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藤野千夜さんの読んできた本たち 同じ本を繰り返し読むタイプ

>「作家の読書道」のバックナンバーは「WEB本の雑誌」で

繰り返し読むのが好きだった

――いちばん古い読書の記憶を教えてください。

 最初はたしか、保育園で読み聞かせてもらった『いやいやえん』だったと思います。面白かった記憶があるのは岩波書店の絵本シリーズの『ひとまねこざる』や『ちびくろ・さんぼ』とか。それと、親が読み聞かせてくれた『幸福な王子』がすごく好きでした。本で泣いたのはこれが最初だったのかな。繰り返し何度も読んでもらいました

――本が好きな子供でしたか。

 同じ本を繰り返し読むタイプで、気に入った本があるとそれをずっと読んで、旅行にも持っていっていました。そのなかでひとつ憶えているのは、『目をさませトラゴロウ』。童話なんですけれど(と、画面越しに本を見せる)

――ああ、今でもお持ちなんですね。

 持っているのには理由があるんです。小さい頃、親戚の家に行く時にこの本を持っていったら、同い年の従妹に「貸して」と言われ、置いて帰ったらその後返ってこなかったんです。作家になって理論社の方とお仕事をした時にその話をしたら、「うちで出した本です」と言って1冊くれたんです。読み返してみたら、ぐうたらしたトラが食べ物のことばかり考えている内容で、とても皮肉で面白かったんですが、小さい頃になぜそこまで好きだったのかという(笑)

――従妹さんとは仲がよかったんですか。ご兄弟は。

 兄と弟がいますが本の話はしたことがなくて。従妹は近くに住んでいるわけではなかったんですが、私が本を読むのにつきあってくれたんです。今でもおばさんに、二人で静かにしていると思って見に行ったら本を読んでいた、と言われます

――藤野さんはプロフィールに福岡県生まれとありますよね。中学校は東京だそうですが、いつ引っ越されたのですか。

 福岡で生まれて、3、4歳で横浜の団地に越しました。そこに住んでいたのは10歳くらいまででしたが、その後はほぼ横浜で、あとはちょっと千葉に住んだことがあったくらいです

――団地に住んでいらしたんですね。藤野さんの最新作の『団地のふたり』は生まれ育った団地に暮らす50歳の親友同士の話ですが、その頃の団地暮らしがヒントになったのかな、と。

 何年か前に短篇を書く際に「あそこはどうなったのかな」と思って見に行ったら、案外そのままで気になっていたんです

――小学生になってからの読書はいかがですか。

 小説で読んだのは、オークシイの『紅はこべ』とか。『雨月物語』がすごく好きで、自由研究であらすじと感想文を発表したこともありました。「菊花の約(ちぎり)」なんかが好きでした。怪奇っぽいものが好きだったんだと思います

――のちに漫画雑誌の編集者となられますが、その頃から漫画は好きでしたか。

 漫画はよく読んでいました。家族で何日間か旅行に行くとなると日数分の漫画を持っていくうえに旅先でも買うので、すごく嫌がられていました(笑)。歯医者さんや耳鼻科によく行く子供で、待合室で読む漫画がとっても好きでした。待合室の一角に楳図かずおさんや日野日出志さんの漫画があって、そこに近寄れないくらい怖かったのに、それでも読みました。楳図さんは『半魚人』や『赤んぼ少女』とか。『漂流教室』も熱中して読みました。『おろち』を読んでいたら、子供が肉団子を食べていたら毛が入っていたから人肉じゃないかと疑う場面があって、それからは肉団子を食べるたびにそのことを思い出しました。日野日出志さんはもっと上をいく怖さでしたね。

 楳図さんは『半魚人』や『ねがい』も何度も読みました。『ねがい』は、子供が木の切れ端で作った人形にモクメと名付けて友達にするんですが、人間の友達が出来たら邪魔になって捨ててしまうんです。そうするとモクメが夜中に戻ってくるという。どちらの漫画も泣きながら読んだんですけれど、どちらかというと半魚人やモクメの気持ちに近かったんじゃないかなと思います。

「週刊セブンティーン」に載っていた津雲むつみさんや武田京子さんの少女漫画も好きでした。小学校の図書室には『ベルサイユのばら』と『男一匹ガキ大将』が全巻揃っていたので、どちらも読みました。当時は学校で誰かしらが「少年ジャンプ」を読んでいたので貸し借りしていました。『はだしのゲン』などが連載されていた頃ですね。

