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山内マリコさん「一心同体だった」インタビュー 女性たちが生きてきた平成の30年を、虚飾なく

山内マリコさん

女性の友情物語を、ストレートに

――山内さんは小説家デビューをする前から、女性同士の友情や連帯をテーマとする、いわゆるシスターフッドものを書きかったそうですね。最新作『一心同体だった』は、そうした志向がこれまで以上に前面に出ています。

 私が新人賞を取った2008年頃は「女性作家=恋愛小説」という固定観念が強くて、編集者の方に「女同士の友情を書きたい」と言うと、失笑されるような時代でした。女同士の友情はテーマとして低く見られていて、少女小説で扱う題材というイメージが強かったようで。「女性の作家さんには恋愛を書いて欲しいんですよ。恋愛小説は売れますから」と言われたこともありました。

 それもあってデビュー作の『ここは退屈迎えに来て』は、連作短編の形式で女同士の友情を描いていますが、全体の軸は男の子への片想いという、ロマンチック・ラブ・イデオロギー的な構成になっているんです。

 なので、シスターフッド要素を描くこと自体が、現状へのプロテストでもあったんです。同世代の女性の作家さんにも、そういう意識があったと思います。それまで女同士の友情というと、「女の敵は女」式の、ドロドロしたものが主流で。けど、そういう作品に偏っていたのは、評価する側が男性だったから。男性社会からの無言の要請で生み出された物語であり、傾向だったわけで。

 書き手だけでなく読者もそれを見抜けるほど、この10年でジェンダーにまつわる問題意識や、リテラシーのレベルは上がりました。それでだんだん、デビュー作ではできなかった、女性だけの友情物語をストレートに描きたいという気持ちが強くなっていきました。

――そんな時に背中を押してくれたのが、2018年に銀座のカフェで聴いた女性二人の会話だとか。

 はい、実はその時期、書きたいものが尽きたというか、ちょっとスランプに入りかけていて。たまたまとなりのテーブルに、私と齢恰好があまり変わらない女性が二人いて、なんとなく聞き耳を立てていたら、友達になりたてみたいな感じだったんです。

 時々敬語が混じったりして、距離感を探り探り、お互いちょっとずつ自己開示していて。

 彼女たちも、これまで色々な友達と出会って、今ここにいるんだろうなと想像しました。それぞれに、「友達の歴史」みたいなものがあるんだろうなって。

 私は学校も小中高大で違うし、住む街も変わったし、その時その時でいちばん親しくしている友達は、けっこう入れ替わっているんです。それぞれの友達と蜜月みたいな時期があって、自然とフェードアウトしていった。気がついたら、LINEのやり取りだけでつながっている子も多いです。

 カフェで見かけた二人にも当然そういう歴史はあるはずで。彼女たちはこの年齢になって、今、まさに出会ったんだなぁと。なんだか歴史的瞬間に居合わせたような気持ちになりました。

#MeTooとコロナで時代が変わった

――2011年と比べると、だいぶシスターフッドの概念も浸透してきましたよね? 昔だと、小学生の時に女性同士で手をつないでいるだけで、「あいつらレズ」って言われるとか、あったそうですが。

 その描写、連載時の中学生編に書きました。けど、差別的表現だからと、「レズ」を「同性愛者」に変えるよう校閲が入りました。中学校のとき、女の子同士で手をつないでいたら男子に冷やかされることは本当によくあったけど、今それを描くこと自体が差別的すぎてNGって、すごい変わりようですよね。

 中学生の姪っ子の話を聞くと、今は「ジェンダー」という言葉が男子の口からも出るみたいで、隔世の感があります。だからと言って、男子が無意識にしている、女子への差別的なふるまいがなくなったとは思わないけど。

 小説にも書いた通り、シスターフッドものの「アナと雪の女王」が公開された2014年頃から、時代の潮目が変わったんだと思います。世界各国のストーリーの作り手たちが、同時多発的に同じ方向を向いていたんでしょうね。

 ただ、2016年に『あのこは貴族』という小説を出版した時、「シスターフッド」が当時そこまで一般的な言葉ではなかったので、宣伝では使えなかったんです。今や禁じ手だし、当時もダメと思いつつ、VSで結んだりして、なんとか読者に食いついてもらおうと必死でした。

