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鮎川ぱてさん「東京大学ボーカロイド音楽論」インタビュー ボカロシーンは、若者の感性にあふれてる

早逝したボカロPたちへの「レクイエム」

――本書は鮎川さんが2016年から東大の駒場で担当する「ボーカロイド音楽論」の講義内容を再構成したものです。240ものボカロ曲やそのクリエイターたちを分析しながら論じるのはどこまでも“ガチ”な現代思想の講義。脱構築、記号論、ラカンにフロイト……。若者文化を話の枕に哲学や社会学を語るコンテンツは昔からありましたが、ボカロという現在進行形のカルチャーとこれらの「理論」が正面から対峙しているのが刺激的です。この「ぱてゼミ」(本講義の愛称)、はじめたきっかけは?

 僕は2011年にボカロPとして活動を始めました。東大教養学部からこの講義のオファーがあったのは15年の8月。実はその前月、僕をボカロシーンに誘った最初の水先案内人であるぽわぽわP(椎名もた)が20歳で急逝しました。

――「ストロボラスト」などで知られる人気ボカロPですね。

 恩人のぽわぽわPが亡くなって、「自分も潮時なんじゃないか」とボカロシーンからの引退を考えていた時期でした。その四十九日も開けないタイミングで東大から講義の話があったのです。「自分という作家がいたことを言葉に残してくれ」と天国から言われているように感じた。じゃあその役割を果たそうじゃないか、とオファーを受けました。

 本書ラストにある2つの章で話したのが「ぽわぽわP論」です。この構成になるよう、はじめから逆算して講義の流れを決めました。各章の講義内容が最後の完成に向かうよう、「交響曲」を編むように。本書はいわば「ぽわぽわ組曲」なのかもしれません。また冒頭では東大出身でやはり19年に急逝したwowakaさんについても論じました。

――「ワールズエンド・ダンスホール」「アンハッピーリフレイン」などの有名曲を手がけたボカロPですね。

 ボカロシーンで自分より若い作家を送るというのは悲しい体験でした。本書は彼らへの一つの「レクイエム」なのかもしれません。

アンチ・ラブソングとしてのボカロ曲

――wowakaさんの名曲「裏表ラバーズ」をはじめ、ボカロ曲を一種の「アンチ・ラブソング」として捉えたジェンダー論、身体論は本書の見どころの一つです。同曲では「ラブという得体の知れないもの」というフレーズが飛び出します。ボカロ曲がかつてのポップソングのテーマとして当たり前だった「恋愛至上主義」から脱し、むしろそれに批判的だったり相対化したりする視座を備えていることを、コーラスなどの音楽分析や現代思想から読み解いています。LGBTやルッキズムにまで及ぶ講義の展開は、特に今の若者の抱える問題意識とマッチしている気がします。

wowaka「裏表ラバーズ」。「wowaka最大のアンチ・ラブソングだと思います」(鮎川さん)

 まさに、「性」というものが若者たちの間で問題になっていると感じます。非常に単純化して言えば、彼らは恋愛に対して上の世代から「やらなくちゃいけないもの」と言われている感覚を持っているのではないでしょうか。「あんたもいい年なのになぜ彼女ができないのか」「いつか結婚して子どもを持ちなさい」といったような。(従来の)ラブソングを聞くと、上の世代から説教されている感じがすると。

 これまでも同様の感性を持つ若者はいたと思いますが、今や世代全体に広がっているのが現状でしょう。つまり「恋愛=ヘテロセクシャル」至上主義ではなく、「アンチ・セクシュアル」な雰囲気が自然になっているのが今の若い世代なのだと思います。

ぬゆり「ロウワー」。「シスヘテロを前提にしない比喩表現がちりばめられている。こんな曲が自然とたくさんの人に支持され大ヒットすることこそ、ボカロシーンの素晴らしさの一つではないでしょうか」(鮎川さん)

東大生たちは僕の「ボカロアンテナ」

――リスナーの若者たちにとってボカロ曲とは、リアルな心情や問題意識が裏打ちされたまさに「自分たちの文化」であるのですね。

 僕がボカロPになった頃、「今の若者は草食系だ」などと言われていましたが、ボカロシーンは全く違った。みんな覇気があって元気に伸び伸びと創作していました。他の音楽ジャンルと違って上世代がいないからです。ある文化コミュニティーに入った若者に先達たちが抑圧的になる現象は、歴史的に繰り返されてきました。理由は簡単で、今の人口動態的に若者の方がマイノリティーだからです。僕も本気で活動している若者に触れたいとボカロシーンにのめり込むにつれ、従来のJ―POPでは出現しなかったタイプのヒット曲に気付くようになったのです。

――ちなみに講義での東大生たちの反応はどうでしたか?

