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「切り裂きジャックに殺されたのは誰か」書評 死後なお貶められた被害者たち

評者: 澤田瞳子 / 朝⽇新聞掲載:2022年11月26日
切り裂きジャックに殺されたのは誰か 5人の女性たちの語られざる人生 著者:篠儀直子 出版社:青土社 ジャンル:ノンフィクション・ルポルタージュ

ISBN: 9784791774999
発売⽇: 2022/09/24
サイズ: 19cm/411,9p

「切り裂きジャックに殺されたのは誰か」 [著]ハリー・ルーベンホールド

 2カ月間に女性5人を手にかけ、19世紀末・ヴィクトリア朝のロンドンを騒がせた連続殺人犯「切り裂きジャック」。犯人の正体の検証が今日も続き、事件に材を取った創作物が次々作られる一方、殺された女性たちは常にひとくくりに売春婦と説明されてきた。
 本書はそんな彼女たちの人生を綿密にひもとくことで、切り裂きジャックの「人気」の裏で死してなお貶(おとし)められ続けていた被害者を人間として復権させたノンフィクション。19世紀末のイギリスにおいて、女性は男性よりも劣り、男性を支えるべき存在とされ、教育・労働など様々な局面で不利益を被った。そしてそんな社会情勢は、家庭を離れたり、病を得た女たちをたやすくコミュニティから排斥し、不道徳・非倫理的といった烙印(らくいん)を捺(お)した。
 本事件被害者の大半は、確かに路上で殺害された。しかしだからといって彼女たちが全員売春婦であったとの推測は、ヴィクトリア朝の倫理観に基づく思い込みに過ぎない。そして実際、本作が解き明かす被害者の素顔は、あるいは夫や庇護者(ひごしゃ)を失い、あるいは病や多産ゆえに困窮に陥った社会的弱者に他ならない。
 この百年余り、切り裂きジャックに恐怖と好奇の目を向けてきた我々が、「殺された人々の遺体をいわばまたぎ越してきたのであり、場合によっては、わざわざ立ち止まって蹴とばしさえしてきた」との指摘には恥じ入るしかない。一方で我々は現代でも、犯罪被害者がいわれなき中傷を受ける姿や、社会的弱者となった人々がただそれだけの理由で貶められる様に接している。それはすなわち、我々を含めた誰がいつ、周囲から差別される側に回っても奇妙ではないという明確な事実を告げている。
 「彼女たちは娘であり、妻であり、母であり、姉妹であり、恋人であった」と本書は述べる。私はあえてここにもう一言、追記をしたい。「彼女たちは同時に我々自身であった」のだ、と。
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Hallie Rubenhold ロンドン在住の社会史家、著述家。18、19世紀英国の女性の生活が専門。