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書評家・杉江松恋が読む第168回直木賞候補作 迫真の満洲国群像劇が現代を照射する「地図と拳」の破格さ

杉江松恋さん=撮影・川口宗道

候補の多くに社会批評的な視点

 今回の直木賞は、小川哲『地図と拳』しかないのではないか。

 言い方を変えよう。小川哲『地図と拳』に授賞しないと直木賞はどうしようもないのではないか。これを選ばない理由はないだろう。小説として破格だからである。

 2022年10月に第13回の山田風太郎賞選考会が行われた。伝奇からミステリーまで、あらゆるジャンルの大衆小説を手がけた巨人の名を冠した賞である。『地図と拳』は当然の如く最終候補となり、すんなりと受賞した。選考委員全員が最高点、それも唯一の〇をつけるという満場一致の結果であったという。貴志祐介の選評タイトルを借りれば「実質五分の圧勝劇」である。次は直木賞の番だ。選考会場の築地・新喜楽に入る前に授賞を決めるくらいしないと、選考委員は山田風太郎賞との違いを示せないではないか。

 というわけで受賞予想は鉄板で『地図と拳』、個人的に推すのも『地図と拳』だが、第168回直木賞は以下の5作が候補作である。

一穂ミチ『光のとこにいてね』(文藝春秋)
小川哲『地図と拳』(小学館)
雫井脩介『クロコダイル・ティアーズ』(文藝春秋)
千早茜『しろがねの葉』(新潮社)
凪良ゆう『汝、星のごとく』(講談社)

 候補になるのは千早が3回目、一穂と小川が2回目で、雫井・凪良が初だ。今回はすべて長篇で、3作が現代を舞台とする小説、2作が時代小説である。『地図と拳』の舞台は明治から昭和、『しろがねの葉』が近世初期だ。社会批評的な視点を持つ作品が多く候補に挙げられている点も目を惹く。生きづらさを小説の形で表現した作品は現代文学の中で重要性を高めつつある。直木賞もその流れに乗ったのである。

 以前にも書いたように、直木賞は日本一有名な大衆小説の文学賞だが、必ずしも日本の小説界全体を代表しているわけではない。主催は公益社団法人日本文学振興会だが、運営は出版社共同ではなく、文藝春秋が行っている。候補作選出を行っているのも同社の編集者なのである。どんなに一般読者からの支持を集めようと候補にならない作品があるのも、運営に使える資源が有限なのだから仕方のない面はある。意外な作品が漏れた例はこれまでも数限りなくあった。万が一はありうる。今回も発表になるまで不安であったが、『地図と拳』は候補作になった。さあ、ここから他の4作との勝負が始まる。

架空都市を縮図に、万洲国の全体像に迫る出色の群像劇 小川哲「地図と拳」

小川哲『地図と拳』(集英社)

 リストとは順序を変えてその『地図と拳』から紹介する。これはかつて地上に存在した満洲国の小説である。大日本帝国が中国大陸進出のために傀儡政権を擁立したことから始まるこの国は見方によって姿を変える幻のような存在だった。五族協和はあくまで建前であり、国の運営に当たってはさまざまな勢力による綱引きが絶えず行われていた。多面的であるだけではなく動的で刻一刻と変化していく満洲国の全体を捉えるために小川は一つの仕掛けを準備した。架空の都市・李家陳を舞台とし、それが日本人の手によって近代都市として完成し、戦争によって滅びるまでを描くという試みだ。言うまでもなくこれは満洲国の縮図である。満洲の誕生から滅亡に至る歴史のすべてが李家鎮の規模に縮小されて詰め込まれる。物語は年代記的に記述され、視点人物も各章ごとに入れ替わる。初めに登場するのは高木・細川という若い2人だ。時は日露戦争前夜、中国東北部に軍事密偵として送り込まれたのが高木で、大学生である細川はその通訳として雇われた。この二人がハルピンで危険な事態に遭遇する序章から、物語はもう沸き立っている。ごく短いエピソードでキャラクターたちは、性格だけではなくその生い立ちまでも活写され、紹介が終わった次の瞬間には中国大陸の上を自在に歩き始めている。細川の口から始めて李家鎮の名が出る。その付近には日本軍が欲する資源があるかもしれないと。2人は村へ向かう。

 最初のうちは相互に関係のない話がばらまかれているようにしか見えない章が続く。そのうちに登場人物同士を結ぶ薄く、細い糸が浮かび上がる。糸は縒り合わさり、太い紐に、そして綱になる。日露戦争前夜はまだ明治の世だが大正、昭和と時は流れていく。大正・昭和の時代については国内外のめぼしい事件についてもほぼ言及されることになる。それらは満洲建国への源流でもあるから必要なのだ。たとえば1912年の関東大震災にもページは割かれる。そこで視点人物を務めるのは高木の息子・明男だ。彼は日常で触れるすべてを観測せずにはいられないという11歳である。震災が起きたとき、明男は地面の温度を計ろうとして炎の中に飛び込み、危うく命を落としそうになった。この人間観測器が後に李家鎮の都市発展において重要な役割を担うことになる。彼も満洲国を形成した要素の一つなのだ。明男のように特徴の際立ったキャラクターばかりだから、何人搭乗しようが混乱するということが一切ない。群像劇としても出色であろう。