 やはり東大生たちは優秀ですね。何より感性の鋭さ、みずみずしさをもらえている気がしています。本書はたくさんのボカロ曲レビューが盛り込まれていますが、受講した東大生の意見にとても影響されています。「先生、ぜひこの曲聞いて」と教えられた作品の作り手が数年後、シーンを代表する作家になっていたことも。聴いた曲の量で僕を超えている子もいるくらいで、彼らこそ僕にとっての「ボカロアンテナ」になっています。

――一方、ボカロ曲という現代のポップカルチャーの分析に用いたのはフロイトやラカン、ロラン・バルトにフーコーなど、現代哲学や社会学で頻出する王道で著名な理論ばかりです。自分も学生時代に東大教養学部で受けた表象文化論やジェンダー論などの刺激的な内容を思い出しました。まさに駒場の伝統と言えるリベラルアーツの系譜を、最新のボカロ論に応用したのですね。

 僕はボカロという新しく現代性が高いテーマを通して、若者の「新しい感性」を考えたかったのです。先行研究がほぼない中でそれを実現するためには、手法としては既に確立された、オーセンティック(主流)な批評理論を使いました。

 講義でやろうと思ったのは、いわば「ぼくのかんがえたさいきょうのリベラルアーツ」です。例えば本書では科学哲学や工学なども登場します。僕は東大の先端科学技術研究センターで、VR(仮想現実)を扱う研究室にも所属しています。メタバースなどのバーチャル空間で別の身体を持つことはジェンダー論をはじめとした人文科学、つまり人間の問題と密接にかかわっています。こうしたジャンル横断的な話は、大学に在籍する(文理双方の)狭義の専門家では語りづらいとも聞きます。だからこそ、在野の人間の僕がやってやろうじゃないかと。

他者の声は「耳をそばだてない」と聴こえない

――哲学や社会学の理論を通して「ボカロはあなたたちのカルチャーだ」と若者に語りかける本書。中でも胸に刺さったのが、彼らが大人になった時「その時代の若者とマイノリティーの声に耳をそばだてて」という呼びかけです。少数者である若者、ひいてはときに世間で変わり者扱いされがちな東大生に寄り添いつつ、社会に出てからの他者との向き合い方を教えている。リベラルアーツとは決して浮世離れした抽象論でないと感じました。

 僕は、人文科学とは最も即効性の高い「実学」だと考えています。人間とは何であり、人々の間で自分がどう生きていくか。これは誰にとっても要求されることです。例えば(性や恋愛など)自分自身の抱えるジェンダーの問題について、他人から「言語化して説明しろ」と強権的に言われても応答する義務はありません。隠したっていいわけです。

Chinozo 「グッバイ宣言」。「サビの冒頭で、引きこもりを『絶対ジャスティス』と言い切る1行に惹きつけられる。堂々と自分を隠していいんだ、というメッセージが素晴らしい」(鮎川さん)

――本書でもまさに、同性愛であることを他人に「アウティング(暴露)」される社会問題に触れていますね。

 講義の中では「他者(マイノリティー)の声とは、耳をそばだてないと聞こえないものだ」と伝えてきました。僕も自分なりに耳をそばだてて、「若者の君たちはこの世代だけの感性を持っている」と、こうして言語化させてもらいました。

 ボカロリスナーの若者世代には、「自分たちの聴いている音楽には普遍的な価値がある」と自信を持ってもってほしい。そして彼らが大人になったときにも同じように、次の時代に出てきた若者たちの声に耳をそばだててもらえればと願っています。