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鴻巣友季子の文学潮流(第34回) アトウッド、桐野夏生、エヴェレットに見るディストピアへの想像力

©GettyImages

 ディストピア小説『侍女の物語』の著者であるマーガレット・アトウッドは、アメリカCBS放送のインタビューでこう話している。「1990年代には、わたしたちは(全体主義の独裁国家)ギレアデから遠ざかっていると思っていましたが、それがこんなことになるとは」。時は2019年11月、第1次トランプ政権の3年目だった。

 その3か月後には、フランスの国際チャンネルでこう述べた。「20世紀、世界は平等と自由へと向かっていると私たちは信じていました。いまそれが逆行しています」と。

 全体主義独裁国家を描く『侍女の物語』が刊行された1985年当時、そこに書かれたことがアメリカ国内で起きるとはだれも信じようとしなかったという。とはいえ、その陰ではキリスト教右派の圧力団体の活動が問題になっており、排外的なナショナリズムの動きが活発化していたのだった。

 今月は、かつての自由と平等の流れに逆行し、消えたはずのものが復活する動きを捉えた作品を今月は紹介したい。

18歳で届く「桃紙」

 日本では衆議院選挙が数日後に迫っているが、首相は解散の理由として、「国論を二分するような大胆な政策、改革にも、批判を恐れることなく果敢に挑戦していくためには、どうしても国民の皆様の信任も必要だ」と述べた。「国論を二分する政策」には、スパイ防止法、防衛力の抜本的強化、日本国国章損壊罪、外国人政策の厳格化などが含まれている。

 さて、「小説すばる」で1月号から桐野夏生の「桃紙」の連載が始まっている。舞台は近未来とおぼしき日本。すでにスパイ防止法、国家反逆罪、国旗損壊罪が施行されているばかりか、徴兵制が復活している世界だ。

 主人公の女子・山田琥珀(コハク)は高校3年生で、卒業式を間近に控えている。ということはそろそろあれが来る頃だ。俗に「第二の初潮」などと呼ばれているもの。CSPと略称されるそれは、女子の高校卒業時、または18歳の誕生日に来るらしい。

 CSP=Cultural Support Program(文化支援プログラム)とは名ばかり、女性の準徴兵制度である。自衛隊の極度の人員不足により、数年前に男子の徴兵制が先に復活し、「その見返りに」女子にもCSPが実施されることになったのだという。卒業式の会場スクリーンには、「ISSHO」「KIZUNA」「DANKETSU」の文字が現われ、国歌斉唱で起立しない者は警察官に連行されるらしい。

女子の低学歴化を狙う理由は

 きな臭さが漂う。防衛相人事教育局の局員によれば、CSPは軍隊ではないが、「強制力としては軍務と一緒」だと言い、トレーニング中のことは「国家機密」なので外に漏らしてはいけないと。昔は「お国のため」という言葉があったが、そこに回帰するプログラムだと言うのだ。桃紙は、アメリカ人、韓国人、中国人、日本人の血が混じっている朱亜(シュア)には届かなかった。

 この架空の日本では、人種差別だけではなく男女差別が狡猾に制度化されている。男子の兵役は1年半、女子は1年間だが、大きな違いは期間ではない。男子は「自分が都合のいいときに兵役に就けばいい」のに対して、女子は高卒後または18歳になったら強制的にCSPに送られるのだ。

 そのせいで女子の大学進学に大きく影響しているという。現役進学の可能性がなくなったため、CSPの後には、難関大学や進学自体をあきらめるケースも出てくる。都下でトップスリーに入る女子進学校に通うコハクの母は言う。
「前は医学部だって女子の方が多いぐらいだったけど、かなり減ったって。ヨコヤマ先生が、CSPは女子の低学歴化を狙っているって言ってたわ」

 支配下に置きたい対象から教育やリテラシーを奪うのは、ディストピア国家の常套手段だ。前述のアトウッドの小説でも、女性には中等教育以上が禁じられているし、そのような知的弾圧は21世紀のいまも、アフガニスタンやある種の宗教コミュニティには歴然と残っていることだ。「超現実近似値ディストピア」と銘打たれたこの小説の先が楽しみでもあり、恐ろしくもある。

70年前のアメリカの事件を下敷きに

 先月、アメリカのミネソタ州ミネアポリスでICE(移民・関税執行局)への抗議活動をしていた市民2人が相次いで職員に射殺された。アメリカの移民や有色人種への差別、排除傾向は長らく続くものだが、これはもう民主主義に真っ向から対立・逆行する行動だ。

 ICEへの抗議デモでは、「No ICE, No KKK, No fascist USA!」というスローガンが掲げられた(「ガーディアン」1月31日付)。KKKとは白人とくにWASP(ホワイト、アングロサクソン、プロテスタント)至上主義を掲げる差別結社クー・クラックス・クランのことだ。現在クランの活動は規模こそ縮小し影響力を失っているとしても、未だにそうした思想は一部に根強く残っている。ディカプリオ主演の「ワン・バトル・アフター・アナザー」に登場する「クリスマス・アドベンチャーズ・クラブ」という秘密結社もそれに当たるだろう。

