「世界は五反田から始まった」書評 町工場の来歴から大きな歴史へ
ISBN: 9784907188450
発売⽇: 2022/07/20
サイズ: 19cm/364p
「世界は五反田から始まった」 [著]星野博美
著者の星野博美さんは東京の戸越銀座に暮らしている。実家では祖父の代から小さな町工場を営んでおり、年老いた父親が廃業するまで続けていた。本書はその彼女が街への〈異様な執着〉を原動力に、五反田界隈(かいわい)から見た近現代史を描いた一冊だ。
歓楽街の集まる五反田駅周辺を中心とした半径約1.5キロメートルの円を〈大五反田〉と名付け、勝手知ったる周縁を歩く。同時に子供時代の記憶を掘り起こし、様々な資料を駆使して祖父の遺(のこ)した手記の空白を著者は埋めていく。
もとは「コンニャク屋」という奇妙な屋号を持つ外房の漁師だった祖父が東京に来たのは1916年のことだったという。最初は町工場の丁稚(でっち)として身を粉にして働いた。また、同時代における小林多喜二や無産者のための託児所、工場地帯としての発展や満蒙開拓団の歴史を調べる中で、45年5月24日、空襲を受けて焼け野原となった五反田にたどりつく。
著者は数々の証言から死者数の少なかったこの空襲での教訓を引き出していくが、どさくさ紛れに人の土地を奪う者がいるからと、〈ここが焼け野原になったら、ただちに戻って敷地の周りに杭を打て〉という祖父の教えが胸に響く。
正直に言えば、最初に本書のタイトルを見たとき、「なんと大きく出たものか……」と思いもした。だが、読後、その思いは消えていた。半径数キロメートルの場所からでも、「世界」は確かに始まっている。町工場で作られる小さな部品が戦闘機に使われるように。
私たちはいま、なぜ「ここ」にいるのか。読んでいると、様変わりした「いま」の風景をめくり上げるように当時を描く著者の眼差(まなざ)しが、浮かび上がらせていくものが確かにある。自らの謎を解くように家族の来歴を描き、戦前からの町の変遷を大きな歴史へとつなげる軽やかな足取りに、私はすっかり魅了されてしまっていた。
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ほしの・ひろみ 1966年生まれ。ノンフィクション作家、写真家。著書に『転がる香港に苔(こけ)は生えない』など。