「りぼん」は土田よしこさんの『きみどりみどろあおみどろ』をよく読んでいました。これはうちから持ってきたのかな...(と、漫画雑誌を取り上げる)

――「別冊少女コミック」。めちゃめちゃきれいな状態でお持ちですね。

 これは中学生くらいの時ですね。他には小学生か中学生くらいから大島弓子さんが大好きになって、ずっと読んでいます。岩館真理子さんと高橋亮子さん、くらもちふさこさんも

――それぞれでお好きな作品は。

 何大島さんは『いちご物語』とか『バナナブレッドのプディング』とか。岩館さんは、『初恋時代』とか『森子物語』......『アリスにお願い』とか、後半の作品も好きです。高橋さんは『つらいぜ!ボクちゃん』。私は『おしゃべり怪談』という作品で野間文芸新人賞をいただいたんですけれど、あれはもちろん、くらもちさんの『おしゃべり階段』のもじりでした

漫画、小説、映画の日々

――自分で絵や漫画は描きましたか。

 落書き程度には書いていたと思います。中学校でたまたま漫研に入ったので、それからはすごく漫画漬けでした。

 何か部活に入らなきゃいけなくて、漫研に入ったら部室に本が充実していたんです。勝手に読んでいいので、嫌いな授業とか、その日当てられそうな授業はさぼってそこで漫画を読んでいました

――学校ではどんな子だったと思いますか。

 騒がないし、友達はいないし、目立ちたがりではなかったです。中学で最初に制服を着ていかなくなったのは私だった気がしますけど(笑)

――国語の授業や作文は好きでしたか。

 授業のなかでは好きなほうで、そんなにすごく得意というわけではないけれど褒められたりはしました。理系がまったくわからなかったんです。化学なんて「わからないことがあったら聞いていいよ」と言われても何がわからないのかもわからなくて

――漫画以外の読書はいかがでしたか。

 中学校から電車通学が始まったので、文庫本を買って電車で移動する間は読むようになりました。星新一さんのショートショートはすごく読みましたね。短篇集ならなんでもいいという感じで、O・ヘンリーの短篇集とか、エドガー・アラン・ポーの短篇集とか、芥川龍之介の『河童』とか。短篇集でなくても薄い文庫なら買って、カフカの『変身』なども読みました

――お小遣いに限りはあると思いますが、文庫は買っていたのですか。

 お金は本にしか使っていなかったので。「本を買う」と言えば親も出してくれたところがあるので。その頃、手塚治虫さんにハマったので、古本漁りもしていました

――手塚治虫さんにハマったきっかけは。

 もちろんそれまでにアニメも見ていましたし、漫画も読んでいましたが、中学で漫研に入る頃に『どろろ』を単行本で全部読んで、こんなに面白かったんだと思って。漫研で誰が好きか訊かれて「手塚治虫さんです」と意気込んで言ったんですけれど、そんなに長く好きだったわけではなかったのを憶えています。その頃は手塚先生の作品でも品切れなものが多くて、でも古本屋さんに行くとあったんですね。それで買った初期の頃の『火の鳥』とか『アポロの歌』にすごく感銘を受けました。とにかく作品の出来が素晴らしくて、なんて面白いんだろうと感激したんです

――藤野さんが編集者時代を書いた自伝的小説『編集ども集まれ!』は、手塚さんの『人間ども集まれ!』から取ったタイトルだそうですね。その『編集ども集まれ!』に、中学時代に神保町と人形町を聞き間違えたエピソードがあって読んだ時に爆笑したんですが、あれは実体験ですか。

 そうです。スノッブな学校で、同級生2人が「古本屋といえば神保町だよね」と話していたんです。横で聞いていて、友達ではなかったので聞き直せなくて、「そうか人形町か」と思って一人で人形町に行きました。行くと人形町にも古本屋が2軒くらいあったんです。「たいしたことないな」と思いながらも手塚先生の本を探していました。「あれは神保町のことだったのか」と気づいたのは17か18歳の頃なので、5、6年間は人形町のことをいつも考えていました(笑)

――その頃からそうやって本を買っていたとすると、蔵書がすごいことになっていたのでは...。

 そうなんです。その頃から買った本を捨てたことがまったくないんです。実は数か月前から実家の本を片付けなくてはいけない状況になっていて。片づけながら「こんな本を読んでいたのか」と思っていた時期にこのインタビューのお話をいただいたので、面白いなって思っていました

――ところで、さきほどから画面には映っていませんが、隣で藤野さんに本を渡したりされている方がいますよね。もしかして、『編集ども集まれ!』に主人公の友人として登場するアダっちさんでは? 一度お会いしたことがあるのでそう思ったのですが。

藤野そうなんです。今もアダっちの部屋にいるんです。

アダっち:大量の本がうちに持ち込まれているんですー!

