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ウクライナ侵攻と「核」 二つの恐怖が問いかけるもの NPO法人ピースデポ特別顧問・梅林宏道  

ロシア軍の侵攻によって損傷したザポリージャ原発の建物内部=ロイター

 ロシアによるウクライナへの軍事侵攻には、当初から色濃く「核」の影が付きまとっている。

 冷戦後、ウクライナはソ連邦の一員として自国に配備していたソ連の核兵器を放棄してロシアに移送し、非核国になることを選択した。ロシアはそのウクライナを侵略したのみならず、核兵器使用の脅しを加えた。その後の戦争は、一人の大統領の決断次第で核兵器が実際に使用され、米国を含む北大西洋条約機構(NATO)を巻き込んだ核戦争に発展するという不安の中に世界を陥れた。

 ウクライナ戦争は、私たちに核兵器のリアリティーを呼び覚まし、多くのことを問いかけている。

 ウクライナが核兵器を放棄したときの米国の国防長官はウィリアム・ペリーであった。ペリーはその回顧録『核戦争の瀬戸際で』(東京堂出版・2750円)において、ウクライナの地下深くにある大陸間弾道弾(ICBM)の発射司令部を解体するために訪問したときの戦慄(せんりつ)をこう述べていた。「冷戦の超現実的な恐怖がこの瞬間ほど生々しく感じられたことはあとにも先にもない」。そこでは700発の核弾頭が米国を標的に一触即発の発射態勢におかれていた。

 この発射態勢は、今、ウクライナ戦争下のロシアやアメリカにおいても続いている。

神話の根拠崩す

 ペリーと長年の協働者トム・コリーナは、共著書『核のボタン』において、人類がこの危険からいかにして脱出できるかを考察した。ペリーよりも39歳下のコリーナは、公職についた経歴のない市民運動に近い研究者である。まったく違ったバックグラウンドをもつ2人が経験を持ち寄ることによって、著書は具体的かつ市民的な実践的処方を提示している。

 2人は、とりわけ二つの喫緊の危険性を指摘している。一つは米国、ロシアとも大統領の側近が、いわゆる「核のブリーフケース」を携行していることに象徴される、核戦争が一人の権力者の決定に委ねられている制度の危険性。二つめは、敵の核ミサイル発射を感知した警報が出たとき、着弾までの約10分の間に報復の核ミサイルを発射しなければならない警報即発射態勢の危険性である。

 このような危険の指摘は決して初めてのことではない。しかし世界に変化が起きないのはなぜか? そう考えたとき、「核兵器は国家安全保障に不可欠」という根強い「信念」が学者や政策アドバイザーを支配している現実に目を向けざるを得ない。ウォード・ウィルソンの『核兵器をめぐる5つの神話』は、このような「信念」は誤った神話から生まれていると述べる。ウィルソンの論考は、アメリカ市民を説得するために史実を丹念に拾いながら神話の根拠を崩すための努力である。ペリーとコリーナも「幅広い国民の覚醒と支持なしには、米国の核政策の大きな変化は起きない」と前著で述べているが、核兵器の危険の除去には、日本の市民も含め圧倒的な市民の力が必要である。

思い起こす悪夢

 ウクライナ戦争は、もう一つの核の恐怖とともにある。砲弾が飛び交う戦場には、4基の休廃止中の原子炉と15基の稼働中の発電用原子炉がある。ロシア軍が砲火でチェルノブイリとザポリージャの原子力発電所を制圧したとき、世界は1986年のチェルノブイリの悪夢を思い起こした。アダム・ヒギンボタム『チェルノブイリ』は、膨大な文書資料とインタビューで構成された、その恐るべき放射能禍についての最新の記録である。

 原子炉爆発、報道管制、当直者家族の不安と混乱、大量被曝(ひばく)者の刻々の病状、発生から22日で20人の死者、奇跡の生存者の22年後のがん死。すべては原爆被爆者の証言と重なる。=朝日新聞2022年4月23日掲載