「黄昏映画館」書評 時代の空気感じ熱く鋭く論じる
ISBN: 9784336072979
発売⽇: 2022/06/22
サイズ: 19cm/957,23p
「黄昏映画館」 [著]上野昂志
映画本がどんどん重くなっている。寝転がって読むには相当の筋力を要する。重量に比例し、内容も重厚の一途をたどっている。映画本はいま充実期にある。
957ページの本書もその一冊だ。1960年代末から映画評論を手掛け、既に多くの著書を持つ上野昻志さんの文章が、監督別に編集されている。伊藤大輔、清水宏ら戦前デビュー組から横浜聡子、濱口竜介まで、生年順に45人の監督によって章立てされている。
45人の中には黒澤明も溝口健二もいない。小津安二郎と成瀬巳喜男に関する文章も一つずつ(溝口はあとがきに登場する)。代わりに大島渚や鈴木清順ら、自身が長く並走してきた監督に紙幅を割いている。
それは、上野さんが研究者の手つきで解剖するのではなく、時代の空気との関係性において作品を論じるタイプだからではないか。その意味で最も熱く鋭く語るのが阪本順治監督だ。
彼は89年の「どついたるねん」以来、現在も作品を量産し、ジャンルも作風もバラエティーに富む。評論家が「阪本はこうだ」と言えば、次の映画では「こっちだよ」とニヤニヤしている。厄介な監督である。
上野さんはそんな阪本映画についてこう書く。「どこかで常にナマなものを求めており、(中略)その一方には強烈な虚構意識があって、ナマなものも必ずや阪本独自の虚構空間に引っ張り込まずにはおかない」と分析。「肯定する力と否定する力がせめぎ合うことで、ある強さを打ち出してきた」とも。ナマと虚構。肯定と否定。どちらが多く出てくるかで、まるで違う様相を見せるというのだ。
今までさんざん阪本映画の本質をつかみ損なってきた私にとっては、天啓のように感じられた。この見立てはきっと、阪本監督の作品群をまとめて見ていては得られない。公開時に1本1本見てきた評論家の強みというものだ。そして、こういう評論家を持つ映画監督はとても幸せだと思う。
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うえの・こうし 1941年生まれ。評論家。『沈黙の弾機 上野昻志評論集』『鈴木清順全映画』など。