 モデル化された舞台と登場人物によって満洲国のすべてを描き出そうという作者の試みは、当然だが現代を照射することにもなっている。モデル化することで小川は国家というものがいかなる構造を持って動態はどうであるかを示しているので、その記述を経由して自分のいる社会に目をやれば、現在進行形で起きている事どもが明瞭に見えてくるのだ。そうした意味でも決して後ろ向きな小説ではなく、2023年の今読む意味は大きい。

ミステリーの技法が有効に用いられる 一穂ミチ「光のとこにいてね」

一穂ミチ『光のとこにいてね』(文藝春秋)

 『地図と拳』を最初に紹介したのは、まったく異なる方向性を持つ作品が多いためである。一穂ミチ『ひかりのとこにいてね』と凪良ゆう『汝、星のごとく』は現代人が、特に自分らしく生きることさえままならない弱い立場の女性が直面している問題やその心情について洞察を行い、その横に寄り添うように書かれた長篇だ。主人公たちに自分を重ねたくなる読者は多いだろうと思う。

 『光のとこにいてね』は、奇縁で結ばれた2人の女性がたどった人生の軌跡を4半世紀以上にわたって描いた長大な物語である。小学2年生の小瀧結珠はある日、母親に連れられて見知らぬ団地にやってくる。母親がその棟のどこかで用事を済ませている間、おとなしく待っていなければならない。だが結珠の視線は団地の一棟に釘付けになる。自分と同じくらいの少女がベランダから落ちそうなくらいに身を乗り出して隣の部屋を覗き込んでいたのだ。それが彼女と校倉果遠との出会いだった。2人は公園で言葉を交わし、結珠が母親に連れられて団地にやってくるときだけの友達になる。

 読み進めていくと、立場はまったく異なるが2人には共通点があることがわかる。小瀧家は裕福で、結珠は私立校に通わせてもらっているが、母親は自身の価値観を押し付ける人で、娘に向き合おうとはしていない。叱られないようにいいこでいる。それが結珠のすべてなのだ。果遠は母子家庭である。母親は自然由来のものしか口にしない、身に付けないという主義の人で、それを娘にも厳格に守らせている。そのために果遠が学校でいじめられることになっても、だ。ここにもやはり一方的な支配関係がある。2人は片時の逢瀬を楽しむようになるが、それは突然中断される。8年近くが一気に流れ、2人が高校1年生になったとき再会の時がやってくる。結珠の通う高校に、美しく育った果遠が入学してくるのだ。

 別れから再会までの間に何があったのか、その空白に関する情報を綴ることで物語は進行していく。そもそも冒頭の場面にも明かされない事実があり、謎によって物語を牽引させるミステリーの技法が有効に用いられた作品だ。立場の異なる2人が相手に欠けた自分の要素を求めあうという対の関係が構造の基本になっており、二つが一つに収束するのはいつか、どのような場かという終点への関心が最後まで貫かれている。気になったのは、全3章が結局同じ人間関係の繰り返しに見えることで、これだけの分量を用いてなお作者は登場人物たちを成長させきっていないのではないかという気がする。また1人称視点を用いているためもあるだろうが、凡庸な描写が多い点も残念であった。

親世代から重荷を押し付けられた不幸 凪良ゆう「汝、星のごとく」

凪良ゆう『汝、星のごとく』(講談社)

 『汝、星のごとく』は瀬戸内の島から始まる物語である。主要登場人物の二人は、やはり親との関係によって人生が歪まされている。17歳の青埜櫂は、男性との恋愛なしに生きられない女性が母親である。男を追いかけて島にやってきてスナックを開いた。生活の場は店の2階にあり、母親の姿を直視したくない櫂は漫画などの虚構の中に自分を埋めることを選んだ。その結果、ネット上で漫画家志望者と知り合い、原作者としてコンビを組んでデビューを狙っている。同い年の井上暁海の父親は愛人を作って島外へ出てしまった。そのために母親は精神の均衡を崩し、毎日泣き暮らしている。ある日暁海は父親を連れ戻してくるよう母に強く頼まれ、いやいやながら島を出る。成り行きから付き合ってくれたのが、同級生の櫂だ。だが父の愛人である瞳子はしっかりした女性で、母親にはない経済と精神の自立を実現していた。そのことにも落ち込んだ暁海を櫂が励ましたことから、2人は恋人関係になる。

