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岩木一麻さんをとりこにした熱帯植物ライフ

©GettyImages

 幼い頃から生物が好きだった。トンボのように飼育が難しいものは翌日には捕まえた場所に戻すのが我が家のルールだったが、そうでないものは色々と飼った。

 ある日、ジュウシマツが日本の鳥ではないことを知った私は、母に「ジュウシマツはどこからきたの?」と尋ねた。母はペットとしての家禽だという意味で「人がつくったのよ」と答えた。その日から私はジュウシマツのことを不気味に感じるようになった。とても人が造ったようには見えない。精巧すぎる。長い間(といっても数日くらいのものだろうが)想い悩んだ私は母に尋ねた。「ジュウシマツはどうやって造るの? 本物の生き物みたい」その質問ですべてを理解した母は、「ジュウシマツの作り方」を教えてくれた。私は幼心に育種によって生物が作り出せることの面白さを理解した。

 その後も様々な生物と生活を共にした。アヒルは十年以上にわたって庭を闊歩していた。イグアナをはじめとした爬虫類も飼った。高校生になった私は、熱心な熱帯魚愛好家になった。親が心配するほど水槽を眺め、雑誌を読み漁った。また、生物部では顧問の先生の影響で、それまで恐怖の対象だった蜂の観察と収集に勤しみ、それが高じて観光を兼ねてパキスタンに行き、乾いた大地で蜂を捕るために網を振った。大学では昆虫を研究材料に選んだ。修士課程では、亜熱帯に生息するキリギリスの生き方を研究テーマに選んだし、国際学会でブラジルを訪れ、アメリカ大陸の熱帯生物たちをこの目にすることができた。

 その後も珊瑚を数年間飼育したりして、主に熱帯生物に魅了され続けた。熱帯生物といっても興味があったのは熱帯や亜熱帯に生息する動物たちで、植物にはまったくと言っていいくらい興味がなかった。

 転機は突然訪れた。西武池袋本店の屋上で、ビカクシダという樹などに着生するシダの一種が壁に掛けられて売られているのを見かけたのだ。5年ほど前のことだった。貯水葉と呼ばれる楯のような形の葉で板に張り付き、胞子葉と呼ばれる、分岐した鹿の角のような形状の葉を、天を掴まんとばかりに伸ばしていた。

 その日は、なにも買わずに帰り、十分に情報収集して育成可能であることを確認してから再び屋上に足を運んで迎え入れた。そうして私の熱帯植物ライフは唐突にその幕を開けた。今では百種を優に超える熱帯植物が、我が家で旺盛な生命力で枝葉を伸ばし続けている。

 懇意にさせて頂いている熱帯植物栽培家の杉山拓巳氏は、「熱帯植物の魅力は?」という私の問いに「成長すること」と答えた。広大な温室で数えきれない程の植物を育て、原生地に足を運んでいる杉山さんらしい言葉だと思った。

 確かに熱帯の植物の成長力は凄まじい。熱帯では、光や栄養などを巡って、植物同士の静かだが苛烈な戦いが繰り広げられている。そうであるが故に、彼らの生育ポテンシャルは爆発的だ。家庭環境でも、環境がハマれば驚くほどのスピードで大きくなるし、逆に引き締めて生育させることもできる。一方、本来は熱帯の植物だから、温帯の日本では調子を崩し、場合によっては枯れてしまう。その辺の気難しさもまた、熱帯植物の魅力の一つだ。誰がやっても同じように育つのでは、趣味としては面白くない。

 コロナ禍で自宅で過ごす時間が増え、熱帯植物は空前のブームを迎えた。 一部の品種ではバブルの様相を呈している。穴の開いた葉が特徴的なモンステラのうち、ホワイトモンスターと呼ばれる品種は、ブーム前には普通に園芸店で売られていたものが、百万円を超える値段で取引されるようになったし、先程紹介したビカクシダも、品種によっては数十万から百万で取引されている。

 その辺のブームの白熱ぶりとは距離を置いて、熱帯植物を楽しんでいる。この年になって植物の育種を手掛けることになるとは思いもよらなかったが、シダの胞子を土に撒いて沢山の苗を育て、ルーペを覗き込んで変わった苗がないかを確かめるのが日課となっている。

 最新作、『テウトの創薬』では、カバーイラストの新岡良平さんが丁寧に作品を読んでくださり、作中に登場するモンステラを表紙に描いてくださった。また、カイコを始めとした昆虫が物語に登場する。昆虫採集をする人が山で自殺者を発見しやすいというのは、複数の知人の実話に基づいた話だ。その他の著作でも、植物や動物の生態に作品で触れ、時に物語の謎を解く鍵となる役割を担わせている。これからも積極的に作中に生物を登場させて、物語のアクセントにしたいと考えている。