「失踪願望。」書評 ガシガシ突き進む時期は過ぎて
ISBN: 9784087817249
発売⽇: 2022/11/25
サイズ: 19cm/285p
「失踪願望。」 [著]椎名誠
椎名誠といえば、もだえ苦しむ活字中毒者でありながら、国内にとどまらず世界のあちこちにドカドカと出かけてゆき、グビグビと酒をあおり、なんでもワシワシとかっ食らうタフな作家というイメージが長くあった。
しかし、考えてみればそれは一九八〇年代の話で、二〇二二年末の現在、彼は七十八歳の後期高齢者になっているのだ。本書は、そんな「シーナ」の昨年四月から今年六月までの日記を軸に構成されている。
自宅の階段から落ちて骨折した春。喜寿を迎えた直後コロナウイルスに罹患(りかん)。夏にはその後遺症と禁酒に苦しんだ。車の免許返納の話があり、胃に猛烈な痛みを感じて胃カメラを飲んだかと思えば、白内障がすすんで入院・手術もしている。
人生をガシガシ切り拓(ひら)いて突き進む時期は過ぎたのだと自覚し、コロナ禍で「案外もろいんだな、自分は」と知った。〈今までになかった予期せぬ乱れた感情〉に翻弄(ほんろう)されたりもする日々は、晴れやかではなく、華やかでもない。
日記とは別に書き下ろされた「新型コロナ感染記」では、自宅で意識を失い救急搬送され〈大袈裟(おおげさ)ではなく一度、死にかけた〉顚末(てんまつ)が記されている。高熱によるせん妄、拘束具の使用、点滴や医療器具に繫(つな)がれ、紙おむつを装着させられた入院生活。真夜中に病院付近の横断歩道から流れてくる「通りゃんせ」のメロディが、絞め殺されそうな老婆が歌っているように聞こえる。「あの」椎名誠が、本も読めない、ビールも飲みたくないと記す。
地獄の底の方から漏れてくるような声色だったという「通りゃんせ」には、更に不穏な事実が後から発覚するのだが「そういうこともあるだろう」と息を吐いてしまった。
膨大かつ的確な注釈も感慨深く、「あの頃」を懐かしむと同時に、たとえよろよろであっても「この先」も読みたいと願った。深く刺さる人生記だ。
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しいな・まこと 1944年生まれ。作家。SFや私小説など幅広く手がける。近著に『出てこい海のオバケたち』など。