- アナベル・リイ
- 怪談小説という名の小説怪談
- 甘美な牢獄
かれこれ四十年近く、ホラー系の評論家などという因果な商売を続けていると、禁句とでもいうのか、なるべくなら避けて通りたい表現が生まれるものだ。その典型が「夜中にトイレに行けないくらい怖い!」……私の記憶が確かならば、鈴木光司の『リング』書評に用いて以来(何年前の話だろう?)使ったことがないはずだ。
小池真理子の最新長篇(ちょうへん)『アナベル・リイ』を読み進めながら、私は久方ぶりに、この表現を何のためらいもなく用いることができる傑作と出逢(であ)えたことに歓喜の念を禁じえなかった。ああ、怖い!
E・A・ポオの詩に登場する夭折(ようせつ)のヒロインの名が冠された本書は、愛しすぎて重い病に斃(たお)れ、亡霊と化した若い女性の物語――純然たる幽霊譚(たん)である。作者は何の衒(てら)いも迷いもなく、ただそれだけの物語を、どこか憑(つ)かれたような筆致で、ひたひたと語りおおせて、読む者を烈(はげ)しく戦慄(せんりつ)せしめるのである。あの歴史的名作『墓地を見おろす家』から三十余年……この世ならぬ存在を、まざまざと描き出す文体の力を、如実に感じさせる至芸というほかあるまい。
〈人はなぜ怪異を語るのか、それも好んで!?〉――この古くて新しい根源的なテーマを、手を替え品を替えアクティブに描き続けてやまないのが、澤村伊智(いち)だ。
とりわけ最新の短篇集『怪談小説という名の小説怪談』には、その目覚ましい精華たる全七篇が収められている。一種の怪談論としても卓抜な小松左京のショートショート「牛の首」を、絶妙に本歌取りというか再構築してみせる「涸(か)れ井戸の声」をはじめ、〈語り芸〉としての怪談を紙上に再現して唸(うな)らせる「高速怪談」、〈学校の怪談〉の濃密なエッセンスたる「うらみせんせい」、そして虚実を超えた究極の怪談小説といっても過言ではない書き下ろしの「怪談怪談」……いまや作者を代表する〈比嘉姉妹〉シリーズとは、またひと味異なる、切れ味鋭い恐怖が、実に印象的である。
強烈な恐怖小説が二冊続いたので、最後は異色のアンソロジーを。七北数人(ななきたかずと)が編者を務める〈シリーズ 日本語の醍醐(だいご)味〉の記念すべき十冊目は、宇能鴻一郎『甘美な牢獄』。近年、『姫君を喰(く)う話』刊行など再評価の機運盛り上がる宇能だが、編者をして「前回の太宰治と並び、世界無比の二大文豪だと私は思っている」と断言せしめる宇能の古今無双の魅力とは? 文豪・谷崎潤一郎の文学に惹(ひ)かれ、耽美(たんび)と恐怖がないまぜとなった独自の閉鎖空間を創出した宇能。まずは本書の中核を成す表題作や「殉教未遂」「狂宴(きょうえん)」といった、幻怪(げんかい)なマゾヒズム文学の精髄に触れていただきたいと思う。かつて筒井康隆が発掘した表題作に魅了されたと編者は語るが、評者もまた右に同じ、なのである。=朝日新聞2022年9月28日掲載