藤野:実家の本を捨てると言ったら、もったいないから持ってこいって。

アダっち:捨てるなんてできないような代物ばかりなんです!

――さきほど見せてくださった「別冊少女コミック」も新品のような状態でしたよね。ずごくきれいに保存されているんですね。

アダっち:めちゃめちゃ保存状態がいいです!

藤野:これですよね(と、「別冊少女コミック」を掲げる)。あいざき進也のブロマイドが載っていますね。ああ、これは岸裕子さんの玉三郎シリーズが連載していた頃ですね......って、つい読んじゃう(笑)。こういうものが沢山あって大変なんです。

 わりと本は繰り返し読んでいるので、捨てるという発想がなかったんです。今はそれほどでもないですが、昔は同じ本を何十回も繰り返し読んでいました。漫画でも小説でも、新しく買った本を3冊くらい読むと昔読んだ本に戻る、という感じで。

――繰り返し読んだ小説といいますと、どんなものがありますか。

 庄司薫さんの『赤頭巾ちゃん気をつけて』のシリーズや、鈴木いづみさんや広瀬正さんのSF小説とか。高校に入ってからは、橋本治さんの『桃尻娘』を教室の机の上に置いて、いつでも読めるようにしていました

――教室の藤野さんの机の上に、ですか。

 そうです。漫研の部室で漫画を読んで、教室に戻るとそれを読むという。心の支えが本だったんです。

 当時は、村上龍さんの『限りなく透明に近いブルー』や中沢けいさんの『海を感じる時』といった群像新人文学賞受賞作が大ベストセラーでしたね。群像新人文学賞ではないけれど、新人の見延典子さんの『もう頬杖はつかない』も話題になって映画化したりして、興味がわいて。伊井直行さんの群像新人文学賞受賞作の『草のかんむり』なんかも図書館で借りて読みました。伊井さんの作品は、それからずっと読んでいます。

 その頃は文芸作品がよく映画になっていたし角川映画の時代でもあったので、映画を観てから原作を読むことも多かったんです。『伊豆の踊子』とか『春琴抄』とか。ATGの映画が好きだったので、そうすると純文学が多かったですね。中上健次さんの『十九歳の地図』とか。『蛇淫』も「青春の殺人者」というタイトルで映画になりましたよね。安部公房の『砂の女』も映画を先に観ましたし、村上春樹さんの『風の歌を聴け』は大森一樹監督作品を先に観ましたし。李恢成さんの『伽倻子のために』は映画と小説とどっちが先だったかな...。宮本輝さんも映画が先だったりしたのかな。その頃から、自分は純文学的な、地味な話のほうが合うんだなと思っていました。立ち止まって考える作品のほうが好きだなって

――映画もよく御覧になっていたのですね。鑑賞記録はつけていましたか。

 小説の記録はつけていなかったんですが、映画はつけていたんです。あらすじとか感想とか。原田宗典さんが、自分が若い頃に書いた読書記録にツッコミを入れる本がありましたが(『おまえは世界の王様か!』)、自分も、当時からおまえ何様だと思いながら書いていました(笑)。でもそうした記録は高校生くらいでやめていたと思います。今月のベストテンとかもやめていましたね

――今月のベストテンもつけていたんですね(笑)。そういえば、「りぼん」の付録の、陸奥A子さんのイラストのノートに日記をつけていましたよね。

 さすがにもう日記はつけていませんが、ノートはいまだにあります。高校を卒業した頃から書き始めて、会社をやめて小説家になる頃まで書いていたのかな...

