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大岡昇平「俘虜記」 社会的テーマ、私小説に

おおおか・しょうへい(1909~88)。小説家

平田オリザが読む

 太宰治が自死したのは一九四八年の六月。同年、同い年の大岡昇平が『俘虜記』を発表する。

 四六、七年にデビューをした野間宏、埴谷雄高らを第一次戦後派、四八、九年に登場した大岡、三島由紀夫、安部公房、島尾敏雄らを第二次戦後派と呼ぶ。彼らに共通しているのは、三島を除いては従軍体験か、日本統治下の占領地でそれに近い何らかの悲痛な経験をしている点にある。大岡の『俘虜記』はその代表で、作者本人がフィリピンのミンドロ島で捕虜となり一年弱を収容所で過ごした経験が克明に描かれていく。

 この連載で見てきたように、田山花袋を祖として、日本近代文学は「私小説」という特異なジャンルを発展させてきた。私小説は自らの体験を小説に綴(つづ)ったもので「心境小説」とも呼ばれた。志賀直哉は、おそらくその頂点にあった。

 だが日本の私小説は、対象が作家の行動に限定されるため社会性に欠ける難があった。いや、西洋文学の模倣から始まった日本近代文学は、二葉亭四迷が「新しい文体はできても書くべきものがない」と早々に筆を折ってしまったときから、常に同じ問題を抱えていた。

 しかしここに、社会的切実さを持った私小説が登場する。『俘虜記』には大岡の経験が書かれているが、その背景に戦争、あるいは戦場における人間というきわめて社会的なテーマが存在する。

 志賀の『城の崎にて』において主人公は、戯れに投げた石がイモリに当たり、その小さな生命を奪ってしまったことに当惑する。それから三十年後、『俘虜記』の主人公は、熱帯のジャングルで眼前の若い米軍兵士を撃つかどうかに逡巡(しゅんじゅん)する。

 戦争がなければスタンダールの研究者として生涯を終えたかもしれないか弱いインテリが、戦場という極限状態を経験し、たしかに「書くべきもの」を得た。日本近代文学は、このときから、世界の文学史に参加することになったのかもしれない。=朝日新聞2022年2月5日掲載