 なんだけれども、同じ内容、同じ設定、同じテーマで、2021年に映画化された時は、「シスターフッドムービー」と謳えていた。それくらいお客さん側のリテラシーが急激に上がったわけで。#MeTooとコロナで、本当に時代が変わったんだなぁと思い知りました。

女性たちの「平成30年史」

――『一心同体だった』は10歳から40歳まで、8人の女性が一章ごとに主人公になっています。それぞれの年代の女性の友情がバトンのようにつながってゆく「平成30年史」とも言えるものですが、とりわけ衝撃的だったのが最終章でした。ある女性がいかにジェンダー差別を受け、つらい目にあうか/あったかを語る章で、ツイッターでつぶやくように、67頁に渡ってその女性の独白が続く。これには男性として打ちのめされました。自分がいかに男性優位社会でのうのうと暮らし、フェミニストにおかしな偏見を持っていたかを痛感したといいますか……。

 私の世代は、当たり前のように「男女平等」で育ちました。育った家庭にもよりますが、基本的には、女子に生まれたからといって、自分たちが差別されている、生きづらい性だとは、認識していなかったと思います。

 だからこそ、同世代のほとんどの女性が、就職か結婚のタイミングで、真実を知ることになります。「男女平等」は学校の中でだけ保たれている建前で、社会はまったく違ったんだっていう壁にぶち当たる。私も30歳前後になってやっと目が覚めました。

 女性は、最初にたっぷり自由を与えられるけど、若さを失った頃に、そのツケを払わされるような仕組みになっていると気づきました。結局、社会は女性に、結婚して、子供を産んで育てることだけを期待しているし、そこからはみ出す女性にはとても不寛容。そのことに気づき、息苦しくなってくるのが、ちょうどアラサーくらい。

 私たちが30代になった2010年代は、SNSが浸透した時代でもあります。ツイッターが議論の場になりましたが、そこでフェミニズムに開眼していく女性たちがすごく多いのを、リアルタイムで追いかけながら実感していました。これって、明治や大正時代の女性たちが『青鞜』を手にしたのと同じくらい、エポックな出来事だと思いながら見ていました。

 女性は、結婚することで家族の世話に忙殺され、独身時代の友人関係から切り離される面があります。けど、そうやって分断されていた女性たちがツイッターによって、個別に内面を吐露したり、愚痴ったり、違和感を発信したり、学びを共有することで、ある種の友情というか、触発し合う関係を築いていった。

 40歳まで生きてみて、現時点ではツイッターによる女性同士の連帯と、そこから芽生えたフェミニズムが、最前線というか、この時代の女性の重要な動きだと思います。だから、最後の話をツイッター形式で書くのは、マストなことでした。

――章によってはあからさまなセクハラやパワハラが描かれていますね。大学生編の映画研究会の話が特に印象的です。あれは実話ですか?

 私は大阪芸大の映像学科という、映画を作る勉強をする学校に行ったので、実体験に着想を得ていますね。学科は男女の数は同じくらいだけど、男子が監督や撮影などの中心的なポジションに就いて、女子はスクリプター(記録係)や衣装の担当をするのが、ごく自然な役割分担でした。出演者も同じ班の中から選ぶから、当たり前のように女性を容姿で判断していて、ルッキズムも酷かったですね。

 当時はジェンダーバイアスという言葉を知らなかったので、なんとなく、なし崩し的に、映画は向いてないと思って、夢はうやむやになりました。20年経って、あの挫折はなんだったのかをふり返り、ジェンダー視点を取り入れて書いています。ちょうど本が出る少し前に、映画界で性暴力が常態化している問題が噴出しましたが、根っこは同じですね。

 『一心同体だった』は連作短編集ですが、各短編のタイトルのサブに、主人公の年齢と西暦年を入れています。その時代その時代に、なにがブームになって、女性がなにを目指すことを良しとされていたかも、描き込んでいて。1998年の女子高生編では、世間がもてはやす女子高生像に窮屈さを感じていたり、エビちゃんブームの2005年には、サブカル女子ですら保守的なファッションで合コンに行くようになったり。

 大学生編の2000年は、90年代のサブカルチャーブームで育った子が、まだサブカル的な夢を抱いていた時代。2005年を舞台にした5話『ある少女の死』も含めて、個人的な思い入れの深い話です。

住む場所を選ぶ自由はあるか

――今年で作家生活10周年を迎えますが、山内さんといえばこれまで、地方都市の郊外化が進み、日本の風景が均一化されている状況も描いてきましたね。新刊にもそうしたパートが見られますが、やはり欠かせない要素ですか?

