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マシュー・デニソン「ザ・クイーン エリザベス女王とイギリスが歩んだ一〇〇年」 伝記にして一級のサスペンス

 映画の中で、机に向かっていた人が突然、爆発に見舞われるシーンがあるとする。映画監督のヒチコックによれば、それは驚きや恐怖かもしれないが、決してサスペンスではない。

 サスペンスであれば、机の下に爆弾が仕掛けられており、一定の時間がたてば爆発すると観客に知らせておかねばならない。危険にさらされている登場人物に、見る者が同化できるように。その意味で本書は一級のサスペンスといえる。

 英国の女王エリザベス2世が誕生した日から始まる伝記を手に取った人の多くは、やがて訪れる悲劇を知っている。息子のチャールズ皇太子の結婚生活の破綻(はたん)と、ダイアナ元妃の死。そこから始まる王室の危機。時限爆弾が刻む音が全編から聞こえてくるような本である。

 一目ぼれした相手と結婚したエリザベスが、模範的な家庭を作れると信じていたに違いないこと。ところが女王、妻、母という役割に引き裂かれ、子どもたちに十分な愛情も、人生の模範も示せなかったこと。チャールズに結婚当初から愛人の影がちらついていたこと。

 1990年代の英王室の危機は想像以上に深刻だった。膨大な情報をもとに描写する本書から、教えられることの一つである。例えば世論調査では、王室がないほうが国はよくなると答えた英国人が4人に1人にのぼっていたという。

 もちろん最悪期を脱し、国民からの敬愛を取り戻したからこそ、あの国葬もあったはずだ。王室というブランドを再構築するための女王の努力は痛々しいほどだ。ロンドン五輪でジェームズ・ボンドと共演したのは、その一例にすぎない。

 国が困難なとき、王室は「国民に現実逃避となるファンタジーを提供してきた」と著者は記す。しかしそれは、世襲で運命づけられた人間たちに多大な負荷を強いてまで求めるべき役割なのか。どこか落ち着かない読後感とともに、日本の皇室のことも考えずにはいられない。=朝日新聞2022年11月5日掲載

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 カンゼン・3300円=4刷1万6千部。6月刊。担当者は「購買層の6割強が女性で、30~40代を中心に幅広い。妻でもあり母でもあった女王の生き方に興味を抱く方が多いようです」。