新聞連載中の2020年1月、くも膜下出血で倒れた。9カ月の連載中断をへて世に出したのは、夏目漱石の評伝小説だった。「生きて戻れるか分からない。それがこの小説にとっては良かった。誰かに救ってもらったなあと思って、自分だけの漱石ではなくなったからね」
新聞に週刊誌3本、月刊誌、季刊誌と連載を抱え、締め切りに追われる日々。「そりゃあ倒れるよね」。そんな売れっ子作家から見ても、朝日新聞入社後の漱石の執筆量には驚く。連載の合間に講演旅行もしていた。「漱石を死なせたのは、朝日新聞だろうね」と冗談めかして、目を大きく開く。
道草という視点で漱石の生涯を編み直すと、小説家以前がぐっと豊かになった。寄席に入り浸り、生涯の友、正岡子規と出会った。松山の教員時代なしに『坊っちゃん』は生まれない。文豪には情けない顔もユーモアの心もあった。「調べていくと切ない人生なんだ。若い頃に書けばこのタイトルにはならなかった。僕も失敗ばかりしてきたから」
悪妻とされてきた鏡子の造形が新しい。自由闊達(かったつ)でたくましく、夫にほれこんでいるから、漱石がいい男に見えてくる。「7人も子どもがいて愛情深い夫婦だったに違いない。ほれにくいとしたら、漱石には金がなかったことぐらいだね」
連載再開後、筆致は穏やかになった。おそらく漱石が年齢を重ねたせいだけではない。熊本時代に鏡子は川へ身投げした。助かった妻を問い詰めず、おおらかに受け止める漱石を描いた。「死ぬというのは理由があることじゃない。こう書けたのは生きる死ぬを自分がやったからでしょうな」。大切な人の死を経験してきた。「生きていけるという自信がなかったが、大病して変わった。今は大丈夫、生きていける、と」 (文・中村真理子 写真・菊池康全)=朝日新聞2022年2月26日掲載