1. HOME
  2. コラム
  3. 大好きだった
  4. 作家を志した砂原浩太朗さんの一部となった「銀河鉄道999」と「アマデウス」

作家を志した砂原浩太朗さんの一部となった「銀河鉄道999」と「アマデウス」

©GettyImages

 好きな映画を尋ねられる機会は多い。世間話でもインタビューでも、ごく一般的な話題だろう。私の場合、20代のころからこの答えは決まっていて、ベストワンが「銀河鉄道999」(1979)、次が「アマデウス」(1984)である。
「銀河鉄道999」の公開は私が10歳のとき。この年齢にも意味があって、小説家になりたいとはっきり意識しはじめた時期だった。いきおい、読んだり観たりする行為に分析的な匂いがともなう。そういう少年にとって、この映画の制作は一抹の危惧を孕んでいた。
 永遠に生きられる機械の体を求めて、鉄郎少年と謎の美女メーテルが宇宙を旅する物語。松本零士の漫画が原作だが、映画よりまえにテレビアニメ化もされており、私はどちらも知悉(ちしつ)していた。無数の星に立ち寄り、さまざまな出会いを重ねながら終着駅を目指す設定だから、2時間という枠に収まるのかと案じたわけである。
 が、いざ観てみれば、まことに見事な出来栄えというほかなかった。原作やテレビ版で印象深かったエピソードがうまく拾われており、それでいて全体のストーリーとつながるようアレンジされている。主人公の年齢設定を10歳から15歳に引き上げたのも大正解で、年上の女性への恋心がたくみに表現されていた。宇宙海賊キャプテン・ハーロックはじめ、サブキャラクターの出し入れにも大いに学ぶところがある。
 さすがにそういう言葉では捉えなかったものの、私はこの作品でエピソードの取捨選択と構成の重要さ、人物の見せ方などを肌身に感じたと思う。ゴダイゴのうたう主題歌については、あまりに有名だから、ここでは述べないが、当然のごとく私も魅了された。
「アマデウス」に出会ったのは、高校にあがる直前である。このころは、ふつうに大人向けの映画を観ていた。10歳のときと異なっていたのは歴史への興味が芽生えたことで、優先して史劇を選ぶようになっている。この作品もそういう一環として観たが、前評判が高かったから期待も大きかった。
 モーツァルトと、彼の才能に嫉妬しながらもその曲に惹かれていく音楽家サリエリ。奥深いテーマながら、じつに分かりやすい構図といえる。いまだ人気の高い作品だが、そうした理由も大きいだろう。
 当時、自分がどんな小説を書きたいのかは、漠然とながら頭にあった。それは「娯楽的であり、かつ人生の奥行きを描く作品」というものである。そして、「アマデウス」は完璧にその要求を満たしていた。
 ネビル・マリナー指揮による数々の名演奏を背景に、いささかの遅滞もないスリリングな心理劇が展開する。奇矯な天才役のトム・ハルスと、世俗の才に長けた宮廷楽長役F・マーリー・エイブラハムの演技合戦も見ものだった。モーツァルト視点を選ばなかったことで、凡人、つまり私も含めてほぼすべての人間から共感を得られる仕掛けになっている。ハッピーエンドとはいえぬ幕切れにもかかわらず、崇高ささえただよう稀代の一本である。

 このベスト2は何十年も不動でありつづけてきた。おそらく、この先も変わらないだろう。客観的にこれら以上と思える作品もあまた観たが、この2本がベストの座を明け渡すことはなかった。ともに人格が固まるまえに観たものゆえ、受けた感動が私という人間の一部となり、取り外せなくなっているからである。自分の作品が、いつか誰かのそうした存在になれれば、さぞ幸せなことに違いない。