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バルガス・リョサ「ケルト人の夢」翻訳者に聞く 権力の地図上、翻弄される個人

マリオ・バルガス・リョサ©Fiorella Battistini

祖国独立を図った男、憑依したかのように

 「権力構造の『地図』を作り、個人の抵抗や反抗、挫折を鋭く描き出した」。リョサのノーベル賞受賞理由は、そのまま本作にも当てはまる。

 主人公はアイルランド生まれで約100年前に英国の外交官を務めたロジャー・ケイスメント。祖国独立を図り、英国への反逆罪で独房に入れられた彼の日常を、過去の人生を振り返るパートと交互につづっていく。

 「リョサは魅力的な実在人物を見つけるのが実にうまい。ケイスメントは様々な二重性に翻弄(ほんろう)された人生を送った。英国が支配するアイルランド、祖国における宗教対立、そして性的マイノリティーであること。エリートでありながら、どこかドン・キホーテのような夢を持ち続けて挫折する人生に、リョサは自分を重ねたところがある」

 ケイスメントは若き日、アフリカを文明化する志を抱き、コンゴ奥地に旅立つ。だが、現地で目の当たりにしたのは西洋人による原住民への虐待と資源の収奪だった。赴任したアマゾン奥地でも似た光景を見た彼はナショナリズムに目覚め、第1次大戦の敵国ドイツと手を結び、祖国独立を画策する。しかし、共に手はずを整えた愛人の男は実はスパイだった……。

 「リョサは自身が言う『逆ストリップ』の手法で歴史に様々なものをまとわせ、ケイスメントに憑依(ひょうい)したかのように内面を肉付けしていく。読者は独房で減刑を願う彼の気持ちに没入し、ハラハラしながら読み進めることになる」

 一人の男の成長と挫折を描くリョサの筆は単なる評伝にとどまらず、現代社会へ痛烈なメッセージを投げかける。

 「沖縄の基地問題などに、本作と同じ権力構造からくる矛盾を抱えている。香港や台湾もそう。ある種の国家によるパワハラですね。作品のテーマは全く古びていない」

 リョサは80歳を超えてなお、精力的な執筆を続けている。本作の後も『つつましい英雄』『シンコ・エスキーナス街の罠(わな)』を発表、19年の『Tiempos recios』(未邦訳)では冷戦下のグアテマラを舞台に、虚実入り交じる国際政治の闇を描いている。

多彩なラテンアメリカ文学、癖になる味わい

 リョサの作品にふれ、21世紀のラテンアメリカ文学の現状に興味を持った人には「ボゴタ39」が参考になる。2007年、ガルシア・マルケスを生んだコロンビアのボゴタ市と英国の文学祭「ヘイ・フェスティバル」が39歳以下の中南米出身作家39人を選んだリスト&ガイド本(洋書のみ)。17年にはメンバーが更新された。何人かは邦訳が出ており、『ケルト人の夢』を楽しめた人にはフアン・ガブリエル・バスケス『コスタグアナ秘史』(久野量一訳、水声社)がおすすめ。文豪コンラッドと名も無きコロンビア人とのつながりから、同国史を大胆に語り直す大作だ。

 女性作家の翻訳も少しずつ進んでいる。昨年刊行のグアダルーペ・ネッテル『赤い魚の夫婦』(宇野和美訳、現代書館)は女性たちが人生のステージで抱く違和感を、人と共にいる様々な生きものを通してあぶり出す短編集。「奇妙な味」と言えそうなサマンタ・シュウェブリン『七つのからっぽな家』(見田悠子訳、河出書房新社)、ホラー風味のマリアーナ・エンリケス『わたしたちが火の中で失(な)くしたもの』(安藤哲行訳、同)など、それぞれ趣は異なれど、日常と幻想のあわいに人間の本性を浮かび上がらせる物語運びが癖になる。(野波健祐)=朝日新聞2022年1月5日掲載