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渡辺京二の世界 歴史に埋もれた逸話、集めて 朝日新聞文化部記者・上原佳久

昨年12月、92歳で亡くなる前日まで執筆を続けた渡辺京二さん=昨年10月

 「肩書なんて、あなた、好きなように付けておいてよ」

 渡辺京二さんのお宅を初めて訪ねた時だったろうか。取材が一段落したところで念のため尋ねると、それまでの熱弁から一変、まったく関心の外といった風な言葉が返ってきた。

 評論家、思想史家、近代史家……。人からどう呼ばれようと、どこ吹く風。東京を遠く離れた熊本の地にあって、万巻の書にあたり、好奇心の湧き出すところに「自分の井戸」を掘る。そのようにして、本好きには恵沢とも言うべき歴史叙述の名著を生み出した。

 幕末期の来訪外国人の手記をもとに、人々の質素ながら満ち足りた暮らしが近代化によって失われたことを明らかにした『逝きし世の面影』。ロシア、アイヌ、江戸幕府の交渉史を精彩も豊かに描き出し、大佛次郎賞を受けた『黒船前夜』(洋泉社・品切れ)。いずれも、歴史に埋もれた小さな逸話を落ち穂拾いのように集め、一つの大きな絵図を描いた独創的な仕事だった。

若い日の悔恨

 桃太郎ならぬ、「本から生まれた本太郎」を自称した。自伝的エッセーを含む論考集『民衆という幻像』に、「物語好きのみる夢」という一編がある。小学生の頃から、古代ギリシャ、ローマの『プルターク英雄伝』を読みふけったというから筋金入りだ。心ひかれたのは、人間の物語としての歴史。長じて後の著作について、「結局は歴史学ならざる歴史叙述が性に合っていた。鳥は古巣へ帰ったのだ」とも書いている。

 中国大陸の大連で敗戦を迎えたのは15歳。「歴史は日本という神国による欧米資本主義の克服という流れにそって進む」と信じた軍国少年は、天皇制イデオロギーから共産主義に乗り換えるようにして、一時は共産党員として革命の夢を追った。「わたしの戦後」(『民衆という幻像』所収)は、そんな「観念の世界だけで転向をくりかえしている」若い日々を振り返り、悔恨の苦みがにじむ。

 書評紙の編集者を経て、熊本の地域誌を編集していた1960年代半ば、熊本県水俣市の主婦に寄稿を依頼した。その相手が石牟礼道子さんだった。受け取った原稿は後に、水俣病の実相を描いた小説『苦海浄土』としてまとめられた。

近代問い直す

 『もうひとつのこの世』は、石牟礼さんが2018年に亡くなるまで半世紀以上にわたって無償の編集者役を務め、ある時期からは食事の世話まで焼いて、執筆を支え続けた渡辺さんによる石牟礼文学論をまとめた一冊だ。

 「石牟礼道子の時空」(同書所収)では、自然描写に「知識と自我意識によって自然と分離する以前の、前近代の民のコスモス感覚が輝いている」と指摘。自然と調和したコスモス(宇宙観)のもとに生きてきた人びとが「近代と遭遇することによって生じる魂の流浪こそ、彼女の深層のテーマをなしている」と論じた。

 渡辺さんのもとに取材でたびたび通ううち、「近代の再考という自分のテーマを確立できたのは、やっぱり石牟礼さんとの出会いが大きかった」と話すのも聞いた。

 『逝きし世の面影』を改めてひもとけば、開国による近代化で失われたものとして描かれたのは、江戸期の生活様式にとどまらない。人びとが自らを取り巻く自然との間に結んだ関係、そのようなコスモスを持った一つの「文明」が滅んだととらえたところに、石牟礼さんに触発された思考の跡が認められる。

 「僕が色々石牟礼さんのお手伝いをしたってことで、渡辺ってやつは感心な野郎だってことになってるらしいけど、ちゃんと元は取ってるの」

 一昨年の熊本市での講演で、そう冗談めかして語った。その口調が思い出されて、いまはただ懐かしい。=朝日新聞2023年2月11日掲載