1. HOME
  2. コラム
  3. 「もう一つのフランス」の現実 ノーベル賞受賞、アニー・エルノーさんと私 翻訳家・堀茂樹

「もう一つのフランス」の現実 ノーベル賞受賞、アニー・エルノーさんと私 翻訳家・堀茂樹

慶応義塾大学日吉キャンパスで講演するアニー・エルノーさん。左は堀茂樹さん=2004年、堀さん提供

 あえて僭越(せんえつ)な言い方をするなら、アニー・エルノーは私にとって「旧知の」作家である。彼女のノーベル文学賞受賞の報に接した直後、私は自分の古い個人ファイルの中に、A4六枚をホッチキスで留めた簡易文書を見つけた。勿論(もちろん)、身に覚えがある。題して「翻訳企画。アニー・エルノー、証言としての文学」。日付は「一九九二年二月」。約三〇年前である。

 当時日本でエルノーは未(いま)だまったく無名だったが、私は早川書房宛てのその企画書で、彼女の一九八四年度ルノードー賞受賞作品『場所』、八八年一月刊行の『ある女』、そして、フランスで発売されたばかりだった『シンプルな情熱』の概容(がいよう)を紹介し、大型ではないが質が高いと力説していた。性愛に埋没した自分を語る『シンプルな情熱』も含めて、この作家は「赤裸々な告白」などではなく、自らの体験を言葉によって経験化し、普遍化しているのだ、云々(うんぬん)。

 当時私自身もフリーの身で、一介の駆け出し文芸翻訳者にすぎなかった。ただ、前年の九一年に上梓した初めての訳書がアゴタ・クリストフ著『悪童日記』で、これがじわじわとベストセラーになり始めていた。そこで早川書房の担当編集者から、クリストフの次は誰を推すかと問われ、私は即座にアニー・エルノーの名を挙げ、翻訳企画書を作成したのだった。

     *

 クリストフも、エルノーも、私が一九八〇年代のフランスで「選択と集中」から程遠い乱読に耽(ふけ)っていた頃出会った同時代作家である。ここでは名前を挙げないその他の作家たちも然(しか)り。私は特に、パリの文壇から遠い周縁部で書き続ける作家たちに実力を感じることが多かった。クリストフが東欧難民なら、エルノーは下層庶民の出身である。国境越えだけが越境ではない。社会階層間の移動もさまざまな屈辱や別離をともなう。エルノーが『場所』で確立した簡素な「事実確認的」文体は、ひたすらその現実に迫る。読後感は痛切だが、文学的認識に到(いた)る喜びも小さくない。

 件(くだん)の三作品を私が矢継ぎ早に邦語訳した一九九三年、エルノーが来日し、東京日仏学院(現在のアンスティチュ・フランセ東京)等で講演した。会うのは初めてだったが、テクストを通しての交流が先にあったから、たちまち懇意になれた。東京日仏学院から近い神楽坂通りを散歩していた時、パチンコ屋を見つけた彼女がパチンコをやってみたいと言い出し、一緒に店に入って、あっという間に数千円が消えたこともあった。

 エルノーの二回目の来日は二〇〇四年で、この折彼女は若い恋人を連れて来ていたので、同じ神楽坂通りで、私は彼らをパチンコ屋ではなく隠れ家バーへ案内した。日中の彼女は慶応大学で見事な講演をおこない、東京ステーションホテルでの故津島佑子さんとの対談、東京日仏学院のレストランでの小池真理子さんとの対談などもこなした。

     *

 二〇〇〇年代以降の彼女の創作は、目覚ましかった初期にもまして充実している。ノーベル文学賞受賞を機にエルノー作品の復刊や文庫化に着手し、新たな翻訳も積極的に出していこうという版元の意欲に励まされ、私も改めて、エルノーの仕事の全体像を日本語でも知ることができるようにしたいと思うようになった。この思いは、文学だけでなくフランス全般に関心のある私の場合、いわゆる「おしゃれな」フランスとは異なる、「もう一つのフランス」の現実を紹介したいという気持ちと重なり合っている。=朝日新聞2022年10月26日掲載