――そんなに長期間にわたっているのに、1冊埋まらなかったんですか。

 最初はマメに書いていたんですけれど、だんだん年に1回になったりして。最後のほうは2年に1回とか(笑)

――もはや"日記"じゃないという(笑)。ところで学生時代、まだネットはないですよね。どのように本や映画を見つけていましたか。

 小説は、何かのきっかけで読んだ本が気に入ったら、その作家の作品を追い続ける感じでした。村上春樹さんも映画の『風の歌を聴け』が最初でしたけれど、あとはずっと読んでいましたし、橋本治さんもずっと読んでいましたし。

 よく本屋さんにも行っていました。そこで好きな作家の新刊が出ているととっても嬉しくて1日ハッピーでした。

 映画の情報は雑誌の「ぴあ」ですよね。当時は名画座に通っていました。中学、高校は学校に顔は出すけれどすぐ映画館に行って、そこで同級生にばったり会ったりしていました。「学校じゃなくてここで会うのか」っていう

――名画座というと、池袋の文芸坐とか...。

 文芸坐にはずっと通っていましたし、池袋では他に日勝地下劇場とか。八重洲スター座、銀座並木座、渋谷の東急文化会館6階の東急名画座も日替わりでかかっていたりするとほぼ毎日行っていました。観たい映画を観るためだけに行った街も結構ありますね。青砥の京成名画座、大塚名画座...。「女必殺拳」が何本立てかでやっているからと三鷹オスカーに行ったり

――映画の道に進みたいとは思わなかったのですか。

 まったく思わなかったわけではないんですが、社交性がないので。じゃあそれで編集者ができるのかって話なんですけれど

完璧だと思う短篇

――大学では何を専攻されたのですか。

 千葉大学の教育学部教員養成学科の、中学高校の社会科の教員免許をとる学科で政治学を専攻していました。あまり共通一次の成績がよくなくて、国立はもういいかなと思っていたら、友達に千葉大のその学科は現国と小論文の試験しかないから一緒に受けようと言われて。受けに行ったらその友達は来なかったというひどい話なんですけれど、受かったんです。たしかに現国と小論文だけなのはよかったです。

 教師になる気はそれほどなかったんですけれど、教育実習に4週間いかなくてはいけない学科だったので行ったら結構楽しくて、先生もいいかなと思ったんですけれど

――大学時代、好きな作家は増えましたか。

 大学生の頃には文芸誌を買って読むようになりました。大江健三郎さんにもハマりました。『見るまえに跳べ』とか『性的人間』とか、短篇集が面白かったんです。大江先生ファンだったので、小説家になってから一度お見かけした時は感激しました。

 あとは高橋源一郎さん。デビューされた頃に熱狂して読みました。映画にも出られていましたよね。PARCOムービーの「ビリィ★ザ★キッドの新しい夜明け」。高橋さんの『さようなら、ギャングたち』や『ジョン・レノン対火星人』とかがまざった感じの作品でした。高橋さんには何度かお会いしたこともあって、思い切ってご挨拶もしたんです。何かの文学賞のパーティの二次会で目の前にいらしたので勇気をふりしぼって、「藤野です。小説を書いています」って言ったら「知ってるよ」って言われました(笑)。

 それと、三浦哲郎さんがすごく好きになったんです。共通一次の試験問題に「鳥寄せ」という短篇が使われていたのがきっかけです。それが本当に素晴らしくて、昨日も読み返して感激して泣いていたんですけれど。完璧だなって思います

――以前インタビューした時も「鳥寄せ」がお好きだとおっしゃっていたので、読んだんですよ。すごく切ない話で...。

 私、「鳥寄せ」のことばかりあちこちで言ってますよね(笑)。切ないうえに、なんていうか、すごく抑えた感情が私にはぐっとくるんです。子供が主人公なのに感情が抑えられていて、でもほとばしっているところが見えると本当に悲しくて

――村で育った十二歳の子が語り手なんですよね。

 世話をしていた牛や豚がいなくなって、その子は親に問いただすんですけれど、「お金がないから売った」と言われるんですね。次の場面で、その子が空っぽになった家畜小屋の前で棒切れで地面に牛や豚の絵を描いていたらお父さんが来て、鳥寄せの笛を吹いてくれる。主人公はすごく悲しんでいるんですけれど、そこは描かない。「どうして売ったんだ」と詰め寄るような子供の話だったらちょっと違ったかなと思いました。昨日読み返して、その引き際というか、感情的なものが自分の感覚にすごく合うんだなと思ったんです

――その後、父親は出稼ぎに行って、なかなか戻ってこないと思ったら...というお話で。

 お父さん自身、感情を表に出すのが得意ではなくて悲しい結末を迎えます。それがなお切ないですよね。実は私が『夏の約束』で芥川賞をいただいた時の選考委員のおひとりが三浦哲郎さんだったんです。推してくださったのが三浦さんだったとうかがいました。三浦さんの影響を受けていたからだと思うんですけれど、「人間の感情の引き際がよかった」と言ってくださったので、とっても嬉しかったです

――大学でサークルには入りましたか。

 漫研でした。それと、学科の自主ゼミみたいなところで『資本論』を読んだりしていました。あと、政治学の勉強会にも入っていました。漫研では同人誌も作っていたのでつい漫画も描いていましたが、下手でした

――漫画は、どんなストーリーのものを?

