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敵基地攻撃能力 予測可能性を損なうリスク 東京大学教授・石田淳

「反撃能力」提言を議論した自民党の会合=4月

 中曽根内閣が防衛費の上限を緩和した際、次の閣議決定を行った。

 「我が国は、平和憲法の下、専守防衛に徹し、他国に脅威を与えるような軍事大国とならないとの基本理念に従い」「節度ある防衛力を自主的に整備してきたところであるが、かかる我が国の方針は、今後とも引き続き堅持する」(1987年1月24日)

 76年以来の国民総生産比1%枠は廃するが、基本理念はかわらないとした。安倍内閣が集団的自衛権の限定的行使容認に踏み切ったあとも、この定型表現で方針の継承を言明した(2018年12月18日の閣議決定)。

 「敵基地攻撃能力」については、専守防衛の方針と整合するよう「反撃能力」と改称する動きが出る中、今国会で岸田内閣は、限定的な集団的自衛権を根拠としても「敵基地攻撃」は憲法上許されるとした。年末までに改定の予定される国家安全保障戦略等にこれがどのように反映されるのか、予断を許さない。ただ、能力の保有を公言するなら、政府はそれでも「専守防衛」に徹することは従来通りと説明するだろう。これは、もっぱら国内世論を聴衆と想定した一国主義的な政治の論法だが、いかなる局面で日本が自衛権を行使するのかは、関係諸国の誰の眼(め)にも明らかだろうか。

禁止原則の例外

 国連憲章体制の下では、個々の国家による武力行使は原則として禁止されているが、安保理の決議に基づく強制措置と自衛権の行使という例外がある。よって国際法上、個々の国家は相互防衛条約等を結び、所定の地域における武力攻撃には共同防衛行動をとることが可能だ。ただ国際法学者・松井芳郎の『武力行使禁止原則の歴史と現状』が指摘する通り、武力攻撃の発生は、自衛権という権利の行使要件であるだけでなく、条約上の共同防衛義務の発動要件ともなる。では、攻撃された国が武力行使に踏み切る局面について、安全保障上の対抗国や同盟国との間に共通認識はあるのか。

 守勢に立たされているという認識は攻勢の動機となる。軍備計画を立て、配備を進め、攻撃に着手しようとする周辺国に対峙(たいじ)して、どの時点で自衛権を根拠に武力行使できるのか。実際に、94年の朝鮮半島の核危機の際、アメリカの国防長官であったW・ペリーは、北朝鮮・寧辺の核施設への攻撃計画を作成した(『核戦争の瀬戸際で』)。そして、ペリーは日本側と事前に協議をしたという。

 「敵基地攻撃」とは、攻撃の着手とみなせるほど発射が差し迫ったミサイルの発射拠点・装置への、先制攻撃を指す。もっともらしいが、「敵」の攻撃を無力化する軍事力はその反撃をも無力化できるから、「敵」は無防備状態に置かれる不安に苛(さいな)まれる。問題は軍事力の効果であって、その使用意図が攻撃か反撃かを区別することには意味がない。

熾烈化する競争

 一方が敵基地攻撃能力を備えて安全を確保しようとしても、他方はそれを相殺する行動をもって応じるから、安全に対する脅威は減じない。確実なのは、軍備競争の熾烈(しれつ)化である。

 原則に例外はつきものだが、一定の限定のない例外は原則から意味を奪う。自衛権は武力不行使原則の例外で、その拡大解釈は、一見、行動の選択の幅を広げて日本の安全に資するように見えるが、国家間の行動の予測可能性を損ない、かえってその安全を危うくしかねない。

 憲法学者・長谷部恭男の『戦争と法』が解き明かすように、互いの軍事行動を予測できなければ意図せざる武力紛争は避けがたい。自衛権を根拠に例外的に正当化できる軍事行動と、正当化できない軍事行動を分かつ線がどこにあるのか、国家間の認識の共有は不可欠だ。そもそも敵基地攻撃能力で想定される「敵」は核兵器国なのである。=朝日新聞2022年6月11日掲載