どこまでも広がる田園地帯と、臨海工業地帯を含む長い海岸線、そしてこの地の霊峰・筑波山。――そんな茨城県の文学的レジェンドといえば、そりゃもう長塚節『土』(1912年/新潮文庫)である。
舞台は作者が生まれた国生村(現常総市)付近と推察される。明治後期、2人の子どもがいる小作農の一家。暮らしは貧しく、夫は霞ケ浦に近い利根川の工事現場で働き、妻は行商で日銭を稼いでいる。だが、物語の冒頭近くで妻は命を落とし、どん底の日々がはじまるのだ。
〈おとっつあ、奉公すれば借金なくなんだんべか〉〈おっかが無くなっておとっつあだって困ってんだ〉
おそるべき観察眼と描写の細かさゆえに夏目漱石も舌を巻いた、スーパーリアリズム農民文学だ。
農業のみならず茨城県は各種産業の宝庫である。『土』の一家が食うや食わずであえいでいた頃、創業したのが旧日立鉱山だ。だが当時、近隣の村は精錬所から排出される亜硫酸ガスの煙害に苦しんでいた。新田次郎『ある町の高い煙突』(1969年/文春文庫)は実話をベースに当事者たちが鉱害と向き合う姿を凜々(りり)しく描いた歴史小説である。
主人公は一高への進学をやめ、二十歳そこそこで農民側のリーダーとなった関根三郎。先行する鉱山の失敗事例に学んだ三郎は、会社側地所係の若き農学者・加屋淳平と協力し、煙害から農作物を救う方法を模索する。試行錯誤の末、たどり着いたのは高さ155メートル超の大煙突だった。
小説のモデルになった煙突は1914(大正3)年に完成。上部の倒壊により高さは3分の1になったものの、日立市のランドマークとして今も現役で稼働中である。
農村、鉱山に続いて、こちらは工場。佐伯一麦『渡良瀬』(2013年/新潮文庫)の舞台は昭和末期、88~89年の古河市である。
南條拓は28歳。娘の持病などもあり、妻と3人の子どもと一家5人、東京から古河に移住してきた。配電盤の製造工場に就職した拓は、徐々に仕事にもなじんでいく。〈おめえなかなかやるじゃねえけ〉〈前は、東京で電気工やってたから〉
作者の実人生と重なる私小説的作品だが、配電盤を組み立てる工程のディテール、工業団地を取り囲む地理的環境、そして働く人々の日常をここまで詳細に描いた現代文学は珍しい。工場版の『土』と呼びたくなる出色のリアリズム文学だ。
高校生が主役の物語も、やはりディテール勝負の作品ぞろい。筆頭は嶽本野ばら『下妻物語』(2002年/小学館文庫)だろう。
ヒラヒラのロリータファッションに命をかける竜ケ崎桃子は関西から下妻市に越してきたばかり。そこで出会った白百合イチゴは原チャリを駆るヤンキー娘。正装は特攻服というレディース暴走族のメンバーだった。風景とファッションの対比が秀逸。〈田んぼ、田んぼ、田んぼしかない見事な農村地帯〉の茨城が舞台じゃなかったら、このコミカルな味は出なかっただろう。
水戸市の高校(作者の母校)の伝統行事に取材した恩田陸『夜のピクニック』(2004年/新潮文庫)は、高校生が80キロのコースを24時間かけて歩く一種の遠足文学だ。具体的な地名こそ出てこないが、学校を出発し、住宅地から田園地帯へ、海岸へと続くコースの描写は詳細で、地図を広げて読みたくなる。
若者たちの物語といえば、過去と現在が交錯する異色の反戦小説・荻原浩『僕たちの戦争』(2004年/双葉文庫)の舞台も茨城だ。
2001年、大洗の海でサーフィンをしていた尾島健太(19歳)は大波にのまれて失神。目をさました場所は戦争末期の夏海村(現大洗町)だった。他方、予科練を出て土浦航空隊に入隊、霞ケ浦海軍航空隊の飛行術練習生になった石庭吾一(19歳)は初の単独飛行中に墜落、21世紀の水戸市の病院で目をさました。タイムスリップして入れかわった2人は、ともに筑波山を目にしてここは茨城県なのだと知る。
いつの時代も変わらぬ関東平野の風景と、そこで生きる人々の営み。神は細部に宿るという言葉がどの作品にも当てはまる。偶然の一致か。それとも『土』の霊力か!?=朝日新聞2022年12月3日掲載