 当時から「何も起きない話を描くね」と言われていました。何も変わりませんね(笑)。絵も描けないしお話も作れなかったんです。でも漫画は好きだったので、それで漫画雑誌の編集者になりたいなと思うようになった気がします

漫画編集者時代

――卒業後は出版社に入って、漫画雑誌の編集者になったわけですよね。その時代の話は『編集ども集まれ!』にも丁寧に書かれていますが、どのような生活でしたか。

 不規則なんですけれど、夜中に働いて昼間は休んでもよくて、自分にとってはそれが楽だったので向いていたと思います。時間が空いたら本を読んでいればいいし、試写会に行ってもいいので、まったく苦にならなかったです。写植を貼るのも好きでしたし

――実際にお会いしたり、担当した漫画家さんは。

 石ノ森章太郎先生は1作だけ担当しました。私は小さい頃に蒲田の映画館に「サイボーグ009」の映画を観に行って、終わっても「もう1回観るから帰らない」と言っていたと親から聞いています。その頃からのファンなのでお会いできた時はとても嬉しかったです。でも好きな先生に会ってもそういう感情をまったく表せないんです。応援しているサッカーチームの選手が駐車場の事前精算機でひとり前に並んでいると気づいた時も声をかけられず、知らん顔をしながら心の中で「マルキーニョス!」と叫んでしましたから(笑)。石ノ森先生に対しても、そういう思い出はないんです。

 つげ義春先生の『石を売る』とか『無能の人』のシリーズに写植を貼ったことはいまだに自慢です。私がつげ先生のファンだと知っている担当者が貼らせてくれました。

 それと、私が入社した頃って岡崎京子さんや桜沢エリカさんがアイドルだったんですよね。メディアにすごく取り上げられるようになる前から面白いなと思っていたら、どんどんスターになっていって。マガジンハウスの広告に岡崎さん、桜沢さん、中尊寺ゆつこさん、原律子さんの4人で登場されたりしていました。そういう時代だったんです。

 岡崎さんとはお仕事をご一緒したことはなかったんですが、友達が担当編集者で、お花見に何度か呼んでもらったり、渓流釣りに行ったり花火大会に行ったりと、なんとなくイベント友達でした。なので私のデビュー作の『少年と少女のポルカ』の単行本のカバーを描いていただいたんです。編集者だった頃は無理なお願いはできなかったんですけれど。「最初の本だから描くよ」と言ってくださって、嬉しかったです。

――編集者時代、小説も読んでいましたか。

 その頃もわりと読んでいました。青年漫画の娯楽色の強い雑誌の編集部にいたんですけれど、わりと純文学も好きで。ちょうどその頃、文芸畑の人が会社に移ってきて、急に文芸系の部署ができたんです。それで金井美恵子さん、笙野頼子さん、増田みず子さんや蓮實重彦さんの本を出すようになって。喜んで本屋で買っていました

――自社の本を書店で買っていたのですか。

 応援したかったので、定価で買っていました。純文学系以外は、コバルト文庫とか。新井素子さんが大好きで全部読んでいました。矢作俊彦さんもずっと好きでしたし、東野圭吾さんも好きでよく読んでいました。ただ、推理小説は好きな作品もいっぱいあるんですけれど、犯人が誰かということにあまり興味を持てなくて。

 あとは誰かな...。家に筒井康隆さんの作品が全部揃っていることはわかっているんです。半村良さんもいっぱいありますね。半村さんの『およね平吉時穴道行』がすごく好きで、私の『時穴みみか』の名前はそこからいただきました。タイムマシンものが好きなんです

――ああ、さきほど広瀬正さんのお名前が挙がっていましたよね。

 広瀬さんの『マイナス・ゼロ』は繰り返し読みました。あれはタイムマシンものの最高傑作だと思っています

――タイムマシンものがなぜお好きなのでしょう。

 なんでしょう。一人でものを考えていたり本を読んだりしているうちにまわりがどんどん変わっていく感覚があるので、しっくりくるのかもしれません。あ、『戦国自衛隊』もすごく好きです。『猿の惑星』も映画を観てハマってピエール・ブールさんの原作も読みましたし。『戦場にかける橋』の作者ですね

