人たちばかりで、そういうのが原風景としてあるんですよね。いわゆる今風の、抑制の効いた酔い方をしていない人たち。もう、思い切り酩酊するっていうね。今、酩酊って流行らないですよね。

『命、ギガ長ス』2019年公演より。

「大舞台の次は小劇場でメリハリ」

――演劇、映画、小説、エッセイなど多分野をまたいでフル稼働を続ける。複数のジャンルで作品を同時並行に走らせることで、心のバランスを取っているのだろうか。

 飽き性なんです。演劇だったら一度大きい劇場で芝居をやったら、次は小劇場でとか、そういうメリハリをつけてはいるんですよね。笑いを取るような作品をやった後はミュージカルやってみたりとか。小説も映画も。ただ、ひとつの分野を極めるっていうことが難しくて。本当にひとつのことに絞ってやってる人の極め方を見ていると、自分は駄目だなと思ったりもするんですけど……。

 さすがにもう59歳なんで、例えば小説にしても、自分のスタイルっていうのはもうある程度できあがってるし。演劇はやり方が分かっている。映像もひと通りやってきて、だいぶ慣れてようやくプロって言っていいんじゃないか。本当に歩みがのろいですけどね。

――2020年からシアターコクーンの芸術監督に就任。新作ミュージカル『フリムンシスターズ』の脚本を書き下ろし上演した。以前から独自のミュージカル志向があったが、今もその想いは胸に秘めているという。

 『キレイ』っていうミュージカルを再演するうちに、ミュージカル畑の人たちを大勢採るようになって、彼らの出演作品をどんどん観始めたのが大きい。それが刺激になりましたね。

 僕はそもそもサブカルチャーって言われるような場所から立ち上がってきた人間なんで、王道とされるものを斜めに見る癖があったんですよ。でも、たとえば歌舞伎の見栄や間の取り方、技のデフォルメの仕方とか、道を極めたものの価値を再認識させられましたね。

 アメリカ人とか、週末になると家族そろってミュージカル観に行くという文化があるじゃないですか。そういうものがないですから、日本には。地方でロングランのミュージカルが上演されてるっていう土壌もないし。芝居自体が、ほぼ東京の人に限られたジャンルで、そもそも門戸が狭いというか。特殊なものであるのはいなめない。

2019年9月9日、シアターコクーン芸術監督に就任し記者会見した松尾スズキさん=藤谷浩二撮影(C)朝日新聞社

「演劇は自由なんだよって伝えたい」

――シアターコクーンでは「COCOON Movie!」という上映会を企画。コクーンの舞台に巨大スクリーンを設置し、映画祭さながらに過去の人気舞台作品を上映した。

 「もったいない精神」から始まった企画ですけど。過去の演劇を映像で観ることについては、共感するし応援したい。「地方でロングラン」みたいなシステムが日本にない限り、映像を観てもらって演劇に慣れ親しんでもらうのはいいことだと思います。ひいてはそれが演劇という文化の底上げにつながるんじゃないかなって。

 僕自身、20歳過ぎまで、演劇を面白いものだって思ってなかったんですよ。最初に演劇で感銘を受けたのもテレビでしたからね。NHKで「本多劇場」のこけら落とし公演ってのをやっていて、柄本明さんが主演してたんですけど、それが面白くて。それ以前は芝居といえば、高校生の頃に地方巡演で来た教育芝居。「だっせーな」っていう気持ちしかなかったわけです。

――演劇は現前性や一回性が大事なジャンルだが、映像を通して演劇に目覚めることもあるだろうか。

 一回性のものであることは分かりますけど、まず演劇を知ってもらうことは大事なんだと思う。「シアターテレビジョン」や「WOWOW」などの舞台中継を見て演劇をやり始めた人もいますし。

 今、面白いことをやりたいと思う人は、「吉本の(芸人)養成所に行こうか」みたいな話になるじゃないですか。それは、笑わせる演劇っていうものの存在があまり知られてないからで。だから、演劇っていうのはこういうもんだよ、自由なんだよっていう。それを伝えたいし、知ってほしい。

「遊びの感覚」思い出したい

――シアターコクーンで大掛かりな舞台を手がける一方、「東京成人演劇部」なる演劇のソロ・ユニットを始め、百人も入れば満杯の下北沢「ザ・スズナリ」で2019年の7~8月に、安藤玉恵と『命、ギガ長ス』を上演した。

 大きめな舞台ってどうしても制約が多いし、下手な映画よりも規模的に大きいんです。舞台によっては億単位の金が動くので、コケられないぞっていう思いが常にあって。それがおもしろいわけですが、プレッシャーになるし、精神衛生上良くないことも多い。芝居はもともと遊びの要素が強いところから始めたので、その頃の感覚を思い出したいということで、「演劇部」っていう言葉が出てきたんですけどね。

――言葉の端々に、初心に帰ることと、新しいことに挑戦したいという意気の両方を感じとった。今後もさらにフットワークを軽く、活動の幅を広げていくのだろう。

 そうですね、僕も小さい劇場でずっとやってきたけど、『命、ギガ長ス』は美術がほとんどない。素舞台みたいな状態でどれぐらいやれるか、みたいなチャレンジはありましたね。

 ただ、年齢的にちょっときついところもあります。今59歳なんですけど、蜷川幸雄さんとか見てると70過ぎても年に8本とか芝居作るじゃないですか。自分はいつまで働くのか?ってなるけど、59歳でまだ上がりじゃないんだなって思ってるんです。