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伊藤比呂美さん、仏典を現代語訳  お経の言葉を、わたしの言葉に

伊藤比呂美さん。犬と猫に振り回され、おびただしい本と鉢植えに囲まれて暮らす=熊本市

両親の死が発端、語りの面白さは現代詩

 英国出身の夫や子どもと暮らすカリフォルニアと、両親が晩年を過ごした熊本を行き来する激しい日々をへて、2018年に帰国。現在は熊本で犬2匹、猫2匹と生活する。コロナ禍で移動は極端に減った。

 古い鏡台を見て、気が合わなかった母の顔を思い出す。犬と歩きながら追う夕日に父や夫の死が重なる。巣をかけた鳥など小さな生死に心を奪われる。穏やかな暮らしの風景を織り交ぜながら「般若心経」や「阿弥陀経」を読み解いていく。

 気づけばこの10年ほど、仏教の言葉に向き合ってきた。10年の『読み解き「般若心経」』(朝日文庫)に始まり、12年には『たどたどしく声に出して読む歎異抄』(河出文庫で『伊藤比呂美の歎異抄』に改題)、15年に『新訳 説経節』(平凡社)を出した。池澤夏樹さんが個人編集した日本文学全集(河出書房新社)では、仏教の説話集『日本霊異記』と『発心集』の新訳を担当した。

「痛い?」問う父

 発端は両親の死だった。09年、母を荼毘(だび)に付した翌朝のこと。寝ぼけた父が「おい、死ぬときゃアレかい? 痛いかい?」と、もういない母に呼びかけた。

 「ひとりで死ぬことは苦しいのか。母に聞こうとする父を見て、その恐れこそが宗教の基本だと思いました」。しかし両親ともに宗教に興味を持たないまま世を去り、伊藤さん自身も信心はない、ときっぱり。ならばなぜ、はまったのか。

 「お経の語りが面白い。自分の言葉にしたくなった。詩人の征服欲ですね」と笑う。仏教漢文、読み下し文、サンスクリット語からの翻訳、注釈書を読みこんだ。仏教辞典を片手に訳してみれば、それは現代詩だった。

 《きみたち僧は/悩むな。悲しむな。/私がどれだけ生きようとも、/いつか死ぬ。それまで生きる。/別れは来る。それでも出会う。》

 (「仏遺教経(ぶつゆいきょうぎょう)」から)

 帰依、回向、供養。本来の意味を理解しないまま、符丁のように使っていた言葉が多い。「長い時間をかけて日本語として定着しちゃったけれど、本当はどういう意味なのか。ジャーゴン(業界の特殊用語)との闘い。それがすっごく面白い。詩でやっていることとまったく同じですね」。たとえば「阿弥陀仏」を「むげんのひかり」と訳した。「こうするとユニバーサルになりません?」

多声的な作風に

 他者の声と、自分の言葉を響かせあう。多声的な作風を決定づけたのが、07年の長編詩『とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起』(講談社文庫)だった。萩原朔太郎賞と紫式部文学賞を受けた代表作。娘であり、母であり、妻である苦しみを時に明るく歌い上げる。「梁塵秘抄」や説経節、宮沢賢治に石牟礼道子、たくさんの他者の言葉を取り入れた。引用元を記すとき、「声をお借りしました」と書いた。

「自分の声だけではどんなに研ぎ澄まされた言葉でも一定になってしまう。違う人の文章を投げ込むことで、濃淡や凹凸をつける、あるいは乱す。私が引用を多用するのは、米国にいたことも大きい」

 表現の源流を尋ねると決まって米国暮らしにたどり着く。「因果ですよね。すべてつながっている。英語は大人になって使い始めた言葉だから、話していると頭の中で、これはあのときあの人が使っていたフレーズだ、と引用元が浮かぶんです。毎日、誰かの声をお借りしました、と強く感じていました」

 他者の言葉に共感したり、支えられたりするのはなぜだろう。不思議に思い、考えてきたという。

「自分の言葉で書いていながら、無意識をどこかからくみ出してくるのが詩の技術。無意識が入っていると、他者が読んだときに共感できるんですよね。私がアノニマス(作者不明)な口承文芸が好きなのは、そんな無意識がいっぱい入っているから。自分の作品もアノニマスになるといいなあと思っています」(中村真理子)=朝日新聞2022年1月12日掲載