――映画も相当御覧になっていますが、好きな映画監督ってどなたですか。

 大森一樹監督が好きです。「ヒポクラテスたち」とか。昔、飲み屋さんで大森監督がすぐ横の席にいたんです。そっちのグループには荒井晴彦さんもいらして、私と一緒にいた編集者が荒井さんと知り合いだったのでお話しているのに、「荒井さんが脚本を書かれた『Wの悲劇』が好きでした」とも言えず、もちろん大森監督にも声はかけられず、黙ってお刺身を食べていました(笑)。他には森田芳光監督も大林宜彦監督も好きです

――海外小説では、他にどのようなものが好きでしたか。

 短篇集をよく読んでいた頃に、フラナリー・オコナーが好きでしたね。カポーティも最初に読んだのは『ティファニーで朝食を』でしたが短篇も読みましたし、アップダイクは人気があって手に取りやすい時期でよく読んでいました。村上春樹さんが訳したのでレイモンド・カーヴァーにもハマっていました。レーモン・クノーの『地下鉄のザジ』も。これは映画よりも先に原作を読んだ気がします。それと、ボリス・ヴィアンは全集で持っています。『うたかたの日々』とか。

 サリンジャーもとっても好きです。『ナイン・ストーリーズ』の「コネティカットのひょこひょこおじさん」が好きで、何度も読み返しましたし、いろんな方の翻訳を持っています。自分の中にある寂しさをすごく刺激するところがありますし、本当にうまいなと思うんですよね。ちょっと前にどこかで井上荒野さんもあの本で一番好きなのはこの短篇だと書かれていて、それにも感激しました。

 あとはアーヴィングですね。『ガープの世界』は持っていたものの読まずにいたんですが、会社を辞めて失業期間が1年ほどあった時、職がないのに本を買ってしまうといけないから持っている本のなかから読もうとして、それでようやく『ガープの世界』を読んだらすごくハマって。そればかり繰り返して読んでいました。なぜ今まで読まなかったんだろうと思いました

小説を書き始める

――『編集ども集まれ!』に経緯も書かれてありますが、小説を書き始めたのは会社を辞めた後だったのですか。

 失業保険をもらいながら、何かしないとまずいとなって、古いワープロを家からもらって書き始めたんです。1994年のはじめからですね。それまでに小説家になろうと考えたことがなくはないんです。コバルト文庫の小説を書きたいと思ったことがあった気がしますし。でも、ちゃんと書いてなんとかして仕事にしないと思ったのはそれが初めてで、なれなかったらどうなるんだろうと思いながら書いていました。

 自分が書くとしたら盛り上がりのある話は苦手だろうとわかっていたし、難しいものも書けないし、と思いながらいろんな文芸誌を見ました。もともと「群像」などは読んでいましたが、吉本ばななさんが海燕新人文学賞を受賞した『キッチン』が大好きだったので「海燕」を買ったら、その号に角田光代さんの『まどろむ夜のUFO』が掲載されていて、読んですごく感動して。お金がなかったのに紀伊國屋書店新宿店に行って角田さんの本を全部買って、友達にも薦めました。もちろん「海燕」はそれまでも好きで、小川洋子さんや吉本ばななさんが海燕新人文学賞出身ということも知っていましたが、すごくいい雑誌だなと思ったのが角田光代という作家を知った時で、いい出会いだったなと思います。

 ただ、その時は海燕の募集の締切に間に合わずに他の賞に出しました

――小説を書こうと決めてから、すぐすらすら書けたのですか。

 とにかく締切に向けて枚数を合わせて書いていました。自分がどれくらいのものかわからなかったんですが、最初に出した二つが最終選考の手前くらいまでいったので、まったく間違ってはいないんだろうな、じゃあしばらく書き続けようと思いました

――そして1995年に海燕新人文学賞を受賞したのが「午後の時間割」(『少年と少女のポルカ』所収)だったんですね。

 とても嬉しかったんですが、目立つのは好きじゃないので、賞はあげられないけれど雑誌には載せてあげる、みたいにならないかなと思っていたんですけれど(笑)。とにかく仕事がほしかったんです。受賞が決まった時に編集者の方に、新年号に載せるから1か月後くらいまでに次の作品を書けと言われて、そういうものかと思って書いたりしていました