 パーシヴァル・エヴェレットの話題作『赤く染まる木々』(上野元美訳/早川書房)は、そうした人種差別の風土が色濃い南部の町を舞台にした超ダークなミステリ小説である。

 原題のThe Treesは、かつて黒人たちが白人の差別主義者に縛り首にされた木を意味する。そう、ユダヤ系のエイベル・ミーロポルの作詞・作曲で、ビリー・ホリデーが歌った「奇妙な果実(Strange Fruit)」に出てくるあのtreesだ。「奇妙な果実」とは南部の木々に吊るされた黒い「むくろ」を指している。

 『赤く染まる木々』の舞台は2019年、現実世界では、黒人のジョージ・フロイド氏が白人警官に殺されたことから一気にブラック・ライヴズ・マター(Black Lives Matter)運動が盛りあがっていた頃だ。

 ミシシッピ州のマネーという町で、白人男性が惨殺される。死体の横には身元がわからないほど損壊された黒人男性の遺体があり、その手には白人男性の切断された睾丸が握られていた。まもなくこの白人男性の親戚の男も殺され、彼の死体の隣には同様の黒人の亡骸が。ところが奇妙なことに、この黒人の死体は安置室から消えてしまう。

 マネーという町の名前と、殺されたこの白人のブライアントという姓から、ある事件を思いだす人もいると思う。1955年、この町でエメット・ティルという14歳の黒人少年が、キャロリン・ブライアントという白人女性に口笛を吹き、体をつかんだという理由で、キャロリンの兄弟たちに拉致され、リンチ(私刑)され、頭を撃たれた後、川に投げこまれた事件があった。白人兄弟は裁判にかけられたが、全員白人男性から成る陪審団によって無罪判決が出されたのだった。

『赤く染まる木々』で殺される白人たちの横に現れる死体は、このティル少年によく似ていた。亡霊が復讐のために甦ってきているのでは、という説も飛びだす。

猟奇事件をコミカルなタッチで

 この猟奇事件の捜査にFBIならぬMBI(ミシシッピ州捜査局)から派遣されてくるのが、笑えないジョークを繰り出すエドとジムという古典的警官コンビ。ふたりとも黒人だ。ところが、マネーの町は保安官も検視官も牧師もみんな白人(検視官と牧師は同一人物)である。

 殺されたウィート・ブライアントとジュニア・ジュニア・ミラムはまさに、ティル少年をリンチで殺した兄弟の末裔だと判明する。さらに、ウィートの母で、グラニーCとイニシャルだけで呼ばれる女性は、リンチ事件の原因となったキャロリン・ブライアントその人なのだ。

 ウィートとミラムはふたりとも「筋金入りのクラン」だったと明かされ、検視官兼牧師は「アメリカ合衆国クー・クラックス・クラン最高騎士団、ミシシッピ州マネー支部長」に就任する。

 人種差別とヘイトの空気が高まるなか、同様の殺人事件はつづき、やがて隣には中国人の遺体も現れるようになる。この展開には、当時新型コロナウイルス感染症が米国大統領によって武漢ウイルスなどと呼ばれ、アジア人ヘイトが広がった社会背景も織りこまれているのだろう。

 内容は相当陰惨だが、タッチはコミカルで、探偵小説風のワイズクラック(機知に富んだジョーク)の応酬が笑いを誘う。カリフォルニア州オレンジ郡からリバーサイド郡コロナに派遣され事件の捜査に当たる警官と、地元副保安官が名乗りあう場面などは、笑わせられた。「ホーだ」「チーだ」「ミンよ」。3人の名前を合わせると……。オレンジ郡にはリトル・サイゴンと呼ばれる大きなヴェトナム系地区がある。

 また、著者が初期の『消去』から一貫して、黒人をBlack man、白人をWhite manと大文字で始める点にも留意したい。メディアのルールとして、Black manは人種を表わすため必ず語頭を大文字で記するが、white manは小文字で始める傾向があった。著者は、色が白いことがスタンダードで当たり前なのではない、それも色が黒いのと同じく、人間の特徴の一つなのだと言っているのかもしれない。

「見限るのはまだ早い」

 本書の終盤には、奴隷制を正当化し、「本来のアメリカ人でない」黒人や中国人やインディアン(原文ママ)からアメリカを取り戻すとぶちあげる米国大統領の滑稽な演説が挿入される。本来のアメリカ人って先住民のほうだと思うのだが?

 現実の米国大統領のスピーチと大差ないことにまた気が滅入るが、じつは前述のアトウッドはまだ絶望していない。「アメリカを見限るのはまだ早い。第1に、アメリカは遠目に見るよりはるかに多様性のある国です。第2に、アメリカ人って意地っ張りなんですよ。一列に並ばされて、ああしろ、こうしろと命じられるのを好みません。そういうのが大嫌い。右派だろうと左派だろうと、誰かに指図されるのはまっぴらなんです」「あの国はまだ全体主義国家にはなっていません。だって本当にそうだったら、私の小説のドラマなんて撮影できないし、関係者は投獄されるか追放されるか殺されていますよ」と(「ガーディアン」2026年12月)。