 そうですね。とくにこの小説では、地方であることに別の意味も持たせていて。どこに住むかは、経済状況にものすごく左右されるんです。主人公の女性たちがどのタイミングで上京して、いつ地元に帰ったかには、それぞれ社会的な背景や経済事情、ジェンダー的な制約が働いています。

 県外の大学に進学しても、女性は卒業後に田舎に帰るケースが多いです。もともと大学までという条件だった子もいるし、当時は就職氷河期だったので、就職できず田舎に戻った子もいる。何年か東京で働いてから、へとへとに疲れて帰郷した子もいます。東京に住みつづけたかったけど、非正規雇用の時代になり、それが難しくなったという女性も多い。結婚によって縁もゆかりもない、思いも寄らない地方に住むことになるパターンも、もちろんすごく多いです。

 女性であることと地方出身であることが、自分の中で大きなテーマで、そこは書く上で、はずしたくないと思ってます。けど、惰性で地方を描いているわけではなくて、作品ごとに切り口は全然違う。

 均質化したロードサイドの憂鬱を描いたのは『ここは退屈迎えに来て』で、そのイメージが強いみたいですが、『あのこは貴族』では、東京のエスタブリッシュメント階層のサークルの狭さと、田舎のマイルドヤンキー的な人たちの生活圏や人間関係の狭さを、ある意味、相似形として描きました。

 今回の『一心同体だった』では、女性がいかに住む場所を獲得していくか、もしくは獲得できないかについて書きました。自分の意志で選択して、自分の経済力で好きな場所に住めている女性は、一人も出てこない。そこを意識して読んでもらえるとうれしいです。

――山内さんの文章は常にリーダビリティーが高いですよね。話が複雑でも、常に平易な言葉で書かれている印象があります。

 普段本を読まない人でもすんなり読めるよう、推敲に推敲を重ねています。だから、読んでくれた方の感想でいちばん多いのが「読みやすかった」と「装丁が可愛い」のふたつ(笑)。私自身、「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく(©井上ひさし)」が書く上での信条です。

 けど、それも、地方出身者であることが関係しているかも。文芸書は、基本的に都市部での売り上げが多くて、地方では少ないというデータがあるんです。リテラシーの高い都市部の読者だけに伝わるものではなく、普段は小説を読まない人もスーッと読めるように意識しています。あと、映画脳なので、映像として浮かぶイメージを文章に変換しているので、それもあって読みやすいと思われるのかも。

自分が生きた時代を、虚飾なく

――この新刊、ご自身でも最高傑作と自負されているようですね。

 はい。作家10年目ですが、デビュー前の気持ちに立ち返って、アマチュアリズム全開で書きました。2年連載して書いたものを、また2年かけて、ほぼイチから書き直しています。編集者さんには申し訳ないと思いつつ、自分の気が済むものが書けるまで待ってもらって、締め切りも採算も度外視で取り組みました。だから売れてくれないと、編集者さんに合わせる顔がなくて……。

 小説に限らず、どのジャンルの方も、デビュー作を超えるものを作るのに苦心されていると思いますが、自分は『一心同体だった』で一山超えられたと思っています。改稿している間に40歳になって、人生も中締めモードになり、一生の捉え方も変わりました。自分が生きたこの30年を、記憶が鮮明なうちに、できるだけ正確に書き残しておきたいと思って、虚飾なく描きました。

 読んでくださった方の感想で、「生々しい」とか「リアルすぎてキツい」というのも目にするのですが、きっと10年、20年経ったら、ここに描かれていることすべてが愛おしいと思ってもらえるんじゃないかと思います。