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「広重ぶるう」書評 江戸を愛し、ひたむきに生きる

評者: 澤田瞳子 / 朝⽇新聞掲載:2022年07月23日
広重ぶるう 著者:梶 よう子 出版社:新潮社 ジャンル:小説

ISBN: 9784103368540
発売⽇: 2022/06/01
サイズ: 20cm/359p

「広重ぶるう」 [著]梶よう子

 芸術家を描いた小説に接した時、読者はしばしば主人公を凡人とは程遠い存在と考える。なるほど、素行の悪さからローマを追われ、三十八歳で没したバロック期の画家・カラヴァッジョ。生涯に百回近い転居を繰り返した葛飾北斎。彼らにまつわる逸話の数々はその作に更なる光を添えるが、本作の主人公・歌川広重こと安藤重右衛門の生きざまは、そんな奇行とは程遠い。
 定火消(じょうびけし)同心の家に生まれた彼は、親類との確執により家督を手放して絵師となるものの、周囲からの評価はいま一つ。異国渡来の絵具(えのぐ)・プルシアンブルーの美しさに心惹かれ、代表作となる「東海道五拾三次」で大当たりを取っても、従順な妻女・加代には迷惑をかけ通し。急激な人気上昇に浮かれ、湯屋で隣り合わせた北斎に傲慢(ごうまん)な口を叩(たた)きながらも、相手の正体を知るや震え上がり、一番弟子を襲う不幸には当人以上に打ちひしがれる。だがその情けないほど平凡な彼は、生まれ育った江戸を心底愛し、町の上に広がる曇りなき青空を捉えようとする。
 五十歳を超えてから初めて枕絵に挑戦し、周囲から出来が悪いと謗(そし)られたりと、重右衛門の人物像はこれまで多く描かれてきた芸術小説の主人公と随分異なる。しかしだからこそ我々は、重右衛門という生身の男の喜怒哀楽に寄り添い、彼が愛した江戸を――その空の青をまざまざと感じることが出来るのだ。
 気性のまったく異なる二人の妻、主人公の絵師の自覚に深く関わる弟子の昌吉、したたかでその癖憎めぬ版元たちなど、物語を彩る人々はいずれも個性豊かで、一人の男の日々に深みを添える。加えて物語のラストに至って重右衛門が悟る自らの務めは、非凡ではない彼らしいささやかかつ純粋なもので、だからこそ強く読者の胸を打つに違いない。我々同様に悩み、苦しみ、そして喜んだ男の生涯を通じ、生きることのひたむきさを感じられる一冊である。
    ◇
かじ・ようこ 小説家。2016年『ヨイ豊』が直木賞候補になり、歴史時代作家クラブ賞作品賞を受賞した。