- 爆弾
- 観覧車は謎を乗せて
- 名探偵と海の悪魔
トマス・ハリスのサイコ・サスペンス小説『羊たちの沈黙』が刊行されてから三十四年、映画版の公開から三十一年が経ったけれども、映画版ではアンソニー・ホプキンスが演じた獄中の元精神科医にして連続猟奇殺人犯ハンニバル・レクター博士を想起させるキャラクターは、昨今のミステリー界においても後を絶たない。行動を制限された獄中にありながら天才的な頭脳で人を動かす超人ぶりが放つ恐怖と魅力は、やはり色褪(あ)せないものがある。
呉勝浩『爆弾』で、爆破事件を次々と予告する自称「スズキタゴサク」は、一見冴(さ)えない中年男。映画「ジョーカー」でホアキン・フェニックスが演じた主人公のような「無敵の人」っぽい佇(たたず)まいだが、読むにつれて、そんな第一印象を裏切る異様な側面を明かしはじめる。警察署に連行された彼から真実を聞き出そうと、さまざまなタイプの警察官が取り調べを担当するけれども、スズキは彼らを膨大な言葉の奔流で弄(もてあそ)び、逆に彼らの本音を暴き出してしまう。取調室という狭い空間にいながらにして、言葉だけを武器にすべてをコントロールするスズキは、レクター博士的な敵役のマンネリ化の流れに久しぶりに投じられたユニークなキャラクターだ。
刑務所や警察署に縁がない一般人であっても、思わぬ状況で監禁状態に陥ることもある。朝永理人(ともながりと)『観覧車は謎を乗せて』では、観覧車が急停止したことで、六つのゴンドラに乗っていた客たちが閉じ込められてしまう。それぞれわけありの彼らは、観覧車が動き出すまでにゴンドラ内で何らかの謎を解かなければならなくなる。
客たちに課せられた謎とは、告白した相手に振られた理由は何かといったささやかなものから、自分の命がかかったものまでさまざまである。タイムリミットが迫る中、特別に優秀な頭脳に恵まれたわけでもない一般人が幽閉状態で必死に推理するのだが、彼らによる六組の謎解きが同時並行で繰り広げられるクライマックスの演出技巧はちょっと類を見ない。
イギリスの作家スチュアート・タートンの『名探偵と海の悪魔』は、一七世紀、バタヴィア(現在のジャカルタ)からオランダへ向かう船上で奇怪事が相次ぐ波瀾(はらん)万丈の歴史ミステリーである。
この船にはサミー・ピップスという名探偵が乗り合わせているのだが、バタヴィア総督に捕(とら)えられているため自由に動けない。そのため、助手のアレント・ヘイズが彼の目や耳となって船内の人間関係を探ることになるが、一室に監禁されたピップスが頭脳を発揮できるのか、そもそも名探偵である彼がどうして拘束されなければならなかったのか……といった読者の疑問に、この物語は思わぬ角度から答えを出してみせるのだ。=朝日新聞2022年5月25日掲載