2月の終わりごろ、朝方、キュンキュンとガラスのコップを柔らかい布でぬぐうときに出るような音が聞こえるようになりました。気のせいだと思ったのですが、街がざわめきはじめる前の静かなひととき、たしかに聞こえてきます。なにか小さな生き物といった感じでしたが、いつでも聞こえているわけでもなく正体はわかりませんでした。
もしかしたら子犬の鳴き声かと思ったのは、3月になって春めいてきた陽気の朝のことでした。おそらくマンションのどこかの部屋で犬を飼いはじめたのでしょう。その朝、いつもより大きく身近に声が聞こえ、ああ、子犬だと思ったとき、半世紀以上も前、わが家で飼っていた白い犬を思い出しました。
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小学校一年生から二年生にかけ、オスのスピッツをわが家でも飼ったことがありました。たぶん、私や弟にせがまれているうち、親がたまたまだれかから譲ってもらうといった機会があったのではないかと思います。当時住んでいたのは木造の長屋で隣近所とも軒を接した路地にある家で、犬を飼うような環境ではありませんでした。
スピッツという犬種、今はあまり見かけませんが、当時、国内では爆発的なブームで、繁殖数も急激に増え、多くの家庭で飼われた時期がありました。ただ飼い方とかしつけ方、育て方が理解されていたとは思えません。当時は犬といったら玄関先につなぐという番犬の飼い方がほとんどで、今のようにスーパーマーケットでドッグフードが市販されているわけでもありませんでした。
わが家も子犬のときは玄関の一角に段ボール箱を置いて、人間の食事の残りモノをエサにして育てました。純白の毛玉のようなふわふわとした感触や、生温かい舌と特有の口のにおいなど妙におぼえていて「チロ」と名付けてかわいがってはいましたが、小型の室内犬といっても畳の上や布団に上がらせることはなく、人間と犬の住む場所には目に見えない線が引かれていたと思います。
チロはすぐに成長し、玄関先に犬小屋も設置して、首輪をつけて外で鎖につないで飼うことになりました。最初の夜、チロはキュンキュンと鳴き続け、遠ぼえをし、扉を前脚でガシガシとこすり、かわいそうで玄関先で抱いていたようなことをぼんやり覚えています。
ただ子どもというのは移り気で薄情で、まもなくチロは玄関先の風景にとけこみ、純白だった毛並みが薄黒く汚れていきましたが、あまり気にもかけなくなっていたようです。スピッツはもともと敏感で警戒心が強くよくほえ、ブームが去ったのもほえやすい犬として敬遠されるようになったためだといわれています。父と母が散歩に連れていってはいたと思いますが、ストレスもたまっていたのでしょう、チロは四六時中ほえるようになり、隣近所から苦情もあり、そのうちに犬をなでようとした女の子をかんでケガをさせました。
数日後、学校から帰るとチロの姿がありません。母は、父がどこかに連れて行ったといい、父は黙りこんだままでした。子ども心になにがあったのかわかり、長く泣いたと思います。犬はあれから一度として飼ったことはありません。キュンキュンという鳴き声を聞き、半世紀以上も前の犬を思い出して、うっすらと罪悪感がよみがえって、ちょっとせつなくもなりました。
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ちょうどそのころ、ウクライナからポーランドに逃れてきた人々が、犬や猫などを連れている姿をニュースで見ました。避難所で犬を抱いている子どもや、動物愛護団体の人々が戦地に残された動物たちをなんとか救出しようとしている報道もありました。戦火から逃れてきた自家用車の窓から顔を出したヨークシャーテリアがカメラをまっすぐに見つめていて、その黒い眼に思わず視線をそらしそうにもなりました。=朝日新聞2022年5月2日掲載