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明るくなる 柴崎友香

 外に出なくていい仕事をしている。というより、仕事が詰まってくると外に出られない。自分の性質として、他の用事をしたり人と話したりすると頭の中のことが崩れてしまってなかなか元に戻らない。だから、締め切りが重なったりする時期は、三、四日外に出ないとか、二週間以上誰ともしゃべっていないとか、よくある。靴を履いたときに、この感覚、懐かしい、などと思う。

 そんな生活なので、季節が変わりゆく今の時期は、外に出た途端に、自分が思っていたのと気温や体感が全然違っていてびっくりすることがある。コンクリートの建物の中だと、春先の朝は寒いことが多い。それに合わせてうっかり厚着で出ると、日向(ひなた)は暖かいし道行く人の格好が身軽で、あれ?と不思議な気持ちにさえなる。

 前にも書いたことがあるが、今の自分に季節を真っ先に教えてくれるのはスーパーの店頭である。野菜売り場で旬の野菜や果物を見て、あ、もうそんな季節か、と気づく。今の楽しみは品種の増えた柑橘類(かんきつるい)で、名前をスマホで検索すると、系図や甘味酸味、剝(む)きやすさなどの情報がすぐわかる。

 確かにこの間食べたのより甘いなあ、などと味わいながら、こうして日々、柑橘を掛け合わせたり、育てたりしてくれている人がたくさんいて、自分が今このオレンジ色の丸い果物を食べているのだと思う。誰ともしゃべらない、季節が変わっていることさえ気づかない生活をしている自分も、どこかの誰かと関係がある。直接会ったり話したりすることがない人、遠い場所にいる人と、どこかで関係しているのだ。

 部屋から出なくても、わかる季節の変化は日の長さで、近所の学校のチャイムが聞こえる午後五時に、こんなに明るいのかー、とそのまま外を眺めている。光の色も違う。それは、わたしが何をしていても、毎年ちゃんと変わっていってくれる。私と関係なく明るくなってよかったと思う。=朝日新聞2022年3月9日掲載