1. HOME
  2. インタビュー
  3. 沖田瑞穂さん「すごい神話」インタビュー 鬼滅もFGOも進撃の巨人も、神話を知ればもっとおもしろい

沖田瑞穂さん「すごい神話」インタビュー 鬼滅もFGOも進撃の巨人も、神話を知ればもっとおもしろい

沖田瑞穂さん

アニメやゲームを入口に

――本書はサブカルのストーリーやキャラクターと、その「元ネタ」とも言える世界各地の神話の関係を読み解いています。例えば、「鬼滅」の人と鬼の関係には「人間がなぜ死ぬようになったか」を説く「バナナ型神話」の類型があるとか。漫画・ゲームファンが入り込みやすい神話学の入門編、執筆のきっかけは?

 数年前、大学で教えている学生たちが神話の固有名詞にやけに詳しくなってきたのに気付きました。以前はインドの叙事詩「マハーバーラタ」といっても、教科書で習ったくらいの雰囲気だったのに。アルジュナやカルナという名前を出すと、目をウルウルさせる人もいました。

――二人ともマハーバーラタの英雄にして、FGOで屈指の女性人気を誇る宿命のライバルキャラですね。

 他にはユグドラシル、ユミル(北欧神話の神樹と巨人)という名前に反応する人も。レポートでは「彼らはゲームに出てくるんです、(名前が出て)うれしかった」と書いてくれる。これらのキャラが出演するゲームの一つとして、ツイッター上で教えてもらったのがFGOでした。実際にプレイしてみると、確かにたくさんの神や英雄が出てくる。

 ゲームや漫画を通じて神話に親しんだことがきっかけで、本格的な研究の世界へ向かおうとする人も出てきました。ある大学でマハーバーラタが大好きな学生と話したときのこと。本作は日本語訳が途中までしかありません。(FGOで人気の)アルジュナとカルナが一騎打ちするシーンの巻は古書でしか手に入らず、数万円します。私はこの巻を2冊持っていたのであげたら、泣いて喜んでくれました。この人のように、アニメやゲームを入口にして本格的な神話の世界へ誘い込める本を書こうと思ったのです。

『マハーバーラタ』の原典(プーナ批判版)

神話は「変化するもの」

――確かに、本書で紹介されるマハーバーラタはまるで少年漫画のような熱さとエモさでした。一方でFGOをはじめ、こうした神話の神々や英雄たちのキャラデザインを、性別や年齢など大幅に改変している作品は少なくありません。「解釈違い……」と眉をひそめる研究者もいそうですが、沖田さんはむしろ積極的に楽しみ分析していますね。神話のいわば「二次創作」を歓迎しているのはなぜですか?

 神話の本質が、「変化するもの」だからです。例えばカルナはマハーバーラタではいち将軍ですが、だんだん悲劇の英雄として重要視されるようになりました。私は現代のインド人が描いたバージョンのマハーバーラタを監訳しましたが、カルナ像は原典と少し違っています。まして、日本のフィクションの中で新たな生命を吹き込まれた神々の姿が変化しているのは当然のこと。一部の人からは拒否反応があるかもしれませんが、私は神話の新たな形として柔軟に楽しみたいですね。

――フィクションの作者たちは神話を意識的にアレンジするだけでなく、むしろ意識せずに神話の「類型」のキャラを再生産している、という沖田さんの指摘も興味深いです。例えば姿は少女なのに母の役割を持つ神話の「少女母神」は、FGOのエウリュアレ、「風の谷のナウシカ」のナウシカ、「魔法少女まどか☆マギカ」の鹿目まどかなど多くの女性キャラに見受けられるとのこと。神話のストーリーやキャラが、現代のフィクションの中で無意識に何度も繰り返されるのはなぜでしょうか?

