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樋口恭介さん注目のSF小説3冊 流通の物語、運ばれる私たち

  • サラ・ピンスカー『いつかどこかにあった場所』(市田泉訳、竹書房)
  • 酉島伝法『無常商店街』(東京創元社)
  • トマス・リゴッティ『悪夢工場』(若島正、白石朗、宮脇孝雄訳、河出書房新社)

 人類史とは流通の歴史でもある。そして現代を流れるのは物だけではない。情報が流れ、物語が流れ、感情が流れている。タイムラインの上では、ファクトもフェイクも等しく滑っていき、私たちの認識に堆積(たいせき)する。そこで荷捌(さば)きされているのは、私たちの現実そのものだ。

 サラ・ピンスカー『いつかどこかにあった場所』は、認識の物流網が文字通りのタイムライン=時間線に延伸した世界の短編集である。全12編は過去と未来の境界を跨(また)ぎながら、どれも目の前の現実を棚卸ししている。冒頭「二つの真実と一つの嘘(うそ)」で発掘される古いローカル番組は、ただの懐古アイテムではない。映像が再生されるたび、記憶が、土地が、誰かの人生が、別の梱包(こんぽう)へ詰め替えられていく。失われたはずの場所が、差出人不明のまま何度でも届く。思い出は一つなのに、世界は一つではないことを、反復が暴いていく。

 酉島伝法『無常商店街』が面白いのは、抽象的な流通を物質化してみせる点だ。商店街とは本来、欲望を導く装置である。客が入り、商品を見て、手に取り、買い、持ち帰る。ところが本作ではその流れが反転する。異界の商店街のほうが、語り手である翻訳家・宮原の手を取り、持ち帰っていくのだ。そこでは意味を変換する翻訳という職能を持つ人間が、場所によって別の何かへ変換されている。タイトルに掲げられた「無常」=常なるものが一つとして無いということが、肉体で経験される空間として実体化している。

 トマス・リゴッティ『悪夢工場』は、この導線の終点を提示する。工場とは生産の装置であり、同時に規格の装置だ。ここで量産されるのは悪夢だが、悪夢は「異常な夢」などではなく、あるがままの正規品として世界に向かって納品される。9編の奇妙なテクストが繰り返し描くのは、世界を世界たらしめている薄い塗装が静かに剥(は)がれていく感触だ。そしてその下にあるのは隠された秘密ではない。工程表、製造ライン、作業手順書――他なる者たちの法則が支配し、認識の外縁で奇妙なものが蠢(うごめ)く、剥(む)き出しの宇宙だ。

 過去は回収され、意味は仕分けされ、悪夢はその姿を明るみにする。カメラとインスタグラムを携えて旅するとき、私たちは風景を眺めると同時に、タイムラインを流れるコンテンツとして運ばれてもいる。これらの三作を読み終えたあとで、見慣れた町並みがひとつの意志を持った生き物に見え、自分がその生態系の中の素材にすぎないと感じられたなら、それは正しい読後感だろう。幻想が現実を覆っているのではなく、現実を剥ぎ取った先に、幻想があるのだ。=朝日新聞2026年1月28日掲載