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「ダンテ論」書評 読者も解釈して作品に参加せよ

評者: 犬塚元 / 朝⽇新聞掲載:2022年02月12日
ダンテ論 『神曲』と「個人」の出現 著者:原基晶 出版社:青土社 ジャンル:欧米の小説・文学

ISBN: 9784791773855
発売⽇: 2021/11/26
サイズ: 20cm/353,36p

「ダンテ論」 [著]原基晶

 この本の魅力は、要約だけでは伝わらないはずだ。
 イタリア国民文学の源流に輝くダンテの『神曲』。こうした評価は実は新しいという。19世紀、イタリアに近代国家が誕生すると、国民文学や国語を求める政治的思惑のもと、そんな評価ができた。作者ダンテは、作品の主人公と同一視されて英雄扱いされた。
 本書の著者は、現在まで続くこうした評価を、歴史学や文献学の成果をふまえて退ける。そして14世紀の自然哲学や商業革命の文脈のなかで『神曲』を読み解く。こう要約できよう。
 私たちが当然とみなす考え方は、いつ、どのようにできたか。この点を解き明かして、脱神話化する手法が鮮やかだ。だが、「創られた伝統」を越えてという要約だけでは、本書の凄(すご)みは語り尽くせない。例えば第3章。『神曲』冒頭3行だけを論じる圧巻の章だ。
 読者は、このたった3行から、校訂と注釈の歴史に誘われる。『神曲』には自筆原稿は現存しない。写本に頼るしかないが、当然に複数のバージョンがある。冒頭3行も、読点やアクセント記号の有無が争われる。著者は、校訂の系譜を押さえたうえで、この3行の既存訳を吟味し、誤りや混乱を次々に暴いていく。
 そもそも初期の写本には読み方を指示する文字記号はない。印刷術が広まる以前は、書き上げられた作品は、読み上げられて、読者との関係のなかで読み方が定まったのだ。作者と読者は現代より近く、読者も作品の成立に参加していた。
 読者の役割が変わる。現代の読者も、解釈が割れる箇所では、記号のない写本を思い浮かべて、自ら意味を探る必要がある。著者はそう説く。「書きながら読む」、「訳しながら読む」のでなければ先に進めない。
 著者は、ダンテの時代の注釈書を手がかりに、アレゴリーとして、自らの読み方を示していく。こうして私たちは、『神曲』の優れた翻訳者の、作業の舞台裏に招待されたわけである。
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はら・もとあき 1967年生まれ。東海大准教授。訳書にダンテ『神曲』、共著に『書物の来歴、読者の役割』。