 序章で衝撃的な事実が告げられているので、2人の恋愛が平和なものではないだろうということはあらかじめわかっている。その紆余曲折を描くのが物語の主眼なのである。島という土地や、母一人子一人という運命に甘んじて生きなければならない暁海は、作中である登場人物の口から語られるとおりヤングケアラーである。本来負わなくてもいい責任と共に生きざるをえない人々、親の世代から重荷を押し付けられた者の不幸を描いたという点で、特に若年層の読者からは共感を集めるだろうと思う。彼らの言ってもらいたいことがずばりと文章化されてもいる。そういうフレーズで成り立っている小説なのだ。

今まで直木賞候補に挙がらなかった不思議 雫井脩介「クロコダイル・ティアーズ」

雫井脩介『クロコダイル・ティアーズ』(文芸春秋)

 凪良と同じ初参戦の雫井脩介『クロコダイル・ティアーズ』は、今回唯一のミステリーだ。雫井には『犯人に告ぐ』などの傑作警察小説が過去にあるが、これまで不思議と直木賞候補に挙がってこなかった。直木賞はこういう、挙げるべき作品の見落としをときどきやる。

 陶磁器店を営む久野貞彦と妻の暁美が主たる視点人物となる。2人はもう老境に入りつつあり、一人息子の康平に店を譲ることが決定している。だが、その康平が殺されてしまうのである。逮捕された犯人は、康平の妻・想代子がかつて付き合っていた男だった。あるいは横恋慕で康平を亡き者にしようとしたのか。貞彦は想代子と孫の那由太をそのまま同居させて新しい生活を始める。だが暁美は胸中に沸き起こる疑念を押さえきれなかった。想代子は本当に事件とは無関係なのか。実は康平を殺させるように仕向けたのは想代子ではないのか。

 題名の『クロコダイル・ティアーズ』とは嘘泣きの意味である。息子の妻は殺人の黒幕なのではないか、という疑念が暁美の心に忍び込み、さらに貞彦をも動かして不和の種を育てていく。疑惑によって動揺する家族を描いた物語であり、暁美・想代子という世代間の相互不信が根底にある。両者の断絶がもたらすものを作者は書いたともいえ、これも非常に現代的な作品である。ミステリーとしてはよくまとまっているが小品であって、直木賞受賞までは少し距離があると感じる。今回はやはり顔見せに終わるのではないか。

優れたフェミニズム時代小説 千早茜「しろがねの葉」

千早茜『しろがねの葉』(新潮社)

 千早茜『しろがねの葉』は『地図と拳』の対抗馬になりうる作品だと思う。同時受賞があるとすればこれなのではないか。時代小説であるが、優れたフェミニズム小説にもなっている。物語の時代を正確に描きながら、現代を切ることのできる視点も提供するという並列処理を行っているのである。

 主人公はウメという少女だ。闇の中で一人行動することを幼時から好み、夜目が利く子だと事あるごとに言われていたため、自分の名をヨメだと思い込んでいたくらいだという。そのウメの一家が夜逃げをする。村の共有財産である隠田の米を盗んでの逃亡だから追手がかかり、ウメだけが逃げることに成功する。はっきりとは書かれていないが、捕らえられた家族の運命は明るくないだろう。しかし5歳の少女に山歩きは厳しい。命を落としかけたとき、ウメは喜兵衛という男に拾われる。母親に言いつけられたとおり日の沈む方を目指して歩くうちに、石見銀山にたどり着いていたのだ。喜兵衛は銀の鉱脈を探り当てる、腕利きの山師であった。

 喜兵衛に救われたウメが銀掘りの現場で働くようになるまでが序破急で言えば序だろう。ここでのウメは超越的な立場である。銀山は男のものである。女は働き手を増やすために男によって孕まされ、子を産むのが仕事だ。男の慰労が必要ということで女郎屋も肯定される。本来はウメも女としての扱いを受けるべきなのだが、喜兵衛という一目置かれる存在の庇護下にいるためにそれを免れる。だが、それほど世の中は甘くない。初潮を迎え、こどもからおとなの体になると、ウメにも女としての厳しい運命が迫ってくるからだ。ここからの展開は辛い。女としてこの世にある、女として生きなければならないということが、それだけでいかに過酷であるかを作者は描いていく。

 時代が近世、しかも関ケ原の合戦で徳川家康が天下人となるあたりの物語であるというのは、歴史上に実在した人物が顔を出すからだ。中世が終わって近世に入っていくこの時代においては家の制度化が進み、男性優位の社会が急速に形成されていった。その時代であるからこそウメの辛苦も際立つのである。男性優位の固定化はこのあたりに第一段階が始まった。その時代を舞台として選んだのは、現代の基底はここでできたのだと作者が分析したためだろう。この視点があるからこそ本作は鋭い批評性を持つ。

 題名は、銀鉱の輝きを吸ったシダの葉が光を放つところから来ている。山はウメの心の故郷であり、四季折々の変化が鮮やかに描き出される。その美しさは候補作中随一である。ウメの心は山の情景に重ねて描かれる。小説が本来的に持つ文章の力を感じさせてくれる作品であり、これも受賞に値する一作だと思う。『地図と拳』と『しろがねの葉』、同時受賞ができれば希望なのだが、さて結果はどうなるか。

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