 恐らく、物語というもののほとんどは既に過去に神話として出尽くしているのでしょう。「物語を作る能力」は一部の天才によるもので、神話が作られた時点で出し尽くされている。一方で私たちは物語を通じてでしか世界を見ることはできません。神話に出てくる話を踏襲したり、細かい部分を反転させたりして修正することで、神話の物語をずっと繰り返し続けてきた。現代のストーリーテラーの力を決して侮っているわけでなく、今の才能ある人々もまた神話の「型」に新たな要素を織り込みながら、次々と物語を紡いでいるのでしょう。

マハーバーラタの「乳海攪拌神話」(17世紀)。FGOのキャラクター「キングプロテア」が宝具(必殺技)で「敵を乳の海に沈める」のは、このシーンが背景にあると著者はみる

ホラーは現代の神話

――となると、古代の神話をアレンジしつつ語り継いでいるサブカル作品たちもまた、現代の「神話」と言えるのでしょうか?

 そもそも神話とは何でしょう。私は、神話の一番の本質は「聖なる物語」だと考えます。確かにゲームやアニメ、漫画の一部は、神話の構造や用語を引き継いでいる後継者のように見えます。ただ、そこに「聖性」があるのでしょうか? 例えばアルジュナやカルナのファンの中には、彼らを「聖なる者」として受け取っている人がいるかもしれない。ならば神話と言えるのかもしれませんが……。とりあえずそこは保留にします。

 一方で、本当の「現代の神話」と言えるジャンルもあると確信しています。別の本に書く予定ですが、それはホラーですね。怖いモノを見たときに人間が抱く恐怖。その背景に「聖なるもの」はきっとある。例えば「実話怪談」というジャンルがあります。

――「本当にあった、体験した」という前提で語られる怪談ですね。

 そこで豊かに語られているのは、何かしらの「聖なるものに触れたい」という人間の感覚です。「恐れ」が畏怖の「畏れ」でもあるとすれば、神への「畏れ」と怖いモノへの「恐れ」は、実はつながっている似た感情と言えるのではないでしょうか。

――確かに、人工の神話体系と言えるクトゥルフ神話などはまさに、「名状しがたい」異形の神々への恐れ=畏れで成立していますね。

 クトゥルフ神話にもぜひ入門したいと思っています! あと、神話や昔話をひっくるめて、昔から語り継がれてきた「伝承物語」とみたとき、少女向けのライトノベルがそれに相当するのではと考えています。

 そんなところに神話や昔話があるの? と思うかもしれませんが、この手の作品はかなり型を踏襲して話が進みます。例えば「悪役令嬢もの」ですね。いくつかの型に分類できる上に、それぞれ作者によって微妙に味付けを変えられた作品が大量に生産、消費されている。かつて昔話が語り継がれていた頃を再現しているようです。

 例えば『悪役令嬢は隣国の王太子に溺愛される』(ぷにちゃん著、KADOKAWA)は、乙女ゲーの世界で婚約破棄された女の子が幸せになる、まさにシンデレラのパターン。(近い話の類型として)鬼など異種の花嫁になって幸せになるパターンでは、『鬼の花嫁』(クレハ著、スターツ出版)という小説があります。こうしたラノベを読むと、まるで現代の伝承物語の誕生に居合わせているようでワクワクしますね。

神話の原典に触れる意義は

――ただ、作品のキャラや武器名の由来が神話にあっても、そうした元ネタにさほど興味のない人もいます。私たちオタクが神話の原典に触れる意義は何だと思いますか?

 例えば『進撃の巨人』では、冒頭から「ユミル」という言葉が何かを示唆するようにチラチラ出てきますよね。北欧神話における原初の巨人の名だと初めから知っていれば、ものすごく想像の幅が広がる。単に神話内の固有名詞が使われているだけじゃない。その神名に込められていた「聖性」が現代に蘇り、古い神話の世界へと入っていけるのです。作品を通じて私たちも、神話本来の「聖なるもの」を感じられるのではないでしょうか。

――お話を聞いていると、完全版が出ていないというマハーバーラタをはじめ、もっと神話の原典を邦訳で読んでみたくなりました。

 いま、一般の人に向けた神話の原典の「供給」が少ないのはとても問題です。研究の世界はどうしても神話の細部の解釈などが重視されがちで、神話の全体像を翻訳して紹介するような仕事はあまり評価されません。ですが、裾野が広くなければ山は高くなりません。私は子どもから大人まで読める、しかもできるだけ原典に近い「生」の神話を、これからも著作を通じて紹介していきたいですね。