――プロの小説家となって、読書に変化はありましたか。

 がらっと変わることはなかったですね。文芸誌を見ながら新しい方を見つけて面白いなと思ったりはしました。阿部和重さん、川上弘美さん、赤坂真理さんとかがほぼ同じ時期に出てこられて、面白く読んでいました。亡くなりましたが清水博子さんも好きでした

――ああ、『街の座標』ですばる文学賞を獲られた方。

 『vanity』とか『カギ』とか。岡崎祥久さんも読みます。清水さんと岡崎さんは一緒に野間文芸新人賞の候補になったので、その頃からずっと読んでいます。

 同時代的な作家でいうと、町田康さんの『告白』と吉田修一さんの『悪人』は、どちらもすごいものが書かれたと思いました。同時代に読めてよかったです。

 山崎ナオコーラさんや津村記久子さん、今村夏子さんの作品も大好きです。滝口悠生さんの『高架線』もすごく好きですね

――相変わらず好きな作品は繰り返し読まれているんですか。

 今もその傾向はあると思いますけれど、前のように何十回読むんだろうというくらい繰り返すことは減りました。映画は今でも4、5回は見直しますけれど

――繰り返し味わう楽しさってどんなところにありますか。

 結末を知っちゃったらつまらないんじゃないかと言われることもありますが、そういうことじゃないんですよね。自分は何が起こるかにはそれほど興味がないのかもしれないとも思いますが。読み返すたびに見え方が変わってくるのが面白いし、1か所ぱっと開いて、好きなところまで読むのも楽しいですし。いろんな切り取り方ができますね。映画はわりと最初から最後まで見返しちゃいますけれど

――さきほど東野圭吾さんのお名前も挙がりましたが、他にエンターテインメント系の小説は読まれますか?

 読みますよ。姫野カオルコさんもずっと好きですし。まあ姫野さんは純文学的といえばそうなんですけれど。湊かなえさんも読みますし、『テスカトリポカ』で直木賞を受賞された佐藤究さんとか。佐藤さんは私が群像新人文学賞の選考委員だった頃、別名義で『サージウスの死神』が優秀作に選ばれた方なんです。自分が選考委員だった時にデビューされた方は気になりますし読みますね。朝比奈あすかさん、木下古栗さん、樋口直哉さん...。受賞はされなかったんですけれど最終選考に残った坂上秋成さんもずっと気になっていたらデビューされてご活躍されているので嬉しくなって見ています

――漫画は読んでいますか。雑誌で読まれるのでしょうか。

 単行本で読むことが多いです。その都度、好きそうだなと思う人の本を買っています。書店では完全にジャケ買いですね。帯がついていたら煽り文句に惹かれることもあります。といってもあまり広げてはいなくて、昔から好きな方を読んでいます。『編集ども集まれ!』を書いてからはまた手塚治虫さん熱が高まって、さらに漫画やグッズを買っちゃっています。昨日もまんだらけに行ってしまいました

――これまでにお名前が挙がっていない漫画家で好きな方は。

 ハマるとわりと急に読みだすので、黒田硫黄さんは集中して全部読みました。他には浅野いにおさんや田島列島さん、『うちのクラスの女子がヤバイ』の衿沢世衣子さん...。押見修造さんの本も読みましたし、ヤマシタトモコさんも一時期ガ-ッと集中して全部読みました

――藤野さんは宝塚歌劇団もお好きですよね。それはいつからですか。

 昔から「ベルサイユのばら」のテレビ中継があると見たりしていましたが、通うようになったのはここ15年くらいです。友達がハマったので付き合って一緒に行っているうちに自分も、という。ここ最近はコロナ禍の影響で公演が中止になったりしていましたが、その分、配信がすごく多くなったのでよく見ています。そもそもチケットをとるのも大変ですし。配信で見て、東京宝塚劇場のそばの日比谷シャンテ内にあるキャトルレーヴというグッズショップに行って、公演のお菓子を買ったりしています

――贔屓にしている方は。

 雪組ファンで、彩風咲奈さんが好きなんです。でも今大人気の柚香光さんも格好よくて...。「ポーの一族」の舞台がすごくよかったんです。小池修一郎先生が満を持して演出された舞台で、柚香さんはアラン役でした。小池先生は『ポーの一族』の文庫の解説も書かれているんですけれど、ずっと舞台にしたいと温めていらしたそうで、本当に素晴らしい舞台でした。「U-NEXTで観られますよ」って、隣でアダっちが言ってます(笑)

最近作のモデルは...

