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「ミトンとふびん」書評 静かにめくられて個に立ち還る

評者: 金原ひとみ / 朝⽇新聞掲載:2022年03月12日
ミトンとふびん 著者:吉本 ばなな 出版社:新潮社 ジャンル:小説

ISBN: 9784103834120
発売⽇: 2021/12/22
サイズ: 17cm/253p

「ミトンとふびん」 [著]吉本ばなな

 六篇(へん)の短篇にはそれぞれ、別れや、大切な人の死、何かしらの喪失を経験した主人公が登場する。ページをめくり始めてすぐに訪れたのは、めくられている、という感覚だった。激しい言葉や展開はなく、おっとりとした主人公と穏やかな文章であるにも拘(かかわ)らず、いつしか読書は受動的な行為となり、静かに、丁寧に一枚一枚、こちらが開かれ続けているような。
 そして、母を亡くした女性が台北を訪れる「SINSIN AND THE MOUSE」を数ページ読んだところで涙が止まらなくなった。めくられるうち、服も武装も理屈も全て取り払われて、産み落とされたばかりの赤ん坊のように無防備な状態になっていたことに、その時気がついた。涙が流れるほど、さらに土砂が崩れるように剝(む)き出しになっていくのを止められず、それでも細く頼りない骨組みだけになっていくのが快感でもあった。
 しかしそれほど心揺さぶられる作品でありながら、本書は「全米が泣いた」「あなたはきっと涙する」といった謳(うた)い文句から最も遠いところにある。ジェットコースターのような悲しみや苦境のストーリーに振り回されるのではなく、本書にめくられ続け、剝き出しの個に立ち還(かえ)ることによって、読者はストーリーに完全に溶け込み、同時に自分自身をしっかりと顧みることが可能となるのだ。カタルシスも、劇的な展開もない。それでも言葉によって心を絞られるように涙が止まらなくなることが、この世にはあるのだと知った。
 人は自然の一部であり、自分の力ではどうしようもない膨大な物事の中で、光合成をし、幹を伸ばし、実をつけ、時にはダメージを受け、個々のペースでできることをして生きているだけの存在なのだと、本書は静かに教えてくれる。
 この世に小説があってよかった。自然に対する畏怖(いふ)と感謝の念と同じものが、読み終えた者の胸に湧き上がるだろう。
    ◇
よしもと・ばなな 1964年生まれ。『ムーンライト・シャドウ』で泉鏡花文学賞。『アムリタ』で紫式部文学賞。