作者はポーランドの貴族ヤン・ポトツキ(1761~1815)。現在のウクライナで生まれ歴史家として活動する傍ら、ヨーロッパの共通語だったフランス語で長大な物語を書いた。物語は18世紀の終わりに書き始められたが、その全体像が定かになったのは21世紀に入ってからだ。
「サラゴサ手稿」はスペインの山中をさまよう若き騎士アルフォンソを主人公にした奇想天外な物語だ。彼が行く先々で出会う人物たちの語りが次々と挿入されていく「枠物語」の形式で、突如として現れる美しき姉妹がほのめかす彼ら一族の秘密が、大きな謎として読者を引き付ける。
枠物語の系譜としては、「千一夜物語」やボッカッチョの「デカメロン」に連なるが、「サラゴサ手稿」の特徴は「物語のなかで別の物語が語られて、そのなかでまた別の物語が語られる」という階層状の構成にあると畑さんは言う。
その階層は最大で5層に達し、「どんどん降りていくかと思うと上がることもあり、自分がどこにいるのかよくわからなくなってくる」。でもご安心を。文庫の下巻巻末には、階層を表にした「通覧図」が付されている。
物語のなかで別の物語 階層状の構成
かように複雑怪奇な物語だが、歴史に翻弄(ほんろう)されたテクストの来歴も、勝るとも劣らないほど複雑だ。
文庫上巻の略年譜などによれば、作品が最初に刊行されたのは、ナポレオンのロシア遠征による混乱が続く1813年と14年。未完のまま複数巻に分けて、パリで匿名出版された。だが、その後は、小説の一部を抜き出して他人名義で発表されたり、筋書きの矛盾を解消するため異なる草稿を切り貼りされたりと、不遇な経過をたどっていく。
内容異なる草稿各地に テクストの確定困難
一方で、ポトツキは15年にウクライナの屋敷でピストル自殺を遂げる。ヨーロッパを旅しながら改稿を重ねていたため、内容の異なる草稿が各地に残された。テクストの確定は困難を極め、いったんは忘れ去られることになる。
最初の転機が訪れたのは1958年。フランスの思想家ロジェ・カイヨワが、作品の冒頭から全体の4分の1ほどに序文を付けて刊行し、文学的価値を決定づけた。このカイヨワ版は日本でも、「世界幻想文学大系」(国書刊行会)の一冊として、工藤幸雄訳が80年に刊行されている。
2002年に新たな草稿が見つかり、「サラゴサ手稿」には少なくとも二つの異なるバージョンがあることが研究者によって明らかに。その両方が全集に2分冊で収録されるという異例の事態となった。今回全訳されたのは、物語が完結しているバージョンだ。
畑さんが「サラゴサ手稿」と出会ったのは08年、原著のペーパーバック版が刊行されることを伝える書店の新刊案内に、ポトツキの名前を見つけたことがきっかけだった。パリに留学していた学生時代に研究の一環で東方への旅行記を読みふけり、そのなかにあったポトツキの文章が強く印象に残っていたという。
「本を取り寄せて読み始めたら、猛烈に面白くて一気にのめり込んだ」。それから10年以上の歳月を費やして、全訳を成し遂げた。
「読み返すたびに新しい発見があって、1回読んだだけではもったいない。何度でも何度でも味わってもらいたいと思います」。世紀をまたぐ奇書の運命に、訳者もまた巻き込まれたにちがいない。(山崎聡)=朝日新聞2023年2月8日