――これまでにさまざまな主人公を描かれてきましたが、最近の『じい散歩』と『団地のふたり』では主人公たちの年齢が高くなりましたね。『じい散歩』の主人公は明石新平、89歳、日課は散歩。妻に認知症の兆しが見えたり3人の子供たちはみな独身で、長男は引き籠っているなど問題山積ですが筆致はユーモラス。『団地のふたり』は実家の団地に暮らす50歳の友人同士の女性2人の日常が実に丁寧に楽しく描かれます。

 『じい散歩』の高齢のご夫婦は、実はアダっちのご両親で、結婚していない息子3人はうちの話という、実はハイブリッドです(笑)。今、『じい散歩 妻の反乱』という続篇を書いていて、夫婦がさらに年を重ねてじいさんも我がままになっているけれど介護を一所懸命やっています

――『じい散歩』、続篇があるんですね! 『団地のふたり』も幼馴染みの奈津子とノエチの関係がとっても楽しくて微笑ましくて、ぜひ続篇を読みたいです。

 『団地のふたり』を書く頃は嫌な出来事が重なっていたので、どんな感じなら楽しく暮らせるかなと考えたんです。のんびりできる場所があって、仲のいい友達がいたらいいかな、と思って。締切ギリギリで大変でしたけれど楽しく書けた話です

――もしかして、奈津子とノエチって、藤野さんとアダっちさんがモデルですか。

 あれは完全に、この部屋で書きましたし...

――えっ(笑)。

アダっち:毎日人んちにいるんですよー(笑)。

藤野:書いている間、「一回こたつから出ろ」と言われていた気がします。

アダっち:動かないんだもん。

藤野:小説に書いたように釣り堀にも行きましたし、メルカリで売った品物も値段もそのまんまだし。売れたら何か買って食べていたのも、断捨離の番組を見て悪口言ったのもそのままです。

 だから、書いている時はこんなの誰が読みたいんだろうって言っていたんです。「ちゃんと働け」って言われて終わりじゃないかって。でも第一話を書いて編集者に送ったら思いのほか喜んでもらえたので。

――おふたりがモデルってことは、いくらでも続篇が書けますね(笑)。ただ、藤野さんとアダっちさんは幼馴染みではなくて、『編集ども集まれ!』でも書かれているように、社会人になってからのお知り合いですよね。

 そうです。そんなつもりはなかったんですが、思った以上にそのまんまを書いたので、創作した部分もそのままだと思われそうです。よくあることなんですけれど

――以前、『おしゃべり怪談』でも「そのまんま」と言われたとおっしゃっていましたね。

 あれは雀荘に行った女4人が男に包丁を突き付けられて延々と麻雀を続けることになる話で完全に創作なのに、「そのまんまだね」って言われるんです。包丁を持った男なんていなかったのに(笑)

――さきほど「動かない」とのことでしたが(笑)、一日のルーティンってどんな感じですか。

 書いている時はずっと書いていて、書かない時は全然書かないんです。わりと根詰めちゃうほうで、休むという方法がわからないんです。小説に取り掛かっても最初の3時間くらいは何もできず同じ1行を直し続けてしまうので、進み出したら書き切っちゃわないと終わらないタイプです。5時間書いたら休みましょう、ということができないんです

――では、執筆期間中は読書もできない感じですか。

 書いている時は全然読まないか、逆に自分の文章のリズムを壊したくなる時に読むか、ですね。書いていない時は一日中読んでいたりします。あとはU-NEXTで見逃した映画を観たりして

――って、一日中そこから動かないじゃないですか(笑)。

アダっち:動かないんです! エコノミークラス症候群になるんじゃないかってくらい。

藤野:そんなことないって。まあ、家で原稿書く時もずっとベッドの中だけど。

――ベッド? どんな姿勢で書くんですか?

 ラッコみたいな姿勢です。もう10年くらいそれですね。疲れるとたまに机に向かいます。腹ばいで書いていた時期もあったんですけれど、あれは結構疲れますね

――肩や首が凝りそう。それに確実に運動不足なのが心配です。

 『じい散歩』の続篇を書くために、一応散歩はしているので。

――他に今後のご予定は。

 JAの出版部門の家の光協会が出しているお子さん向けの雑誌「ちゃぐりん」で、「おにぎりミミカ物語」を連載しています。ミミカが「裸の大将」みたいに全国各地で美味しいものを食べるので、楽しく書いています。あと、こちらも児童向けなんですが、理論社の方に書き下ろしの原稿をちょっとずつ読んでいただいています

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